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ファミリーコンピュータ

ファミリーコンピュータ (Family Computer) は、任天堂より1983年(昭和58年)7月15日に発売された家庭用ゲーム機。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコン・FC。2013年(平成25年)7月15日に発売30周年を迎えた。日本国外では“Nintendo Entertainment System”(ニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:NES)として発売されている。また、2016年に30本のソフトウェアを内蔵し、オリジナルの筐体を小型化したデザインで復刻したニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ(後述)が発表された。ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していたドンキーコングが見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された。1981年3月、シャープがオーブンレンジの発売を受けて「ファミコン」を民生用電気機械器具(家電)の区分で商標登録し。1983年10月には娯楽用具の区分でも商標登録。その後、娯楽用具の区分での「ファミコン」商標を任天堂に譲渡した。そのため、家電区分での「ファミコン」商標はシャープが今も保持している。開発は1981年(昭和56年)11月頃より、当時業務用ゲーム事業の縮小によって手の空いていた開発第二部(上村雅之らアーケードゲームの開発陣)が行った。開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとしてコレコビジョンを据えた。「ファミリーコンピュータ」の名前は上村が付けた(上村が名称を妻に伝えたところ、妻は「日本人はファミコンて略すに決まってる」と言ったという)。本体にえんじ色が使われているのは当時の社長の山内溥が好きな色だったためで、社長命令により決定。8ビットCPUを搭載し、ゲーム機本体のスロットに差し込むロムカセットを交換することにより様々なゲームを楽しむことができる。当初はアーケードゲームが家庭でできることをセールスポイントにしており、製品パッケージにも『家庭用カセット式ビデオゲーム』と銘打たれていた。本体と同時発売したローンチタイトルは『ドンキーコング』、『ドンキーコングJR.』、『ポパイ』の3本であるが、ほどなくして『五目ならべ 連珠』と『麻雀』が発売され、その名の通り「家族みんなで楽しめる」ラインナップが揃った。その直後に発売された『マリオブラザーズ』の後は2か月以上新作が途絶えていたものの、既出のアクションゲーム4本は全てアーケード版で実績のある移植作であり、雑誌評価でも好評価を得ていた。アーケードですでに知名度のあるソフトウェアを移植するこの手法は宣伝費の削減に貢献した。当時、汎用ICを搭載していることが多かった他社のゲーム機やパソコン等と比較して、グラフィック面に特化して設計されており、1980年代前半のアーケードゲームと比べてもあまり遜色のないグラフィックを高いフレームレートで描画できた(例:スーパーマリオブラザーズ)。販売状況は発売当初こそPPUのバグの発覚による出荷停止があり振るわなかったものの、徐々に人気化し1年間で300万台以上を販売した。1985年には『スーパーマリオブラザーズ』を発売。この作品は大ヒットとなり本体の販売にも大きく貢献し、家庭用ゲーム機の市場を大幅に拡大させていった。同年、アメリカでNESとして発売され、アタリショック以来冷え込んでいたアメリカのテレビゲーム産業を復活させた。最終的な出荷台数は日本国外版にあたるNESも合わせて、全世界累計で約6,291万台を記録した。内訳は日本国内で約1,935万台、日本国外で約4,356万台である。現在、ファミリーコンピュータの一部のゲームソフトはWii・Wii U・ニンテンドー3DSの配信サービスであるバーチャルコンソールでもプレイ可能である(ただし、いわゆるポケモンショックの影響により画面の明度が下げられていたり、点滅表現が抑えられているなどの修正が加えられたソフトが多数ある)。当時の家庭用ゲーム機としては群を抜く高性能を備えており、本体の記憶域についても「複雑なゲームに耐えるよう、巨大なスペースを持っている」と評された。もっともMSXのような汎用のコンピュータと比べれば少ないメモリ容量で当時としても貧弱な仕様ではあるが、コストと性能のバランスを考慮した上で汎用性を割り切った設計になっている。