佐竹 健太(さたけ けんた、1978年10月23日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの打撃投手。広陵高校からNKKに入社。1999年夏の都市対抗野球では三菱自動車水島の補強選手として出場し、ベスト4の成績をおさめた。1999年のドラフトで、広島東洋カープから5位指名を受け、入団。2000年、球速は最速137km/hだが、キレのあるストレートと抜いてくるカーブを投げ分ける技巧派左腕として活躍し、ルーキーながら22試合に登板してチームに貢献した。2年目の2001年には左のワンポイントリリーフを志向して自らサイドスローに転向した。しかし一軍では2001年は1試合、2002年は6試合の登板にとどまり、2003年にはプロ入り後初の一軍登板なしに終わった。2004年は、2月のキャンプ中盤に胸郭出口症候群で離脱したが、7月に2年ぶりの一軍復帰を果たした。肩・ひじへの負担軽減のため、サイドスローから従来のオーバースローに戻した。32試合に登板して防御率3.91の成績を残し、プロ初勝利を挙げた。2005年は、プロ入り初の開幕一軍を果たすと、ほぼ一年間一軍に帯同し、自己最多の50試合に登板した。オリックスに移籍した菊地原毅に代わる左のワンポイントとして重宝され、半分以上が1イニング未満の登板だった。しかし被打率は左打者のほうが悪く、四球も多かった。2006年、6年間付けていた背番号36から13に変更した。32試合に登板し、チームで唯一3年連続30試合以上に登板した。マーティ・ブラウン新監督によって1イニング以上を任される起用法に変わり、プロ入り後初めてイニング数が登板試合数を上回った。10月28日の秋季キャンプで左ひじ痛を発症したが、前回の病気と同じく手術をしないことを決断した。2007年は球速が上昇し、140キロ後半まで出るようになった。シーズン前半は二軍だったが、後半にワンポイントとして起用され、20試合に登板。しかし被打率は右打者に5割以上、左打者にも3割打たれた。2008年7月18日、牧野塁とのトレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。背番号は14。7月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦で移籍後初登板。(2回1/3を1失点。)その後9月7日の北海道日本ハムファイターズ戦で先発の一場靖弘のあとを受け4回から7回までを無失点に抑えて、移籍後初勝利を挙げた。最終戦の対福岡ソフトバンクホークス戦では、松中信彦に投じた初球が併殺打となり、その裏にチームがサヨナラ勝ちしたために球団史上初の1球勝利(史上26人目)を達成した。その年の契約更改では、楽天選手初の保留者となった。2009年シーズンは、チームの先発左腕が不足しているチーム事情により先発転向を目指し、オープン戦では先発で登板した。しかしシーズン中はワンポイント及びロングリリーフで起用された。2010年は20試合、2011年は17試合、2012年は3試合にいずれもリリーフで登板したが、目立つ結果は残せなかった。2012年10月2日に球団から戦力外通告を受けた。2013年からは楽天の打撃投手を務める。140km/h台前半~中盤のストレートとカーブ、スライダー・スクリュー・シュートを投げる。♪『何度でも』 / DREAMS COME TRUE(2008年途中~)
出典:wikipedia
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