株式会社セガゲームス()は、コンシューマーゲーム並びにソーシャルゲームの開発、製造、販売を行うセガサミーグループの企業で、株式会社セガホールディングスの100%子会社。本稿では株式会社セガ時代の家庭用ゲーム機やコンシューマーゲーム、経営、(旧)株式会社セガネットワークスについても述べる。1951年に外資系のジュークボックスの納入・メンテナンス会社として創業(ただし、現在のセガゲームスは1960年に分社化された際の片方、日本娯楽物産が母体となっている。また、1984年のCSKグループの資本参加の際に民族資本となっている)。1983年にコンシューマーゲームに進出。社名の頭文字であるセガの由来は、日本娯楽物産が1960年に発売して大ヒットした国産初のジュークボックス「セガ1000」にちなむ。日本娯楽物産の前身「サービスゲームズジャパン」の「SERVICE GAMES」から命名されたものであり、近年では頭文字にセガが付くグループ企業も含めて簡略化して後者のみ紹介される場合が多い。2015年2月12日にセガサミーグループの再編が発表され、株式会社セガは同年4月1日付で株式会社セガネットワークスを吸収合併した上で株式会社セガゲームスに商号変更し、コンシューマゲーム事業並びにソーシャルゲーム事業を手掛ける会社となり、セガから新設分割で設立された中間持株会社セガホールディングスの子会社となった。セガ時代にはコンシューマゲーム事業並びにソーシャルゲーム事業以外にも、アーケードゲーム事業やアミューズメント施設などの各種事業を行っていた(後述)。社歌は「若い力」(作詞:セガ社員〈元社員 高橋栄一〉 / 作曲:若草恵)。セガ時代に手掛けていた家庭用ゲームハード事業では、SG-1000、セガ・マークIII、メガドライブ、セガサターン、ドリームキャストなどをリリースしており、セガサターン・ドリームキャストは任天堂とソニー・コンピュータエンタテインメント(後のソニー・インタラクティブエンタテインメント)の2社と共に家庭用ゲームハード3大メーカーとして鎬を削るも、どちらも販売戦略の失敗で他の2社の後塵を拝する結果となった。かつてセガサターン事業部長やドリームキャスト事業部門担当を務め、セガホールディングス代表取締役社長兼セガゲームス代表取締役会長を務める岡村秀樹は後のインタビューで「アーケードゲームは強かったが、家庭用ゲームに対するマーケットインは弱かった」と語っている。宣伝でセガサターンでは藤岡弘、演じるせがた三四郎を起用。ドリームキャストではプロデューサーの秋元康を社外取締役に招聘し、広告宣伝費に約130億円を投じて当時の役員湯川英一を起用したCMを放映するなど大々的に宣伝した。1999年に携帯ゲーム機に限り初めて他社プラットフォームのサードパーティー参加を表明。ワンダースワン・ゲームボーイ・ネオジオポケットにタイトルを供給した。2001年1月31日に家庭用ゲームハード製造事業からの撤退および他社据置型ゲーム機プラットフォーム(SCE・任天堂・マイクロソフトのXbox)へのソフト供給を「構造改革プラン」として発表。以後、他社プラットフォーム向けのソフトウェア供給に専念している。『ソニックシリーズ』、『バーチャファイターシリーズ』、『サクラ大戦シリーズ』等の人気シリーズも他社ハードへ移行した。自社開発タイトルの他にも、事業停止や経営破綻したゲームメーカーからタイトルの版権や各種権利を譲受することもある。1998年3月に和議を申請したコンパイル(2003年11月に破産)から、和議申請と同時に『ぷよぷよ』の知的財産権を、コンパイルにおける『ぷよぷよ』の商標使用権が切れた直後の2003年には『ぷよぷよ』の販売権をそれぞれ譲受している。アトラスブランドを保有していたインデックスが2013年6月に民事再生手続を申請し(旧:インデックスは2014年4月に民事再生手続廃止の上、同年7月に破産)、2013年9月にセガがインデックスの再生スポンサーとなったと同時に、セガは事業引受会社となる100%子会社のセガドリームを設立した。同年11月にインデックスの新旧分離とこれに伴うアトラスの全権利を譲受したと同時に、セガドリームの社名はインデックス(後のアトラス〈新社〉)に変更された。これによりセガは子会社を通じてではあるものの、アトラスの人気シリーズである『真・女神転生』シリーズ(『ペルソナ』シリーズ含む)、『世界樹の迷宮』シリーズなどのアトラスの全権利を手に入れることとなった。