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ボヤーリン (防護巡洋艦)

ボヤーリン(ロシア語:バヤーリン)は、ロシア帝国の二等防護巡洋艦()である。艦名は先代のコルベットから受け継いだもので、中世ルーシの世襲貴族「ボヤーリン」に由来している。ロシア帝国海軍では珍しい、デンマーク製の軍艦である。ボヤーリンは、二等防護巡洋艦ノヴィーク、ジェームチュク、イズムルートとともに極東方面の艦隊戦力増強のために計画された艦であった。建造は「太平洋の必要のための」特別建艦計画によって行われた。艦の任務は、艦隊の近距離偵察とされていた。設計は、棚式から吊り下げ式に変更された120 mmおよび47 mm砲弾庫と新しい給弾用エレベーターシャフト、電線通路の気密水密覆い、鉛張りケーブルの採用、などの点に先進性が見られた。1900年8月24日、コペンハーゲンのブルマイスター&ヴァイン社(現MAN B&W ディーゼル社)で起工した。1901年5月26日には進水、1902年10月に竣工した。1902年10月27日、ボヤーリンはクロンシュタットを出航し、1903年5月10日、ポルト=アルトゥールへ到着した。1903年秋には仁川に出航し、一等防護巡洋艦ヴァリャーグを支援して同港に1904年1月1日まで留まった。1904年1月27日、偵察任務に就いていたボヤーリンは戦艦三笠を旗艦とする日本海軍主力艦隊を発見した。ボヤーリンは左舷方向に移動しながら応戦しつつ、味方艦隊へ敵艦隊発見の報を知らせた。日本艦隊による旅順艦隊攻撃が終わると、ボヤーリンは大連湾へ機雷を敷設に向かう機雷敷設艦エニセイを護衛し、それから旅順に戻った。エニセイは機雷の敷設を行ったが、1月29日に自艦が敷設した機雷に触れて沈没した。このエニセイの沈没は日本軍の機雷または駆逐艦によるものと誤認され、大連警備司令官は日本軍駆逐艦出現を報告。それを受けてボヤーリンと駆逐艦ヴラーストヌイ、フヌシーチェリヌイ、ストロジェヴォーイ、ラストロープヌイが大連湾へ向かうよう命じられた。ボヤーリンと4隻の駆逐艦は1月29日午後3時30分ごろに旅順から出撃したが、同日午後5時ごろに南三山島南方沖で機雷に触れた。触雷による浸水で15度傾斜するも沈没はしなかったが、ボヤーリン艦長サルイチェフ大佐は乗員を退去させて駆逐艦にボヤーリンの処分を命じた。そして駆逐艦ストロジェヴォーイがボヤーリンに対して魚雷を発射したが命中せず、ボヤーリンは放置された。翌日南三山島に座礁しているところが発見され修理可能と判断されたが、翌日は荒天のため作業が行えず、その翌日には姿を消していた。暴風により流されて再度触雷し沈没したようであり、住民が数度の爆発音を聞いている。

出典:wikipedia

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