主記憶は、アプリケーションのROMカートリッジによる供給を前提に、16KbitのSRAMで構成されている。音源は、デューティー比の変更が可能な矩形波と、ノイズ、三角波、DPCMが使用可能になっており、当時の低価格帯の汎用音源を搭載したハードウェアよりも高い表現力を有しており、カートリッジ側とミキシング可能になった拡張スロットは、さらにその拡張も可能にしていた。また、NTSC信号を直接生成し、スプライトを含むキャラクターに対し、カラーで制御が可能になっているカスタムチップによる設計は、汎用チップで構成された低価格帯のコンピュータや、ゲーム機に対し、その発売されたソフトウェアもあいまって、特にキャラクタが多く動くリアルタイムゲームの実行という目的において大きなアドバンテージを示した仕様は下記の通り。筐体のえんじと白を基調としたカラー配置は、当時最も安価な部材の色だったためとよく言われているが、ファミコンの開発者である上村によると、実際のところは山内が好きな色で、当時山内が着ていたマフラーの色だったという。またプラスチックの筐体はコスト的には廉価だった金属製のボディがあまりに脆かったため、強度的に勝るプラスチックに変更したもので、コストが理由との噂を明確に否定している。十字ボタン、A / Bボタン、START、SELECTボタンをそなえたコントローラを、本体に直接接続した形で2つ持つ。横長の板状で左に十字キー、右にボタンを複数個配置した形態は、その後のゲーム機のコントローラの雛形となった。初期に製造されたコントローラーはA・Bボタンが四角いシリコン樹脂(シリコンゴム)製だったため連打がきかず、ボタンを酷使するとシリコンゴムがちぎれてボタンが抜ける問題があり、後に丸いプラスチック製のものへと改良がなされた。また、この四角ボタンの。RFスイッチは黒いままである。コントローラは本体に直接接続されているが、交換用に店頭で販売もしており、本体を分解すれば自分で交換することもできる。ボタンを含むコントローラの外装パーツのみでの販売もあった。コントローラII(IIコン、ツーコン)にはマイクを搭載しており、音声認識機能はないがある一定以上の大きさの音声が入力されているかどうかをソフト側で判別できた。この機能を利用した主なゲームには『バンゲリングベイ』や『スターラスター』、『たけしの挑戦状』、『ゼルダの伝説』、『ドラえもん(ハドソン版)』、『スターソルジャー』、ファミリーベーシックV3のサンプルプログラム『ハート』などがある。しかし、これも故障の原因となることがあった。また、本体の製造時期によってオン / オフの判別が逆にされたため、ゲームに有効なかたちでこの機能を利用するのは困難だったといわれる。後に発売されたAV仕様ファミリーコンピュータ(通称ニューファミコン)では、この機能は削除された。マイクの機能は開発者が、将来的に新しい遊び方の提案になることを想定して遊び心で付けたものである。マイクの穴は23個あるが、左上の穴1つだけが本物になっている。2005年(平成17年)9月13日に任天堂より発売された携帯ゲーム機、『ゲームボーイミクロ』のカラーバリエーションの一つである『ファミコンバージョン』は、このコントローラーのデザインが元になっている。また、クラブニンテンドー会員専用景品としてIIコンバージョンのフェイスプレートも存在する。これをファミコンバージョンに装着すればIIコンバージョンとなる。コントローラーのボタンの数は十字キーを4キー分として8キーである。その後に発売されたゲーム機のコントローラと比較して決して多くないが、当時はこれらの数のボタンをテレビ画面を見ながら一度にどうやって操作するのかという論争が一部のゲーム専門誌の中にあった。ファミコンに搭載されている音源はCPU内に組み込まれている。この音源により奏でられるBGMは、電子ゲームのようなピコピコというビープ音よりは格段に豊かな表現力を備えながらも、FM音源などと比べればまだ原始的な電子音じみている独特の音色であり、ゲームに対するイメージの1つを作り上げた。PSGと呼ばれることがあるが、狭義には特定のAY-3-8910または、その相当品のことであり、別設計である、pAPUは該当しない。以下、ファミコン音源の仕様と実際のゲームでの使われ方を挙げる。生成された音声はミキサーを通した後、さらにRFに変換されて出力される。ニューファミコンではオーディオ端子に出力される。この回路や部品が本体の製造時期によって異なるため、同じファミコンであっても本体によって音量バランスや高音域などの出方が異なる。製造期間が長いゲーム機ならではの現象といえる。なおRF変換の際に高音域がかなり減退しているためAV出力されるニューファミコンではだいぶニュアンスが違って聞こえる。