タラデガ・スーパースピードウェイ (Talladega Superspeedway) は、アラバマ州のタラデガに存在するオーバルトラック。1周2.66マイル(4,280m)。観客席数は14万3231席。1969年に飛行場跡を改修して作られた古いトラックである。NASCARはネイションワイド・シリーズは春、キャンピング・ワールド・トラック・シリーズは秋の1回開催。スプリントカップシリーズは春秋の2回開催。コーナーバンクが最大33度と、ブリストルが改修されてからは全トラック中1位となったハイバンクトラックであり、コースレイアウトはデイトナを0.16マイル延長した形のトライオーバル。リストリクタープレート・レースであるが、そのスピードレンジは極めて高い。ブレーキはピットイン時以外に必要無く、またアクセルコントロールも必要無い。レース中は常に壮絶なドラフティング合戦になる。ドライバーがドラフティングしようとするあまり、車間距離センサーが0cmどころかマイナス側を示すほどにバンパーtoバンパーの走行が頻発する。その特性ゆえ単独走行でタイムを稼ぐのは不可能であり、ゴール寸前まで数十台による超接近戦が繰り広げられる。このドラフティング合戦は、バンクがきつい事からターン中でも最大5列に及び、その姿形からドラフティング・トレインなどと呼ばれる。この接戦を上手く渡り歩けば一気に10ランク以上挽回できる可能性もある事から、最後まで分からない、誰でも勝てると度々言われるほど予測不可能なレースとなる。なおデイトナと違うところは、コントロールラインがターン1側に寄っている点である。ファイナルラップ最後のコーナーがフロントストレッチのカーブに該当するため、最後のチャンスを目論んだゆえの接触、といったドラマが起こってしまうことがある。デイトナ以上に全開で走行できる上、常に200mph(320km/h)近いスピードでバンパーtoバンパーの超接近戦を繰り広げるという理由もあり、事故確率が異常とも言えるほど高い。他車のバンパーを少し角度を変えて押すだけで、ターン・ストレートを厭わず簡単にコントロールを失い、ウォールへ向けて飛んでいく。それがスタート直後やリスタートから数周経った2〜5列に渡るドラフティング・トレインの中で起これば、当然後続を巻き込んだ多重クラッシュ(いわゆる『ビッグ・ワン』)が発生する。危険なのはドライバーだけでなく観客も同様である。このような超高速でスピンすると、ルーフフラップによる減速はあるものの、マシンはいとも簡単に浮き上がってしまう。1987年にはボビー・アリソンがフロントストレッチ側でスピンから浮き上がってしまい、キャッチフェンスへ直撃。衝撃でキャッチフェンスは吹き飛び、観客11人が巻き添えで亡くなってしまうクラッシュが発生した。これを機に、デイトナとタラデガではリストリクタープレートの装着が義務付けられた。それまでは、最高速が単独走行ですら220mph(354km/h)という全トラック中最速のコースであったが、リストリクター導入後に単独走行190mph(305km/h)まで落ち着いた。しかし、ターンでの減速が無いために、平均周回速度200mphを超えるミシガン以上に危険なトラックであることに変わりはない。このようにドライバーに限らず観客にも危険が及ぶ事例のあることが、デイトナ以上の最も危険なトラック(Most Dangerous Track)と言われる所以である。改修があってもハードクラッシュを演じ続けるこのトラックは、関係者の中で「宝くじ」とまで呼ばれている。このレースでは、2度のビッグ・ワンに加え観客を巻き込む事故が発生した。これらの事故を受け、同年秋開催よりキャッチフェンスをかさ上げし、車両側ではリストリクタープレートを小径化、さらにターン中のバンプドラフト(先行車へのプッシュ)を禁止する処置を行った。しかし183周目に前の車に詰まったライアン・ニューマンがスピンから後ろを向き浮上、車両は上下逆の状態で停止した。この事故でロールケージが潰れ、通常の方法で車外へ出られなくなったため、ロールケージを切断して救出された。ストックカーの非公式トラックレコードは、2004年にラスティ・ウォレスがリストリクタープレート非装着のネクステルカップ車で記録した216.309mph(44.27秒)である。また、1975年にはマーク・ダナヒューがポルシェ・917を用いて221.160mph、クローズドサーキットにおける当時の最高平均速度記録を樹立した。
出典:wikipedia
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