2015年4月に経営危機が表面化したイメージエポック (2015年5月に破産)から、『セブンスドラゴンシリーズ』の開発権並びに『STELLA GLOW』の発売権をそれぞれ譲受している(知的財産権は親会社であるセガホールディングスが譲受)。2016年9月にテクノソフトの全権利を保有していたトゥエンティワンから、テクノソフトが発売していた全作品の製造・販売権を譲受している(知的財産権は親会社であるセガホールディングスが譲受)。尚、『ぷよぷよ』、『セブンスドラゴンシリーズ』、『STELLA GLOW』、テクノソフトの作品の知的財産権は後述の通りセガホールディングスが保有し、セガゲームスは開発・製造・販売のみを担当している。子会社のアトラスのタイトルの全権利はアトラスとセガホールディングスの共同保有となっている。1984年に大川功率いるCSKが、セガの親会社であったアメリカのガルフ&ウエスタン(過去にパラマウント映画・スタックス・レコードなどを保有した、金融・不動産系コングロマリット)から株式を買収し、CSKグループ入りした。その後、バブル景気到来による娯楽の拡大から業績は堅調に推移し、キョクイチの買収など事業を拡大した。1980年代末頃、家庭用ゲーム機で自身の特許(知的財産権)を侵害されたとしてアメリカの発明家 ジャン・コイルがセガと任天堂に対して訴訟を起こした。任天堂はライセンス料を支払う形で和解するも、セガは最高裁判所まで争い、1992年に57億円の支払いを命ずる判決が下される結果となった(ジャン・コイル事件)。1994年末に発売したセガサターンが、ソニー・コンピュータエンタテインメント(後のソニー・インタラクティブエンタテインメント)のPlayStationや1996年発売のニンテンドー64との間でシェア争い(→"日本におけるゲーム機戦争")が起こり、特にPlayStationに大きく水をあけられ苦戦することになった。1997年1月23日、エニックス(現:スクウェア・エニックス)がPlayStation用ソフト『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』の制作発表を行った同日に、セガとバンダイは「1997年10月1日付でバンダイ(現在はナムコと経営統合し バンダイナムコホールディングスの一部)と合併し、新社名をセガバンダイとする」と発表した。これはバンダイ側が1997年3月期決算で上場以来初の赤字見通しとなった事が関係しているとされる。バンダイはキャラクタービジネスに強みを持っていたが創業者一族による叩き上げの同族経営で発展した玩具メーカー、セガはアミューズメント事業とコンシューマー事業の2本柱でバンダイを大きく上回る(2倍以上の売上高)規模で事業展開を行う大手娯楽企業といった社風に大きな違いがあった。また、同年3月頃より前年発売の『たまごっち』が大ヒットした事(諸説)もあり、同年5月27日、バンダイからの申し入れにより合併合意は解消となった。セガバンダイの破談後、大川功CSK代表取締役会長がセガ代表取締役会長にも就任(兼任)したことで実効的に経営参画し、CSKとセガ、アスキー(後のメディアリーヴス)、大川功個人の4者間で株式の持ち合いを強化した。また、1998年に中興の祖であった中山隼雄代表取締役社長が退任し、後任には本田技研工業出身の入交昭一郎副社長が昇格した。1998年11月に社運を賭けて発売したドリームキャストがPlayStationの牙城を崩すことはできず売上不振が続いた事で、2000年3月期まで3期連続で約350-430億円の赤字を計上する。1999年に海外でも発売し好調な売れ行きを見せたが、PlayStation 2の登場により2000年後半以降全世界で売上が失速する。2000年6月に入交昭一郎代表取締役社長が同副社長に降格、秋元康が社外取締役を退任し、大川功会長が代表取締役社長を兼務する役員体制とした。同時にアーケードゲーム製造事業も不採算事業となり、2000年12月にアーケード機器最終組立工場であった矢口事業所(千葉県印旛郡栄町)を閉鎖し(現在はセガ・ロジスティクスサービス矢口事業所として存続)、アーケード機器組立を外注化した。