一部のサウンドトラック製作では音質追求のため、RF変換される前の信号を直接取り出すよう改造された本体を使って収録したものも存在する。I/Oを含むアドレス空間が64kバイトしかなかったため、中期以降のファミリーコンピュータの歴史は、メモリサイズを確保するためのさまざまな工夫が施される。ディスクシステムの登場もその一環といえる。その中でも最も多く使われた方法がMMC (Multi-Memory Controller) である。MMCはプログラムROMおよびキャラクタROMをバンクに分割し、必要に応じて切り替えるためのゲートアレイであり、カートリッジ内に搭載されている。MMCには実際に実用化されたものだけでも6種類が存在し、スクロール方向の制御などのPPUを補う機能のほか、バッテリーバックアップメモリ、割り込みを発生させるタイマカウンタ(ラスタースクロールなどで活用される)を搭載したものなどもあった。この方式は同社のゲームボーイにおいてもMBC (Memory Bank Controller) として使用されることになる。MMCと類似のICはサードパーティー各社で開発されており、コナミのVRCチップ等がある。1993年(平成5年)12月1日には新型機AV仕様ファミリーコンピュータ(エーブイしようファミリーコンピュータ)が発売された。この名称は他のゲーム機ではすでに主流となっていたコンポジットビデオ出力によるテレビ接続が可能となったことに由来する。製品の箱には AV仕様ファミコンの略称が記載された。さらにテレビCMで用いられたニューファミコンの通称もあり、一般にはこの名で呼ばれることが多い。当初は10月をメドに発売される予定だったが、RF出力からビデオ出力への仕様変更により延期された。北米にて先行発売されたNES2では逆にAV出力が省かれ、RF出力のみとされた。AV仕様ファミリーコンピュータはコストダウンを図った廉価機として発売されたものの、ディスクシステムなど従来の周辺機器もほぼ全て使用できるなど取り扱いも容易となったことからレトロゲームの愛好者からは珍重された。中古市場ではAV仕様ファミリーコンピュータの方が台数が少なく高値な場合が多い。ACアダプタとRFスイッチは旧型機やスーパーファミコンとの共用が可能との理由で別売とされた。コントローラやAVケーブルなど旧型機に使用できないAV仕様ファミリーコンピュータ専用周辺機器にはNEW FFマークが付けられた。任天堂以外から発売されたNEW FFマーク付き周辺機器にはNewホリコマンダー等がある。旧型機 (HVC-001) との主な変更点は以下のとおり。AV仕様ファミリーコンピュータは、スーパーファミコンの廉価機「スーパーファミコンジュニア」とともに2003年9月をもって製造出荷を終えた。最後に製造されたAV仕様ファミリーコンピュータは任天堂が保管し、2003年-2004年にかけて開催されたテレビゲームの展覧会レベルXでは「ラストファミコン」の名前で展示された。このラストファミコンの製造年月は2003年9月25日、製造番号はNH11033309である。ファミコンボックスは、1986年(昭和61年)に任天堂がリリースした業務用向けファミリーコンピュータ。本体内に最大15個のファミコンソフトを内蔵する(交換可能)。主にホテルや旅館に設置されており、本体に設置されているコインボックスにコインを入れると本体に内蔵されたファミコンソフトを10分または15分間遊ぶことができる。リセットボタンを押す事で制限時間内であれば、他のゲームに切り替えることができる。制限時間1分前にはプレイ画面の明滅と共に警告音が鳴らされ、さらにコインを入れるとプレイ時間が追加される。コインを追加しない場合はゲームの進捗にかかわらず「Time Up」と表示し強制終了する。課金方式は設置者により他に2種類(ビジターキー方式、CATV方式)あり、この場合は制限時間はない。プレイ中以外は内蔵されたソフトのデモ画面を順番に繰り返して表示する。附属のコントローラーと光線銃はNESから流用され、ファミコンボックスのソフトもNESと同じ形状のカセットになっている(ただし、NESとの互換性はない)。シャープ版の「ファミコンステーション」もある。2013年(平成25年)現在でも、佐渡汽船のカーフェリー内や一部の旅館などでファミコンボックスが稼動しており、実際に遊ぶことができる。類似品として北米市場には “Nintendo M82” が存在するが、こちらは店頭でゲームをテストプレイするための販促用デモ機であった。1990年(平成2年)には後継機として、業務用向けスーパーファミコンのスーパーファミコンボックスがリリースされた。「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」として、当時のデザインのまま小型化した任天堂公式の復刻版が発表された。