ガボール・ザボ(Gábor Szabó、1936年3月8日 - 1982年2月26日)は、ハンガリーのジャズミュージシャン、ギタリスト。おもにアメリカ合衆国において音楽活動を行なった。ハンガリー王国(ホルティ政権)時代のブダペスト生まれ。第二次世界大戦を経てハンガリー人民共和国の体制になった後、14歳でギターを始める。20歳の時にハンガリー動乱が起こり、アメリカ合衆国に渡る。1958年から1960年にかけてバークリー音楽院で学び、その後チコ・ハミルトン楽団で活動。チコのバンドを脱退してからは、インパルス!レコードとの契約を得て、バンド・リーダーとしても活動。1965年11月に録音されたリーダー・アルバム『Gypsy '66』では、当時バークリー音楽院に留学していた渡辺貞夫がフルートを担当。1966年5月には、代表作の一つ『Spellbinder』を録音。同作収録曲「Gypsy Queen」は、後にサンタナのアルバム『天の守護神』で、フリートウッド・マックの楽曲「Black Magic Woman」とのメドレーという形でカヴァーされた。その後、インド音楽からの影響も取り入れ、『Wind, Sky And Diamonds』はシタール奏者も含む編成でレコーディングされた。1960年代末期には、ゲイリー・マクファーランドと共にというレーベルを立ち上げ、ガボールも同レーベルから作品を発表するが、ゲイリーが1971年に死去したため閉鎖となる。ブルース・レーベルの「ブルー・サム・レコード」から発表されたアルバム『High Contrast』では、ソウル・ミュージシャンのボビー・ウーマックと共演。同作でボビーがガボールのために書き下ろした「Breezin'」は、後に1976年のジョージ・ベンソンによるカヴァー・ヴァージョンが大ヒットした。1973年以降は、CTIレコードや、同社の傘下のレーベル「サルヴェイション」等で録音を行う。また、やはりCTIと契約していたポール・デスモンドのアルバム『Skylark』にゲスト参加。1970年代後半になると、しばしば祖国ハンガリーを訪れるようになる。1979年にチック・コリア等と共に行ったレコーディングが、アメリカ合衆国での最後の録音となり、その時の音源は後にアルバム『Femme Fatale』として発表される。1981年にはハンガリーに戻る。翌年、肝臓と腎臓の障害により、ブダペストの病院で死去。
出典:wikipedia
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