また、アミューズメント施設事業を地域5社へ分社化(後にセガ アミューズメントへ統合)し、全国各地にあった支店・営業所・出張所を段階的に閉鎖した。2001年1月31日、経営再建策「構造改革プラン」として、家庭用ゲーム機ハード事業(ドリームキャスト)からの撤退と他社家庭用ゲーム機プラットフォームへのソフト供給を発表。約815億円の特別損失を計上し、経営破綻寸前に陥った。しかし翌日に大川功が約850億円の私財寄付という形で損失補填を表明したことで経営危機は回避されたが(2001年3月期決算は家庭用ゲーム機ハード事業撤退にかかわる費用を計上したため約520億円の赤字)、大川功は同年3月に鬼籍に入った。この経営再建策から2002年3月期以降、業績は回復基調へ移ったが、株式の無配は2004年3月期まで続くことになる。2003年2月13日にセガはパチスロメーカーのサミーとの経営統合を発表。この合併劇は大川亡き後のCSK青園雅紘社長(当時)主導で纏められ、発表当時は寝耳に水とされた。CSKは保有するセガ株の下落により約500億円の減損処理を強いられ株主資本を毀損する情勢となったことから、サミーへの持株売却による資本撤退を狙ったものとされている。しかしながら、2001年9月にアミューズメント事業で業務提携していたナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)が2002年より経営統合の申し入れを行っていた事を2003年4月17日にナムコ側が正式発表を行い、同時期にゲーム開発部門をコナミ(後のコナミホールディングス)と合併する話も表面化した。しかし、サミーとの経営統合が決定したこともあり自然消滅している。また、ドリームキャストの不振による経営危機が囁かれた2000年12月27日には任天堂がセガを買収するとニューヨークタイムズが報じたが、セガと任天堂双方で事実無根である旨をニュースリリースで公表したり、マイクロソフト本社がXbox立ち上げの際にセガの買収を内部で検討していたことが2013年2月に元役員のインタビューから明らかとなっている。2003年12月、当初発表通りサミーがCSKの保有するセガ株22.4%を453億3400万円で買収し筆頭株主となり、セガは事実上サミーの傘下に入った。また2004年10月1日付けで事業持株会社 セガサミーホールディングス(セガサミーHD)を設立し、セガはサミーと共にセガサミーHDの100%子会社となり経営統合した。2004年に作家の清水一行がセガバンダイ合併構想からサミーによる買収までの一連のM&A騒動を、セガをモチーフにしたゲーム会社の総務社員が親会社創業者の令によって合併交渉に奔走する様を描いた経済小説「ITの踊り」を上梓している。セガサミーホールディングスは、2014年5月9日にグループ各事業の収益構造を見直し、かつ成長分野への経営資源投入を可能とする事を整備する事を目的として、「グループ構造改革本部」を設置。2014年9月30日にセガの資本金を600億円から1億円に減資した。2014年10月31日に、グループをエンタテインメントコンテンツ事業・遊技機事業・リゾート事業の3事業グループへ再編する、収益性の抜本的改善の取り組み、セガ構造改革担当に関する人事の3点を発表し、2015年1月30日に、ソーシャルゲーム並びにオンラインゲームを成長分野として位置づける一方で、2014年3月期決算で営業損益の約7割を占め、2015年3月期も赤字予想となっていたアーケードゲーム事業を中心に製品ラインナップの絞り込みや、一部サービスから撤退すること、約120人の希望退職を募集すること、海外事業の合理化を柱にしたセガにおける構造改革を発表。同年2月12日に、セガグループをコンシューマ事業、アミューズメント事業、TOY・映像事業、アミューズメント施設事業の4事業に再編し、同年4月1日付でセガをセガネットワークスを吸収合併した上でセガゲームスへ商号変更する、中間持株会社であるセガホールディングス、アーケードゲームを手掛ける新会社となるセガ・インタラクティブ、ジョイポリスやOrbi Yokohamaの運営を行う新会社となるセガ・ライブクリエイションの3社をセガから新設分割で設立することを発表。