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アグネス・ラム

アグネス・ラム(本名アグネス・ナラニ・ラム、Agnes Nalani Lum 1956年5月21日 - )は、1970年代後半に日本で活躍したハワイ州オアフ島出身の中国系アメリカ人モデルで、スペースクラフト所属であった。ちなみにアグネス・チャンも、同じ事務所(ただし、香港出身のチャンとラムの間には何の姻戚関係もない。当時はよく勘違いされていたが“アグネス”はファーストネーム)。このため、両者のファンは、2人まとめて「両アグネス」と称することもあった。日本で最初に活躍したグラビアアイドルとされており、グラビアアイドルの先駆者と称されている。中国人の父親とハワイ人の母親(イングランド、アイルランド、ポルトガル、ハワイアンの血を引く)をもつ。4人姉妹の末っ子。姓のラムは、父親の姓「林」の広東語読みである。1974年5月のハワイ大会で当初ミスUSAに選ばれたが、18歳未満によりタイトルを失う。同年地元の高校を卒業後に、日本からのハワイロケ映像撮影関係者にスカウトされ、モデルとして活動を始めた。1975年3月初来日、「グリコ天然ジュース」のグリコ協同乳業と 雑誌「non-no」のモデルに選ばれ日本デビュー、同年の11月ライオン油脂の「エメロンミンキー」というトリートメント剤(当時、リンスは定着していたが、トリートメントはまだ普及していなかった)のCM出演が評判となり、たちまち大人気となった。他に「アクエア」の資生堂・「コダックインスタマチック」のコダックのTVCF出演あり。つぶらな瞳の美少女、日焼けした小麦色の肌、豊かなバスト(当時巨乳という単語はなかった)、愛くるしいルックスの肖像写真は一世を風靡、当時の若者に「アグネス・ラムフィーバ」が起きた。1975年11月に来日、渋谷・東急百貨店で開催された「写真展兼サイン会」には会場に入りきれないファンが、隣のビル屋上までに詰めかけている。アイドルは、まず歌手活動がメインというのが常識だった時代に、グラビアを中心とした芸能活動を行い、のちに元祖グラビアアイドルと呼ばれるようになった。1976年夏に、近藤正臣と共演したトヨタ・スプリンタートヨタ自販、旭化成、クラリオン、コカコーラ、象印、ミヤタ自転車など多数のCM出演をしている。同年に「週刊プレイボーイ」、「平凡パンチ」、「GORO」、「週刊少年マガジン」や、当時のアイドル雑誌「ガール・ガール・ガール」(集英社)、「クランクイン」(辰巳出版)などのカバー・グラビアページに多数登場した。他に「週刊読売」のカバー表紙を15周中10周飾った。1976年夏に来日がキャンセルされる。1976年9月にプロモーション映画『太陽の恋人 アグネス・ラム』(東映25分、三堀篤監督、高中正義音楽・主題歌「Sweet Agnes」)が公開された。同作品は、8ミリフィルム、ビデオテープとして1970年代に市販された。2003年3月に、54枚の写真カード等を付けて限定500個を謳いDVDとして発売された。高中のミュージック・ビデオ『Go-On』にも映像が登場している。1976年11月12日に来日、スター千一夜に出演。1976年以降何回か、NHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場。1977年にシングル『雨あがりのダウンタウン』をリリースし歌手デビューも果たす。ハワイロケの『帰ってきた若大将』(加山雄三主演、1981年)にゲスト出演した。1980年代初頭にもハワイでの撮影で「英会話番組」などに出演したが「フィーバ」は1975~79年辺りである。1977年夏に来日、後楽園ジャンボプールで2ステージ(水着披露とシングル『雨あがりのダウンタウン』歌唱キャンペーン)アグネス目当てに5万人来場。1979~1981年 大磯ロングビーチキャンペーンガール。1983年引退。1986年に、幼なじみで高校時代の先輩と結婚、翌1987年12月双子の息子が生まれた。1990年代初頭に「金鳥 タンスにゴン」のCM出演をした。1996年にダイハツのパイザーの新型車CMキャラクターとして、子供たちと一緒にテレビCMに登場し、人気絶頂の時期とあまり変わらない体型を披露している。2000年には日本テレビ「あの人は今」にも出演した。2010年代の現在でも週刊誌などの取材に好意的に応じている。1998年に、A4判のフォト&エッセイ『エデンの南 My Hawaiian Way of Life アグネス・ラム家族の風景』(稲治毅撮影、彩文館出版)が刊行した。1976年に愛宕書房による、『「映画ファン」7月臨時増刊号 アグネス・ラム特集号』と、『「映画ファン」9月臨時増刊号 CMアイドル特集アグネス・ラム』(各.数十ページで、今でいうムック)が発行された。同年に、長友健二撮影『アグネス・ラム ヤング・アイドル・ナウ Vol.16』と、『アグネス・ラム ひとりぼっちのメルヘン』<エコーブックス:新書版>が刊行(各勁文社)。他に『写真集アグネス・ラム』(アルファ東京出版部、1978年)もある。他に総特集ではないが、『平凡パンチ臨時増刊 アグネス・ラム HAWAIIAN GIRL’S 76』、『週刊プレイボーイ特別編集 アグネス・ラム&CMアイドル特集号』がある。いずれも古書値はプレミアがついている。2000年4月に長友健二撮影のグラビアは、大判写真集『Agnes Lum』(ハローケイエンターテインメント)で出版されたが、短期間で品切になり、これも定価より高価な古書値となっている。長友は2006年に亡くなったが、2007年2月に回想記『アグネス・ラムのいた時代』(長田美穂共著、中公新書ラクレ)が刊行された。他に各小学館で、篠山紀信撮影の『激写 別冊ビッグGORO』(1976~77年の数冊)や『135人の女ともだち 篠山紀信激写全撮影』(1979年)。池谷朗撮影の『金環蝕』(竹書房、1993年)と、『Fairies』(KSS出版、1999年)に、一部入っている。他に雑誌のグラビアページ掲載号も含め、当然それぞれにプレミアが付いている。なお「トヨタ」始め、当時の商品広告で使用されたポスターやカレンダー類も相当な価格で取引されている。2000年に池谷朗は、電子出版で『アグネス・ラム写真集 Hibiscus』(蔵衛門デジBOOK:90ページ)。篠山紀信は、「篠山紀信作品サイト シノヤマネット  アグネス・ラム1/同 2/同 3」(小学館、各50枚)を、それぞれネット販売している。2000年12月に刊行された『20世紀のヴィーナス』(「週刊プレイボーイ」創刊35年記念特別編集、集英社)や、2008年4月に刊行された『平凡パンチ 甦れ、アイドルの時代 永久保存版写真集』(マガジンハウス)のグラビアページに一部入っている。2012年9月に、長友健二撮影で未公開写真を多く入れた『アグネス・ラム写真集』(マガジンハウス)が刊行された。現在は、ほぼ全てがダウンロード販売されている。

出典:wikipedia

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