ゲーブ・キャプラー(Gabriel Stefan "Gabe" Kapler、1975年7月31日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ハリウッド出身の元プロ野球選手(外野手)。1995年にデトロイト・タイガースにドラフト指名され入団。に22歳でメジャーデビューを果たす。11月にトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍。7月にトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍。シーズン途中にトレードでボストン・レッドソックスに移籍。はレッドソックスで136試合に出場、打率2割7分2厘、6本塁打、33打点を記録。左投手要員と外野全てを守れる選手として広い守備範囲と強肩で、2004年のレッドソックスのワールドシリーズ制覇へとつながった快進撃に貢献した。2004年シーズンオフに、読売ジャイアンツは守備力を期待しセンターラインの補強として契約した。のキャンプでは外野の深い位置から目の覚めるような送球を見せ、ファンを期待させたが、来日する数年前から、足の故障もあって、ホームへのダイレクト返球向きの大きな送球モーションをつかれ、走られることが多かった(2005年4月24日、中堅前の短打で1塁ランナーの中日・荒木雅博が生還など)。その大きなモーションを改めたら、今度は送球が手投げ同然になり、強肩が発揮されなくなったため結局は走られてしまっていた。ポジションも開始当初の中堅手から左翼手にコンバートされるなど、最後まで日本野球に適応することはできず、持病の腰痛を再発させた事を理由に7月8日に契約解除を球団に申し出ると、球団も了承した。開幕から17打席ノーヒットを含め111打数で17安打、打率.153と打撃面も低迷したものの、我慢強く使われた。日本へ行ったことについては深く後悔しているという。後年レッドソックスとの再契約の際に、生活スタイルの違いを食生活を例に挙げ、「日本ではハンバーガーを注文した際、トマトを抜いてもらうといったように、注文を変えることはあまり受け入れられない。」「ブルックリンで朝食を取ることをどれだけ願ったか分からない。」と語った(ボストン・ヘラルド紙より)。また、「金が理由で日本に行ったのは間違いだった。もう2度とああいうことはしたくないね。今後は自分や家族、世の中の人たちの助けになったり、もっと価値のあることをしたい。」などと話している。帰国後の7月15日に古巣レッドソックスとメジャー契約を結んだが、15日間の故障者リスト入りし、3Aでプレー。同じ元巨人のロベルト・ペタジーニとともに本塁打を放ち、対左投手要員という元のサヤに収まっていたが、アキレス腱断裂のため出場試合機会が減少。2005年オフにレッドソックスから戦力外通告を受けた。レッドソックスでの成績は36試合出場で打率.247、1本塁打、9打点だった。からは再びレッドソックスでプレーしたが、72試合出場で打率.254、2本塁打、12打点と満足な成績を残せず、この年のオフに一旦引退。はレッドソックス傘下のマイナーで監督を務めていたが、9月20日にレッドソックスは現役復帰の意向を示したと発表し、その後ミルウォーキー・ブルワーズと1年契約を結んだ。、ブルワーズでは98試合に出場。打率.301、出塁率.340、8本塁打という結果を残している。守備でも強肩を発揮する場面もあった。キャプラーは対左を得意としており、(対左には)82打数で.354、4本塁打の数字を残している。1月12日、タンパベイ・レイズと1年100万18ドルで契約を結んだ。端数の18ドルには(キャプラー自身の)ラッキーナンバーとユダヤ教における生命という意味が込められている。キャプラーはマット・ジョイスと中堅手のポジションを争った。なお、当時レイズの中堅手には不動のレギュラーであるB・J・アップトンがいたのだが、オフに行った左肩手術の関係で開幕は絶望的だった。2009年4月13日、レイズの大量リードのためマウンドに上がったニック・スウィッシャー(本来は外野手)と対戦、三振を喫した。シーズン中は右翼手としてゲーブ・グロスと併用されていた。2009年7月10日時点では長打率は.505をマークし、75打数で打率.320、4本塁打をマークしていた。対左に対しては滅法強く長打率は.680をマークしていた。安打のうち64本が長打となっており、100打席以上の野手ではトップの長打数をマークしていた。2009年7月23日に当時ホワイトソックスのマーク・バーリーが完全試合を達成した試合にも出場している。この試合でキャプラーは本塁打性の打球を放ったものの、ドウェイン・ワイズの好捕によって完全試合を阻むには至らなかった。2009年10月27日、タンパベイ・レイズと1年105万ドルで契約を結んだ。2009年シーズン、キャプラーは対左キラーとして活躍し、(対左に対して)打率.304、長打率.577の成績を残す。レイズのGMであるアンドリュー・フリードマンはキャプラーを「(キャプラーほど)対左に打ってつけの選手はいないし、守備も素晴らしい。チームに欠かせない人材となっているし、チームにいるだけで、若手に手本としていい影響を与えている。」と高く評価した。の春季キャンプではまたもマット・ジョイスと右翼手のポジションを争った。しかし、シーズンを通して出場試合は59試合で打率.210、2本塁打の低成績に終わり、シーズンオフにはFAとなった。1月18日にはドジャース傘下のマイナーリーグと契約した。春季キャンプで招待選手として参加したものの、同年3月31日で契約を解除された。引退後はFOXテレビで解説者を務めた。からはドジャースのファームディレクターに就任する。MLBでも有名なボディビルダーであり、シーズンオフになると、ボディビルに力を入れている。リフティングに1時間、マラソンや水泳、バスケットボールなど他のスポーツを計3時間行っている。鍛え抜かれた身体を生かし、数々のエクササイズ系雑誌に登場した。また、スポーツシューズのCMに出演し、懸垂をしたこともある。
出典:wikipedia
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