フェデックス705便ハイジャック未遂事件(フェデックス705びんハイジャックみすいじけん)とは、1994年4月7日にアメリカ合衆国のテネシー州メンフィスで発生したハイジャック未遂事件である。犯人はフェデックス・エクスプレス(貨物大手フェデックスの航空貨物子会社)の社員(航空機関士)で、フェデックス・エクスプレス705便に便乗してコクピットに侵入し乗っ取り、最終的にはフェデックス本社ビルに突入して自殺しようとしていた。彼は機長らクルーを武器で襲ったが、反撃され乗っ取りは未遂に終わり犠牲者はゼロであった。離陸20分後、コックピット外のジャンプシート(補助席)に便乗していた犯人が、ギターケースの中に隠し持っていたハンマーと水中銃を持ち出し、航空機関士・副操縦士・機長という順番で後頭部をハンマーで殴打し、銃でおどしてコックピットから3人を追い出そうとした。しかし航空機関士が意識朦朧の中で銃を掴み、犯人がひるんだところを機長と航空機関士で押し倒した。頭蓋骨骨折の重傷を負った副操縦士は元海軍パイロットであり、機体の限界までアクロバット飛行をして犯人を壁にぶつけたり転ばせるなど、機長と航空機関士を有利にさせるための操縦を続けた。だがDC-10はこのようなアクロバット飛行に耐えられる設計ではないため、翼ががたがた揺れるなど空中分解してもおかしくない状態であった。犯人は頭を壁にぶつけるなどして一時的に意識を失い、その間にクルーは犯人を拘束した。そして傷が一番浅い機長が副操縦士と交代して着陸の準備に入った。705便が緊急着陸を指示された9滑走路は、貨物や燃料が満載で重く速度も出ていた機体ではオーバーランの危険があった。機長は別の36L滑走路(滑走路長2800m)への着陸を要求し、数分後、705便は計器が危険信号を発する中、燃料を捨てない状態で着陸し滑走路の端ぎりぎり(残り300m)で停止した。着陸後、副操縦士が手配していた救護班が乗り込み、4人は病院へ搬送され、犯人は逮捕された。奇跡的に死者は出なかったが、コクピット内部は血まみれになっていた。犯人の男(42歳)は元アメリカ海軍のパイロットで空挺部隊員で武術のエキスパートであった。フェデックス・エクスプレスに入社後、航空機関士として貨物機を操縦していたが、同社は飛行時間の報告に虚偽があったことから彼を懲戒処分とすべく4月第2週に本社に呼び出す予定にしていた。犯人はパイロットとしてのキャリアが絶たれることに強い危機感を持ち、解雇される前に自分の乗る便をハイジャックしてメンフィスのフェデックス本社ビルに衝突させ、本社ごと自爆しようとしていた。犯人はハイジャックを事故に見せかけ、従業員に対する250万ドルという莫大な保険金をフェデックスから家族に払わせる計画だった。彼は社員しか乗っていない飛行機ならハイジャックを疑われることは少ないと考え、さらにハンマーなどの武器を選ぶことによりクルーの致命傷を墜落時の挫傷にみせかけ、検視結果からハイジャック犯に襲われた痕跡が見つからないようになることを意図していた。最終手段として水中銃もギターケースに入れて持ち込んでいた。またコクピットでの乱闘が記録されないよう離陸前にサーキットブレーカーを落としてコックピットボイスレコーダー(CVR)を一度停止させたが、直後に航空機関士が再び起動させたため、当時の会話はボイスレコーダに全て記録されている。彼はハイジャックのために目星をつけた便にパイロットの振りをしてジャンプシートに乗り込んだ。正規のクルー以外のパイロットが便乗するのは実際は社則違反だが、社内ではパイロットのデッドヘッドは珍しくなかったため、彼が怪しまれることはなかった。逮捕された社員は裁判において心神耗弱による責任能力の不十分を主張したものの、翌1995年8月15日に殺人未遂とハイジャック未遂で終身刑の判決を受け、収監された。機長、副操縦士、航空機関士は、1994年5月26日、勇気を称えられ航空乗員組合(Air Line Pilots Association)より民間機パイロットの最高栄誉である金メダルを表彰された。しかし、事件で受けた傷の後遺症のため復職することはできなかった。ハイジャックに遭遇した機体は、MD-10に改修されたのち現在も同社で活躍している(登録番号N306FE)が、2018年を目途に退役することになっている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。