CF-18 ホーネット(CF-18 Hornet)は、カナダ空軍の戦闘機で、アメリカ合衆国のF/A-18の派生型。1977年、カナダ軍の非効率的な状況にカナダ政府はCF-104 スターファイターを交代させる必要があると結論を出した。CF-104は、NATOの連合戦力に割り当てられており、NORADにはCF-101 ブードウ、CF-116 フリーダム・ファイターがあった。その後、CF-116を除き戦闘機を退役させる方針が決定された。それら代替機の取得を目指す計画(New Fighter Aircraft)において、130機から150機を24億カナダドルの予算で購入を目指し、F-14、F-15、トーネード、ミラージュF1(後にミラージュ2000)が選定の対象となった。また、アメリカの軽量戦闘機(LWF)に参加していたF-16、F/A-18と輸出用のF-18Lが競争に加わった。カナダ政府は最小の適合化で導入できる機種を望み、受注を獲得したメーカーは同等の投資をカナダの産業に提供することを強調した。1978年までに、限られた予算で購入の見込みがあるF-16とF/A-18の2機種が候補に絞られた。1980年、北極での使用や海上でのパトロールに有利だと考えられた信頼性のある2基のエンジンを持つF/A-18が選定された。単座型98機と複座型40機の計138機が発注され、20機の追加購入が検討された。F/A-18はCF-188と呼ばれたが、契約関係の公式な軍の文書以外ではCF-18 ホーネットと呼ばれる。CF-18 ホーネットのF/A-18との外見上の差異は、夜間識別用に装備された60万カンデラのライトである。M61 バルカンの装填ドアに装備されたこのライトは、取り外しも可能である。その他の特徴として機首の下面に偽のキャノピー(フォルスキャノピー)が描かれている。これは空戦時に敵方の方向感覚を狂わせることを目的としている。機体の構成は、強固な降着装置、アレスティング・フック、折りたたみ式の主翼など、航空母艦での運用に適したF/A-18と共通点が多い。これらの装備は、北極に点在する小規模な飛行場でCF-18 ホーネットを運用する際に効果を発揮される。1982年10月25日に2機がアルバータ州のコールド・レイク基地の第410飛行隊に引き渡された。続いて、西ドイツの第409飛行隊、第439飛行隊、第421飛行隊。コールド・レイク基地の第410機種転換部隊、第416飛行隊、第441飛行隊。サグネのバゴットビル基地の第425飛行隊、第433飛行隊へ配備された。しかし、初期不良と構造疲労により、これらの配備が遅延した。問題が解決するとNATOやNORADでの任務に投入された。1991年、湾岸戦争にカナダも参戦し、多国籍軍として26機がフリクション作戦に参加した。湾岸戦争の間、西ドイツに駐留していたCF-18 ホーネットはカタールのドーハに拠点を移した。カナダのパイロットは、5,700時間以上の飛行時間を経験した。特に半分近くを占めたのは、空中戦闘哨戒任務であった。湾岸戦争初期、多国籍軍の対地攻撃を支援するため敵戦闘機掃討と護衛が任務となった。しかし、2月後半の地上侵入の間には、爆撃任務にも就いた。湾岸戦争時に精密誘導爆弾を装備できなかったが、500ポンド(230kg)通常爆弾でイラクの砲兵陣地、補給物資集積場を攻撃し、前線から離れた戦地の支援にあたった。旧ユーゴスラビアでの相次ぐ紛争に、CF-18 ホーネットは2回派遣された。最初はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で調停役にまわったNATOの一員としてパトロールに就き、1997年8月から3ヶ月の期間であった。次はコソボ紛争で、1998年6月から2000年12月まで、18機がイタリアのアヴィアーノに配備された。コソボ紛争においてCF-18 ホーネットの機数は少なかったが、空中戦闘哨戒と対地攻撃の双方を行い、NATO出撃回数の割合では10%を担った。戦闘の出撃回数は678、迎撃の出撃回数は120を数え、爆撃は558回、2,577時間に達した。地対空ミサイル陣地、空軍基地、橋、燃料保管所といった多種多様な目標を攻撃し、精密誘導爆弾397発と通常爆弾171発を投下した。
出典:wikipedia
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