同年3月26日にセガが経済産業省に提出していた産業競争力強化法に基づく事業再編計画が経済産業省から認定され、セガ本体は同年4月1日付でセガネットワークスを吸収合併してセガゲームスへ商号変更した上でコンシューマーゲーム事業並びにソーシャルゲーム事業のみを行う会社となり、同じくコンシューマーゲーム及びソーシャルゲーム事業を手掛けているサミーネットワークス、セガゲームスの子会社となったアトラス共々セガグループのコンシューマ事業に組み入れられた。知育エンターテインメントサービスであるテレビーナ、セガ公式コミュニティであるit-tells(いってる)、コンピュータエンターテインメント協会会員もセガゲームスがそれぞれ承継した。同時に、子会社管理などのコーポレート部門、IP(知的財産権)管理部門、ITインフラ部門をセガホールディングスへ、日本娯楽物産時代から手掛けていたアーケードゲーム事業やそれに付帯する事業をセガ・インタラクティブへ、ジョイポリスやOrbi Yokohamaなどのエンタテイメントパーク事業の一部をセガ・ライブクリエイションへ同年4月1日付でそれぞれ承継させた。セガが加盟していた日本アミューズメントマシン工業協会の各事業部会員に関しても、AMマシン事業部はセガ・インタラクティブ(サミーとセガ・ロジスティクスサービスも加盟)が、SC施設事業部はセガ エンタテインメントが、遊園施設事業部はセガ・ライブクリエイションがそれぞれ承継した。これに伴い、セガゲームス、セガ・インタラクティブ(2社共前身のセガが開発したタイトルも含む)、サミーが開発したゲームのIP(知的財産権)やソニック・ザ・ヘッジホッグなどのセガのキャラクターの版権、セガ羽田1号館・2号館などの不動産はセガホールディングスが保有することになった他、セガゲームス並びに、セガ・インタラクティブやセガ エンタテインメント、サミーネットワークス、セガ・ロジスティクスサービスなどは、セガサミーホールディングスの連結子会社となったセガ・ライブクリエイションを除き、セガから新設分割で設立されたセガホールディングスの子会社もしくは孫会社となった。セガゲームスは従来からの家庭用ゲームやPCゲームを手掛けるコンシューマ・オンラインカンパニーと、旧セガネットワークスが行ってきたスマートフォンやタブレット端末向けコンテンツ配信を行うセガネットワークス カンパニーの社内カンパニー制を採用する。但し、セガ第一研究開発本部が開発を担当していた『チェインクロニクル』シリーズ、『封印勇者!マイン島と空の迷宮』、セガ第二研究開発本部が開発を担当していた『セガNET麻雀 MJ』の開発は、セガ・インタラクティブの研究・開発組織となったセガ・インタラクティブ第一研究開発本部並びにセガ・インタラクティブ第二研究開発本部が引き続き行う。セガホールディングス設立後から行われている事業再編計画により、セガホールディングスが保有していたインデックス(後のiXIT)全株式は澤田ホールディングスへ譲渡され、セガサミーグループであるサミーネットワークスはエンタテインメントコンテンツ事業から遊技機事業へセグメントが変更されたと同時に、セガホールディングスが保有していたサミーネットワークス全株式はサミーへ譲渡された。これに伴い、2016年4月1日以降のセガグループにおけるコンシューマ事業は、セガゲームスと子会社3社(アトラス、f4samurai、プレイハート)の4社だけで手掛けることになる。経営面では、広告宣伝費の高騰などからセガ時代の2012年3月期から5期連続で7億7900万円 - 93億5800万円の営業赤字となっており、最終決算においても貸倒引当金繰入や事業再編損などでセガ時代の2014年3月期から3期連続で34億500万円 - 102億100万円の最終赤字となっている。ドリームキャストの製造中止を発表した2001年以降はコラボレーションによるソフト開発や、アーケードゲーム基板「Triforce」の共同開発などで、かつての競合他社である任天堂に急接近している。当初はゲームキューブ向け新作タイトルの供給に注力した他、後年にはWiiのバーチャルコンソール向けメガドライブソフトを提供したり、自社の代表的キャラクターであるソニックが任天堂のゲームに登場したり、アーケード版のリズム天国を共同開発したりと、その提携には拍車がかかりつつある。レベルファイブが開発したニンテンドーDSソフトイナズマイレブンシリーズが、セガのペンなどによって画面にタッチしキャラクターを操作するシステムの特許を侵害しているとして、2012年10月22日、レベルファイブに対しイナズマイレブンシリーズ8作品の販売差し止め・廃棄並びに約9億円の損害賠償(特許使用料として入る見込みだった金額)の支払いを求め東京地裁に提起した(現在係争中)。