戸出町(といでまち)は、現在の富山県高岡市南部に存在していた町。1966年2月10日、高岡市に編入合併し、高岡市の一部となった。この項目では、現在の戸出地域についても解説する。現在の戸出地域は、戸出(といで)、醍醐(だいご)、是戸(これと)、北般若(きたはんにゃ)の4地域から構成される。陸路での大量の物品運搬が困難だった時代、庄川の本流だった千保川の水運は砺波の大動脈だった。また、中世以降北陸道の主道として栄えた上使街道は高岡開町の後も多くの人の往来があった。そんな千保川と上使街道が交わる要衝の地に発展の可能性を見い出した礪波郡下中条村の十村の川合又右衛門は、1617年(元和3年)にこの地の新開を加賀藩に願い出て許可を得た。江戸時代初期、砺波平野平野部の開墾が盛んに行われたが戸出地区は砺波平野平野部において最も歴史の古い町である。戸出開町の後、出町、福野、福光、津沢の順に砺波平野平野部に他の町が成立していった。その後、戸出地区では六斎市(毎月、2、7、12、17、22、27日に行われる市)が開催され町として形態を整えてた。だが高岡の町に近かったこともあり市は次第に廃れていった。1635年(寛永12年)頃より苧麻を原料とした麻の生産が盛んになった。以降、麻は戸出地区の特産品として知られるようになった。1654年(承応3年)には、当時、礪波郡で最大規模の戸出御蔵が置かれた。また、福光道、加賀街道、井波道、城端道、上使街道の宿場町としても栄えた。2003年(平成15年)の戸出古戸出遺跡発掘の際には8世紀後半~9世紀頃の土師器、須恵器が見つかっており平安時代にはこの地域に集落が存在していたことがわかっている。延喜式・小野宮年中行事等平安時代の書物に、胡麻油が越中の特産品だった旨の記載があることからその頃当地でも胡麻油の生産が盛んであったと推測される。また奈良時代の東大寺領荘園「杵名蛭村」が戸出市野瀬近辺に存在したとする学説も発表されている。旧・戸出町の町章は“戸”いう文字と桜の花びらを図案化したものである。桜の名所として近隣に知られた戸出公園の桜を意識してデザインされたと考えられる。1966年2月10日に高岡市になるまで使用された。現在、毎年7月6日に行われる戸出七夕まつりの民謡踊り街流しの際に、この町章がデザインされた浴衣が着用されている。城端線一般国道主要地方道一般県道市街地域は、町制施行前の戸出、古戸出、中之宮の3村の領域からなる。1966年以前は、「戸出町」以下に1889年の町制施行前の旧村名、大字名、地番を付していた。古い家の表札には今でも下のような住所で書かれていることがある。1966年、高岡市への編入合併に伴い変更され、下のようになる。1971年、市街地域(戸出、古戸出、中之宮の3地域)を1丁目から5丁目までを以下のように割り振り、現在に至っている。なお、6丁目と7丁目は歴史の項目にある通り、これ以降に開町している。現在の地名(丁目)は以下の通りである。
出典:wikipedia
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