LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

日本ハワイ移民資料館

日本ハワイ移民資料館(にほんはわいいみんしりょうかん、Museum of Japanese Emigration to Hawaii)は、山口県大島郡周防大島町西屋代にある、官約移民の歴史を紹介する施設である。官約移民歴史コーナーの他に移民達の労働と生活コーナーや映像で紹介するシアタールーム等がある。ハワイ王国カラカウア王は、1881年(明治14年)に日本の土を踏む最初の外国元首として歓待された。1985年(昭和60年)には、「ハワイ日本人移民の父」として、ワイキキ・ゲイトウェイ公園に銅像が建立された。第1回の移民募集には、予定人数の600人をはるかに超えた28,000人以上の応募があった。そこで選ばれた944人を乗せた「シティー・オブ・トーキョー号」は、1885年(明治18年)2月8日、2週間にわたる船旅を終えホノルルに到着した。数日間検疫などのため移民局の収容所で過ごした移民たちは、3年間の契約労働に従事するため、ハワイ島16ヶ所、マウイ島6ヶ所、カウアイ島6ヶ所、オアフ島1ヶ所、ラナイ島1ヶ所、計30ヶ所のサトウキビ耕地に分かれていった。江戸時代中期以降人口増加が著しかった大島郡では、島の限られた土地では生活ができず、伝統的に大工・石工・船乗りなどによる出稼ぎが盛んであった。さらにハワイ移民の話が持ち上がったころには、全国的な不況に自然災害が加わり、大島郡では人々は餓死寸前まで追い込まれていた。こうした事情を知る山口県は、大島郡からの募集に特に力を入れ、郡役所、村役場も大いに努力を傾けた。住民にとっても、ハワイでの好条件は耳よりな話であった。その結果第1回の官約移民では大島郡出身者が全体の約3分の1を占め、官約移民時代を通して約3,900人が大島郡からハワイに渡っている。かつては、「芋喰い島(いもくいじま)」と呼ばれていた大島郡は、こうして「移民の島」として知られるようになった。現在でも、周防大島の住民は、ハワイに親戚を持つ者が数多くいる。山口県及び大島郡の官約移民年度別統計によれば、1885年(明治18年)~1894年(明治27年)の10年間で26回に亘り移民を送り出しており、全国で29,084人、うち山口県10,424人で大島郡からは、3,914人もの方がハワイへ渡っている。都道府県別では、広島県(11,122人)、山口県(10,424人)、熊本県(4,247人)、福岡県(2,180人)、新潟県(514人)の順である。ハワイに渡り帰ってきた人物の住居を改装した木造2階建ての建物であり、古民家の佇まいを感じさせる。等

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。