大きさが異なるためカセットゲームを差して遊べないが、当時のゲームのうち30種類が標準で内蔵されている。日本版とは別にNintendo Entertainment Systemを模した製品の発売も予定されているが、国内での発売は未定である。商品名は、米国では「NESクラシック・エディション」、欧州では「ニンテンドウ・クラシック・ミニ」として発売され、欧州版は国内版と同じく、ACアダプタではなくUSBケーブルのみが電源接続用に同梱されている。尚、国内版と海外版は一部収録タイトルが異なる。以下のゲームが収録されている。ファミコンの人気が出始めた1984年頃から早くもハードウェアやキャラクターを立体化した「消しゴム」がカプセルトイ自販機にて街中の玩具店等で売られ始めた。その中には任天堂の許諾商品があったが、文字を一部入れ替えた無許諾商品も存在した。また「ポケットファミコン」と言う任天堂許諾商品のキーホルダー(ケースはカセット用を流用)、そしてロッテからは食玩の「ファミコンチョコ」が、サードパーティによるゲームソフトのボードゲーム等数多くの関連商品が売られた。ファミコンの製造が終了した2003年以降、本体やコントローラーを模した形のグッズが出るようになった。キーホルダー・クッション・時計など様々なものが発売されている。懸賞プレゼントやプライズゲーム用景品など、非売品として世に出るものも多い。これらは子供時代にファミコンに親しんだ人々を主な対象とし、懐かしさを喚起する商品として企画される。グッズではないが、ゲームボーイアドバンスSPとゲームボーイミクロには本機をイメージしたカラーバリエーションがある。ファミリーコンピュータが発売された1983年当時、日本では家庭用ゲーム機、並びに低価格帯のコンピュータの市場はまだ黎明期で、複数のメーカーが争っていた(ファミコン登場以前に一歩抜けだしていたのはエポック社のカセットビジョンで累計40万台を販売している)。その中でファミコンは競合製品と同価格帯にありながら、特化された設計により、ゲームに対しては高い性能を誇ること、任天堂自身の優れたソフト開発力、サードパーティによる豊富なソフトラインアップを実現したことで他を圧倒する人気を得た。発売初期には家庭用ゲーム機業界内の後発商品としての利点もあった。アタリはファミコン発売以前に日本で大量の宣伝攻勢をかけており、テレビゲームの認知度および需要を大きく上げていた。1984年7月に発売されたハドソンの『ロードランナー』が140万本、同年9月に発売されたナムコの『ゼビウス』が150万本を販売すると、タイトー、コナミ、カプコンなどが相次いでファミコンに参入した(1987年末までにはゲーム業界大手から異業種の企業まで60社近くがサードパーティに名を連ねることになる)。そして、85年9月に発売された任天堂の『スーパーマリオブラザーズ』でファミコンの人気は決定付けられた。これら三本の人気ソフトの貢献でファミコンブームに火が付き、84年度294万台、85年度411万台を販売。最終的には累計1900万台以上という空前の販売台数を記録することとなった。ファミコンソフトの発売タイトル本数はバンダイナムコエンターテインメントが83本で1位、2位はコナミで59ポン、3位はバンダイで58本、4位は任天堂で51本、5位はタイトーで49本である。ファミコンが採用している、ゲーム機本体とゲームソフトを別にする「ロムカセット取替え式」という仕組みは1976年に発売されたフェアチャイルドセミコンダクターの家庭用ゲーム機Video Entertainment Systemが、サードパーティーという概念は1977年にアタリが発売したVideo Computer Systemがすでに作り上げたもので、任天堂のオリジナルではない。当時の任天堂の販売戦略としては次のような要目があった。当時の任天堂社長である山内は、当初「本体価格を1万円以下に抑えよ」との要求を出しており、それを踏まえて上村らのハード開発部隊は徹底的に製造費を下げる方針を採った。一例として、本体付属のコントローラがアタリのジョイスティック型ではなく十字キー型を選択したのは、「子供がうっかり踏んづけても壊れにくい」構造にするという理由もあるが、主眼は製造費用の抑制のためである。さらに当初コントローラはコネクタ接続を予定していたが、コスト低減のためにコネクタを省略して本体直付けとした。また本体のプラスチックが白と赤の二色となったのも「プラスチックの中で最も原価が安いものを選んだ」結果である。ただし本体の色については「山内の指示で赤が選ばれただけで、製造費低減のためではない」とする説もある。