横山 道哉(よこやま ゆきや、1977年6月1日 - )は、神奈川県海老名市出身の元プロ野球選手(投手)。中学時代は愛甲シニアに所属。横浜高校でプレー。一学年上には斉藤宜之・多村仁・矢野英司・紀田彰一らがいた。秋のドラフト会議で地元の横浜ベイスターズに3位指名され入団する。7月6日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)の敗戦処理で初登板すると、その後チームが逆転サヨナラ勝ちを収めて初勝利を挙げる。この年は18試合に登板し、シーズン終盤にはプロ初先発や初セーブも記録している。翌年から中継ぎとして53試合に登板し4勝4敗・防御率3.09の好成績を残し、横浜の38年ぶりとなるリーグ優勝・日本一に貢献する。当時抑え投手として活躍していた佐々木主浩のようにフォークを武器とする投球スタイルから、「小魔神」「大魔神二世」の異名を取る。のシーズン中に佐々木が離脱したため、残った中継ぎ投手で抑えを持ち回りで担当した中、横山にもその役が回ってきた。しかし、からまでは不振で登板機会が激減し、2003年オフに野中信吾とのトレードで北海道日本ハムファイターズに移籍。(移籍1年目)は当初抑えの予定だった建山義紀・伊達昌司がシーズン前に故障離脱、開幕当初抑えを務めた伊藤剛が開幕して直ぐに故障離脱。暫定で回ってきた抑えの座であったが、チーム最多の58試合に登板し、4勝5敗28セーブ・防御率3.39という成績を挙げ、この年新人王を獲得した三瀬幸司と共に最優秀救援投手を受賞、マスコミから「北の守護神」と呼ばれた。も2年連続でチーム最多となる48試合に登板したが、1勝4敗12セーブ・防御率4.47と振るわず、夏場には抑えから外され、更に降格するなど不本意な成績に終わった。1月20日の契約更改交渉では400万円減の推定年俸4300万円で更改。この年も武田久・MICHEALの活躍もあって一軍登板無しに終わり、9月29日に戦力外通告を受けた。横浜の秋季キャンプで入団テストを受け、合否は10月27日に伝えられる予定だったが、「12球団合同トライアウト前に、各球団が独自で入団テストを行わない」という申し合わせ事項に反するとして日本プロ野球選手会から苦情を受け、合否発表は保留となった。その後正式に獲得が発表され、4年ぶりに横浜に復帰した。は肘の故障を抱えながらも貴重な中継ぎ投手として36試合に登板し、6ホールド、防御率3.32と古巣で見事に復活を果たす。も中継ぎ投手陣の一角としてチーム最多の51試合に登板、5月17日の対中日ドラゴンズ7回戦では移籍後初、自身としても3年ぶりの勝利投手にもなりシーズン防御率も3.22と良化させたが、同点の場面では安定せず勝ち越しを許して5敗を喫した。頃から肘の状態が悪化したために二軍暮らしが続き、さらに投球すらままならない程度にまで悪化していた。このため、10月1日付で戦力外通告を受け、「横浜で終われたのは幸せな部分もある」とコメントして現役引退を表明した。2010年からはスコアラーとして球団に残ることになった。2010年からはスコアラーとして球団に残ることになった。
出典:wikipedia
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