ロビン・ボー・カール・セーデリング(Robin Bo Carl Söderling, 1984年8月14日 - )は、スウェーデン・ティブロ出身の男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス10勝、ダブルス1勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス109位。日本語ではソダーリング、ソデルリングの表記揺れも見られる。グランドスラム準優勝2回、マスターズ1000優勝1回。特に2009年全仏オープンでは4連覇中のラファエル・ナダルに勝利。2005年から2014年までの10年間でナダルが唯一敗北した選手である。 また2010年の全仏準々決勝では、2004年ウィンブルドン以降6年近くにわたりグランドスラム23大会連続準決勝進出していたロジャー・フェデラーに勝利し、フェデラーの連続記録ストップに成功した選手でもある。2011年7月を最後にツアーから遠ざかっていたが2015年12月23日正式に現役引退。5歳からテニスを始め、2001年にプロ入り。2002年の全米オープンで4大大会にデビューし、マルセロ・リオスとの2回戦に進出する。2003年はウィンブルドンでティム・ヘンマンとの3回戦に進み、故国の大会「ストックホルム・オープン」でツアー大会初の決勝戦に進出した。この時はマーディ・フィッシュに 5-7, 6-3, 6-7 で敗れ、最初のチャンスを逃している。2004年、彼は男子テニス国別対抗戦・デビスカップのスウェーデン代表選手に初選出され、同年のアテネ五輪代表にも選ばれた。初めてのオリンピックではシングルス・ダブルスとも1回戦敗退に終わり、シングルス1回戦はスペイン代表のフェリシアーノ・ロペスに敗れ、トーマス・エンクビストと組んだダブルスでもイスラエル代表のジョナサン・エルリック&アンディ・ラム組に敗れた。オリンピックの2か月後、10月のフランス・リヨン大会決勝戦でグザビエ・マリスを 6-2, 3-6, 6-4 で破り、ツアー初優勝を果たす。2005年1月末のイタリア・ミラノ大会決勝戦で、セーデリングはラデク・ステパネクに 6-3, 6-7, 7-6 で競り勝ち、ツアー2勝目を獲得した。それからしばらく低迷ぎみの時期があったが、2008年にシングルスで4大会の決勝戦に進み、2度目のオリンピックにも出場した。ウィンブルドン終了直後のスウェーデン・バスタッド大会で、セーデリングは同国の先輩選手ヨナス・ビョルクマンと組んでダブルス初優勝を決めた。8月の北京五輪もシングルス・ダブルス1回戦敗退に終わり、シングルスはジル・シモンに敗れ、ビョルクマンとのダブルスもスペイン代表のラファエル・ナダル&トミー・ロブレド組に敗退した。10月には「ストックホルム・オープン」準優勝とリヨン大会の優勝があった。ストックホルム・オープンでは準決勝で錦織圭を 6-1, 6-0 で圧倒し、決勝でダビド・ナルバンディアンに 2-6, 7-5, 3-6 で敗れて準優勝となる。リヨン大会の決勝では地元フランス人選手のジュリアン・ベネトーを 6-3, 6-7, 6-1 で破り、同大会で4年ぶり2度目の優勝を決めた。こうして、セーデリングは3年半ぶりのツアーシングルス3勝目を獲得した。2009年全豪オープンで、セーデリングは2回戦で3年前の準優勝者マルコス・バグダティスに 6-3, 5-7, 3-6, 3-6 で敗れた。この年前半はなかなか勝てなかったものの、全仏オープンで旋風を起こし、4回戦で大会5連覇を目指した第1シードのラファエル・ナダルを 6-2, 6-7, 6-4, 7-6 で破る勝利を挙げた(2005年に全仏初出場から初優勝したナダルにとっては、これは大会初黒星だった)。それから準々決勝でニコライ・ダビデンコ、準決勝でフェルナンド・ゴンサレスを連破した。決勝戦では第2シードのロジャー・フェデラーに 1-6, 6-7, 4-6 で敗れて準優勝になり、スウェーデン勢として1988年のマッツ・ビランデル以来21年ぶりとなる全仏優勝は成らなかった。初優勝したフェデラーは、セーデリングの前で宿願のキャリア・グランドスラムを達成した。ウィンブルドン以後、彼の名前はスウェーデン語読みにより近い「ロビン・セーデリング」と表記されるようになる。ここでは4回戦でフェデラーと顔を合わせ、4-6, 6-7, 6-7 のストレートで敗れた。この後、彼は7月にスウェーデン・バスタッド大会の決勝でフアン・モナコ(アルゼンチン)を 6-3, 7-6 で破り、ツアー4勝目を獲得した。2009年は前半の10大会でわずか9勝しかあげられなかったが、全仏オープン以降は地元スウェーデンの大会で優勝するなど40勝10敗と驚異的なペースで勝ち星を重ね、ランキングを9位まで上げる。アンディ・ロディックが負傷により辞退したために、その年のランキング上位8名しか出場できないATPワールドツアー・ファイナルにも繰り上がりで出場する。大会では最下位シードながらも世界2位ラファエル・ナダル、世界3位ジョコビッチをストレートで破り、グループBを1位で通過する。準決勝ではフアン・マルティン・デル・ポトロに逆転で敗れた。2010年は、年初の全豪オープンでまさかの初戦敗退を喫したが、2月のABNアムロ世界テニス・トーナメントでミハイル・ユージニーの途中棄権により優勝。全仏オープンでは準々決勝でロジャー・フェデラーを下し、フェデラーが続けていたグランドスラムの連続準決勝以上進出記録を「23」で止めたが、決勝でナダルに敗れ、2年連続の準優勝となった。ウィンブルドンでも準々決勝でナダルに敗れた。パリ・マスターズではガエル・モンフィスに 6–1, 7–6 で勝利して初のマスターズタイトルを獲得。ランキングを自己最高の4位に上げた。開幕戦のブリスベン国際で アンディ・ロディックを 6–3, 7–5 で破りツアー7勝目を挙げた。全豪オープンは4回戦でアレクサンドル・ドルゴポロフに 6-1, 3-6, 1-6, 6-4, 2-6 で敗退。2月のABNアムロ世界テニス・トーナメントでジョー=ウィルフリード・ツォンガを 6–3, 3–6, 6–3 で破り連覇、ツアー8勝目を挙げた。翌週のマルセイユ大会でもマリン・チリッチを 6–7(8), 6–3, 6–3 で破り優勝した。全仏オープンは準々決勝で去年の決勝の再現となったラファエル・ナダルに 4-6, 1-6, 6-7(3) で敗れた。7月のスウェーデン・オープンでは決勝でダビド・フェレールを 6–2, 6–2 で勝利し地元でシングルス10勝目を挙げた。しかしこの試合を最後に、単核症のためツアーから離脱する。以降は単核症の症状に苦しみツアーに復帰できず、事実上の引退状態となっていたが、2015年12月23日正式に現役引退を発表した。パワフルなグラウンドストローカー。両手バックハンドは正確性を重視するが、フォアハンドはツアー屈指の威力があった。サーブも最速220キロ以上と強力であり、ハードコート、クレーコートを得意としていた。
出典:wikipedia
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