またこれまでのゲーム機は主に玩具流通で販売されていたが、ファミリーコンピュータはディスカウントストアでも販売され、価格も値下げされていた。値下げ前の価格でも敬遠していた一般層がこれを機に購入するようになり、爆発的な人気に発展したとされている。ただし値下げ販売を快く思わなかった任天堂は、値下げ店への対策として一時出荷を停止している。単純に定価だけ見るのであれば同日に発売されたSG-1000と同程度、ほぼ同時期に発売のカセットビジョンJr.と比べれば実に3倍近い価格である。同年に日本で発売された主な「家庭用テレビゲーム専用機」に限っても(すなわちテレビに繋がないCRT一体型機種や、キーボードの付いたゲームパソコン類を除けば)、2万円を超えるものはほぼ前述のAtari 2800くらいしかない。つまり価格そのものは、競合製品と同水準であり、前述の「低価格」は、売価そのものではなく、後述するような高いパフォーマンスを、競合製品と同水準の価格で提供したことにある。1980年代前半はまだ家庭用ゲーム機の普及率が低く、汎用のICチップを流用することが一般的であった。結果として画面解像度は低く(100×100程度)、色数も数色程度で、画面スクロールの実現も難しいゲーム機が多かった。任天堂は家庭用ゲーム機でアーケードで稼働しているゲームを遜色なく遊べるようにするために、当時人気のあったドンキーコングのアーケード基板を参考に、ゲーム向けに仕様を最適化した各種カスタムICの開発を行った。山内溥は、他社が「真似をするのに一年間はかかる」性能を要求したという。コスト要因もあり、CPUの速度やメモリの容量は抑えられることで、汎用性は低い半面、ゲームの表現力に必要で、コスト負担の比較的少ない要素は搭載した強力な周辺回路の機能により汎用パーツによって構成されたハードウェアに対し、飛躍的に表現力を向上させる事に成功した。発売半年で47万台、翌年には165万台を売り上げ、その牙城を崩す家庭用ゲーム機が競合他社から出ることはなかった。任天堂がリコーに「2年で300万台保証する」と約束したためにカスタムLSIの価格を抑えられたという話があるが、山内はこの話を否定している。また、1988年に発行された書籍『電視遊戯大全』によれば、任天堂の「2,000円で売ってほしい」という要求に対し、リコーが「100万台の生産を保証するなら可能であるが、それ以下であれば不可能である」という回答をしたという記述がある。カスタムチップのベースCPUに、当初任天堂側はアーケードゲームで使い慣れていたZ80を希望したが、リコー側は自社がロックウェルからライセンスを取得していた6502を使うことを推奨した。リコーは「6502を使うとチップ面積がZ80の1/4になりコスト面で有利なほか、日本国内で6502はあまり普及しておらず他社に真似されにくい」との理由で6502を勧め、任天堂側でも検証の結果「画像表示用プロセッサとの相性が良い」との理由で6502を採用することになった。カスタムチップの仕様を決めるに当たり、宮本茂の様なゲームデザイナーの要望を取り入れたことも当時としては画期的なことだった。当初上村らが設計したチップでは最終的な本体価格が高格になってしまうことが判明したため、製造費低減策として使用できる色の数を減らしたり、音源の性能を落としたりする必要が出てきたが、この際最終的な色の仕様などは宮本が決定したという。この様な工夫により製造費を下げつつもゲームの品質を損なわない一定の水準を確保したことも、後の人気の大きな要因となった。リコーが選ばれた背景には、(1)三菱電機で任天堂と「カラーテレビゲーム15」の後のゲーム機用LSIの開発に携わっていた八木広満がリコーに移籍し、1980年に半導体事業に参入しており、任天堂と縁があったこと、(2)リコーは1981年4月に75億円をかけて大阪府池田市にカスタムIC専用工場を完成させたが、実績不足から顧客を獲得できず苦境にあったこと、(3)当時は世界的にIC不足で、リコー以外の半導体メーカーにとっては任天堂の望む低価格高性能なLSIを製造するよりも、高価格なパソコン用LSIを製造する方がよかったことがあった。リコーの半導体事業はファミコンの好調な売れ行きのおかげで好転し、4年で黒字転換した。2003年(平成15年)9月の任天堂の正規ファミコン製造終了後も、膨大な数の中古ファミコンソフトが日本中に流通しており、ファミコンソフトを遊ぶための本体が必要とされている。これらの需要に応えるため、および家庭用ゲーム市場が発達していない途上国向けに、2012年(平成24年)現在においてもファミコン(およびNES)のソフトが動作する安価な互換機が多数製造され、国内外で販売されている。「ファミコン」は、その影響力の大きさから早々に普通名称化し、テレビゲームの事情に疎い年配層を中心にテレビゲームそのもののこと(特にゲームハード)を指す代名詞として用いられた。