戒厳(かいげん)とは、戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合に、国民の権利を保障した憲法・法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍部の権力下に移行することをいう。軍事法規のひとつであり、戒厳について規定した法令を戒厳令(英語:martial law)という。本来は極端な治安悪化や暴動を中止させるために行われる。しばしば、非常事態宣言と共に、軍部によるクーデターで活用される。フランス革命中の1791年にフランスで施行された「戦場及び防塞の維持区分、防御工事等の警察に関する法律」に淵源する。また、1848年革命後のプロイセン王国で施行された「戒厳に関する法律」がある。共に限定地域において常法を停止し、指揮官掌下で軍隊を率いて警戒するとされていた。戒厳を宣告するには、その地域が定められなければならない(全国の場合も理論的にはありうる)。日本の戒厳令においては、以下の2種類の戒厳地域区分が存在した。大日本帝国憲法制定前の法体系において戒厳の態様を規定していたのが1882年(明治15年)8月5日太政官布告第36号「戒厳令」である。その後、1889年(明治22年)2月11日に公布された大日本帝国憲法の第14条において、「天皇は戒厳を宣告す。戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む」とし、憲法の体系に組み込まれた。このように、「戒厳令」は「戒厳」を規定した法令の名称であり、「戒厳の布告」により、「戒厳令」に規定された非常事態措置が適用されることになる。また、東京周辺が騒乱状態に陥った際、例えば二・二六事件時にとられた行政措置(後述)を「戒厳」ということもあるが、厳密には正しい表現ではない。なお日本の現行法では、戒厳に関する規定、戒厳令に相当する法令は存在しない。臨戦地境戒厳は、日清戦争中の広島市宇品地区、日露戦争中の長崎市、佐世保市、対馬、函館市、台湾全域、澎湖島、馬公要港に布かれた。以上、「戒厳令」で規定された戒厳の他に、東京周辺にて緊急勅令に基づくいわゆる「行政戒厳」が宣告された例が3例ある(日付は勅令の公布日)。いずれの場合も、戒厳令で想定する臨戦・合囲の地域には該当しない。そこで緊急勅令では「一定ノ地域ニ戒厳令中必要ノ規定ヲ適用スル」として戒厳令の規定を準用したのである(「必要ノ規定」に該当する条文はあらためて後続する緊急勅令で限定的に列挙されている)。つまり、これらの戒厳措置は戒厳令に根拠を有するのでなく、あくまで緊急勅令による騒乱鎮圧を目的とした行政措置だったと考えられる。日本国憲法下の現行の法体系には「戒厳」に関する規定はないが、武力攻撃事態対処関連三法(いわゆる有事法制)中の武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(以下有事関連法)がこれに近似した効力を持つとされる。但し、同法に見られる「戒厳」類似の規定はあくまで国会の事前承認に基づく「非常事態権」に類するものであると考えられ、現行の法制下においては日本国憲法との整合性等の問題もあり、本格的な国家緊急権は認められていない。また大規模地震対策特別措置法を根拠とする「地震災害に関する警戒宣言」が発されると、強化地域内で鉄道の運行が停止、高速道路の一般車両通行が禁止され、多くの官庁・企業・教育施設等も日常の業務を停止するため、一部マスコミ等において同法および同宣言を比喩的に「戒厳令」と称することがある。中華人民共和国では1989年5月19日に、六四天安門事件に伴い戒厳が布告された、続いて李鵬首相が戒厳令の必要性を訴える講話を行った。戒厳の布告を受けて厳しい報道管制が敷かれ、日本やイギリス、西ドイツなどの西側諸国のテレビ局による生中継のための回線は中国共産党によって次々と遮断されていたものの、アメリカのCNNは依然として世界各国へ向けた生中継を続けていた。台湾では、1949年(民國38年)7月7日以降、蒋介石率いる中華民国、中国共産党との戦争を準備するによって、1948年に動員戡乱時期臨時条款が施行されて、1949年5月19日に台湾に戒厳が布告された。その後、蒋経国が五一九緑色運動の高まりを受けて1987年7月15日に解除するまで、38年間もの長期に亘って施行され続けた。韓国では戒厳が布告された例は下記の通り。
出典:wikipedia
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