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洲埼 (軽質油運搬艦)

洲埼(すのさき)は、日本海軍の給油艦。軽質油運搬艦である洲埼型給油艦の1番艦。艦名は千葉県房総半島南西の洲崎による。艦名は大正時代の給油艦「洲埼」に続いて2代目。仮称艦名第103号艦。1939年(昭和14年)度のマル4計画により三菱重工業横浜船渠で建造され、1943年(昭和18年)5月15日竣工。横須賀鎮守府籍となり、同日連合艦隊付属となる。「洲崎」の竣工後の行動は断片的にしか判明していないが、佐世保へ回航された後、6月15日には、特務艦「足摺」、陸軍タンカー「黒潮丸」(中外海運、10,518トン)、タンカー「あまつ丸」(石原汽船、10,567トン)とともに船団を構成して佐世保を出港して南方へ向かう。時はヒ船団開設前夜、まず敷設艇「平島」の護衛で高雄に向かい、高雄では「あまつ丸」と別れ、また護衛艦が「平島」から駆逐艦「若竹」に代わり、「Z船団」を名乗って6月21日に高雄を出港。サンジャックを経由し、6月28日に昭南(シンガポール)に到着した。9月2日には、サ12船団に加入して昭南に向かう。2日後の9月4日未明、船団はアメリカ潜水艦「パーゴ」 ("USS Pargo, SS-264") の攻撃により中型タンカー「隆栄丸」(日東汽船、5,142トン)が損傷するが、それ以上の被害は出なかった。12月から1944年(昭和19年)にかけては、12月5日門司出港のサ17船団などで日本本土と昭南の間を往復した。「洲崎」は3月にバリクパパンへ進出後、特設運送船(給油)「国洋丸」(国洋汽船、10,026トン)および「玄洋丸」(浅野物産、10,018トン)と船団を構成し、4月17日にバリクパパンを出港してパラオに向かう。当初の計画ではパラオで「国洋丸」および「玄洋丸」と分離し、特設運送船(給油)「雄鳳丸」(飯野海運、5,135トン)と改めて船団を編成してサイパン島に回航されることとなった。しかし、ニューギニア北部沿岸にアメリカ第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)が遊弋しているとの報を受けて、船団はパラオを回避して「雄鳳丸」を含んだ全船がサイパン島に向かうこととなり、4月26日にサイパン島に到着した。サイパン島で燃料陸揚げの後、4月29日にサイパン島を出港してバリクパパンに向かい、5月7日に到着。以後はバリクパパンと、第一機動艦隊(小沢治三郎中将・海軍兵学校37期)が進出していたタウィタウィ、あるいはパラオとの間で燃料補給に従事。「あ号作戦」発動後、「洲崎」は特設運送船(給油)「興川丸」(川崎汽船、10,043トン)とともに第三補給部隊を編成した。マリアナ沖海戦の後、7月18日に南西方面艦隊付属となった。8月1日、「洲崎」はの地点を航行中にアメリカ潜水艦「パファー」 ("USS Puffer, SS-268") に発見される。「パファー」は魚雷を6本発射し、うち2本が命中して「剣埼型潜水母艦」は沈没したと判定された。損傷した「洲崎」は9月1日にマニラに入港し、カヴィテで修理に当たる。しかし、入渠中の9月21日にアメリカ第38任務部隊艦載機の爆撃を受けて弾薬庫に引火し大火災が発生、10月4日に出渠しカナカオ灯台沖に擱座、放棄された。1945年(昭和20年)3月10日除籍。

出典:wikipedia

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