セガより発売されたゲームソフトで、日本国内での売り上げ本数100万本を突破したものは、現時点では1995年のセガサターン用『バーチャファイター2』と2006年のニンテンドーDS用『オシャレ魔女ラブandベリー DSコレクション』の2本のみである(『ソニックアドベンチャー』、『ソニックアドベンチャー2』については、リメイク作品の『ソニックアドベンチャーデラックス』、『ソニックアドベンチャー2バトル』を含めると100万本を突破している)。国外ではジェネシス(国外版メガドライブ)、ドリームキャストやゲームボーイアドバンス、ニンテンドーゲームキューブなどでの『ソニック・ザ・ヘッジホッグ / ソニックアドバンス / ソニックアドベンチャーシリーズ』や、スポーツゲームではESPNブランドもしくはSega Sportsブランドでの北米3大スポーツ「NBA / NFL / NHL」シリーズなどでミリオンセラーを連発しており、また、ドリームキャスト用ソフト「シェンムー」や「クレイジータクシー」、PlayStation 2版「バーチャファイター4」などは日本国内、海外を含めた全世界累計での販売本数がミリオンセラーを記録している。任天堂との共同開発(海外ではセガの販売)である「マリオ&ソニック AT 北京オリンピック」「マリオ&ソニック AT バンクーバーオリンピック」は2作あわせて1,900万本(全世界)の大ヒットとなっている。コンシューマゲーム進出前からの主力事業で、1964年に進出。アーケードゲームやゴルフ製品の開発・生産・販売、ALL.Net、セガプライズ・SEGAラッキーくじなどの関連事業を手掛けていたが、2015年4月1日にセガから新設分割で設立された株式会社セガ・インタラクティブへ事業移管。同時に「セガ第一研究開発本部」並びに「セガ第二研究開発本部」(旧:SEGA-AM2)も、「セガ・インタラクティブ第一研究開発本部」並びに「セガ・インタラクティブ第二研究開発本部」となった。アーケードゲーム事業と同じくコンシューマゲーム進出前からの主力事業で、1965年に進出。「セガワールド」「セガアリーナ」「ハイテクランドセガ」「クラブセガ(CLUB SEGA)」「ギーゴ(GIGO)」「岡山ジョイポリス」「サミーズレグノ」「サミーズストリート」などを直営もしくは株式会社セガ アミューズメントが運営していたが、2012年10月1日に株式会社AGスクエアを吸収合併して株式会社セガ ビーリンクから商号変更した株式会社セガ エンタテインメントへ事業を再移管。1980年代に玩具事業を立ち上げ、ピッチングマシン玩具の「ロボピッチャ」(湯川英一がテレビCMに出演)や、光線銃(テレビアニメとのタイアップに伴い「ジリオン」に改称)などの製品をリリースした。1994年5月にセガが株式会社ヨネザワ(後の株式会社セガトイズ)を買収し、統合する形でセガトイズへ玩具事業を完全に移管した。1994年7月に開業した横浜ジョイポリスを皮切りに各地エンタテインメントパークであるジョイポリスを各地に開業させ、2013年8月に「Orbi Yokohama」を開業させてセガ直営で運営してきたが、東京ジョイポリス・梅田ジョイポリス・Orbi Yokohamaの3施設は2015年4月1日にセガから新設分割で設立された株式会社セガ・ライブクリエイションへ事業移管。1994年にセガが子会社のセガ・ミュージック・ネットワークスを設立し、「セガカラ」の名で業務用カラオケ事業に参入したが、後の不振により、2007年9月1日にセガ・ミュージック・ネットワークスの全株式を株式会社BMB(後に株式会社エクシングへ吸収合併)へ譲渡し業務用カラオケ事業から撤退。かつては自動車教習所向けのドライビングシミュレーターもセガからリリースしていたが(『免許の鉄人』としてアーケード化)、現在はセガ・ロジスティクスサービスが開発・製造・販売を行っている。セガのゲームソフトから派生した作品及び提供した番組を掲げる。いずれもセガ時代のものである。他多数
出典:wikipedia
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