任天堂は新型機となるAV仕様ファミリーコンピュータへの生産切り換えを行いつつ、日本国内においては新作ソフトの製作・販売を終えた後も本体の製造を続けていたが、発売から20年後となる2003年の9月末、部材調達の困難などを理由として生産を打ち切った。累計販売台数約1935万台の大ヒット商品となった。その影響力の大きさと他のゲーム機と比して圧倒的な普及率の高さゆえに当時の子ども達の遊びや話題の主流を占めるに至ったが、「ゲームに没頭し、勉強しなくなる」という理由からファミコンやコンピュータゲーム全般に対し根強い反感や嫌悪感を示す保護者や教育者も存在し、頑として買い与えないケースも見受けられた。また金銭的事情でゲーム機やソフトの購入が困難な家庭も存在した。カセットは作品によって色が違っており、色以外に独自の意匠を凝らしたものも存在した。大容量のロムを採用した作品はカセット自体が大きくなっている。カセットの色やサイズがバラバラなのはソフトメーカーが自前でカセットを作っていたためである。また、日本を除く東アジアを中心に任天堂へライセンス料を払わずに、日本で発売されたファミコンソフトをそのまま違法コピーしたものやPCエンジン・スーパーファミコン・アーケードゲームなどから勝手に移植されたゲームなどの海賊版ファミコンソフトが出回っていた。中には日本製ゲームのパッケージデザインをそのまま盗作しているものまであった。なお、2003年にファミコン本体の特許が切れたため、日本でもファミコン互換機が販売されている。しかし日本国内で市販されているハードにおいてもファミコンの人気ソフトを基にして作成したソフトが内蔵されている場合がある。また海外ではファミコンの特許が切れる2003年以前から任天堂へライセンス料を払っていない互換機が見られた。この中には数百本のファミコンソフトを内蔵したハードすら存在する。2011年からはスーパーファミコン互換機も特許が切れたため販売されている。2011年(平成23年)に地上波デジタル放送への完全移行が行われたことによって、アナログチューナー付きのテレビが姿を消しつつある。ファミコンはアナログテレビの電波信号を使って出力する仕組みであり、デジタルチューナーには対応していないので使用することができない。これは他のRF接続にしか対応していないレトロゲーム機でも起きている問題である。これはアナログ放送でも、ケーブルテレビなどで1chと2chが同時に使われている場合があり、似たような問題が起こっている。アナログテレビ放送と同じコンポジット映像信号を扱えるRCA端子が備わっているテレビであれば、RF出力の信号をコンポジット出力信号に変換する周辺機器を使うか、新たに回路を組んでコンポジット映像信号を取り出すことで使用が可能になる。例えば、家庭にある古いビデオデッキなどを変換用に使うなどである。もしくは、コンポジット映像信号を出力可能なAV仕様ファミリーコンピュータやツインファミコンを使う方法がある。ごく一部では通常のファミリーコンピュータに電子回路を組み込みAV接続対応に改造する業者も存在する。2007年(平成19年)10月31日をもって任天堂はファミコンおよびスーパーファミコンのサポートを打ち切った。24年にわたり修理などの依頼は受けつけていたが、本体の製造同様、部品の調達が困難になったことなどが理由とされている。後年になっても主にファンの手により何度か非公認の新作ファミコンソフトが発表されている。例えば、2007年にはCS番組『TVゲームジェネレーション 8bitの魂』内の企画でPROJECT-F(プロジェクト エフ)から『ミスタースプラッシュ!』という2人用ゲームが作成され、「13年ぶりの新作ソフト」と称された。これは翌年発売の同番組のDVDボックスにROMデータが(初回限定版では実物のパッケージとマニュアルも)収録され、一部のショップでは限定特典として実物のファミコン用ROMと基板が自作キットの形(カセットの外装は無し)で付属した。また漫画家・イラストレーターのRIKIはかねてより同人ファミコンゲーム『キラキラスターナイト』を制作しており、そのROMデータが書籍のCD-ROMに収録という形で2013年に販売されている。そのRIKIのプロデュースにより、2016年1月30日にはコロンバスサークルから新作ファミコンソフト『8BIT MUSIC POWER』が全国発売された。同作はゲームではなく音楽アルバムソフトであり、なおかつ任天堂ライセンス製品ではないが21年ぶりの新作ファミコンソフトの発売ということで話題となった。ゲームについても上記『キラキラスターナイト』に改良を加えたものが『キラキラスターナイトDX』として同サークルから2016年10月6日に発売。"ウラワザ"と称するデバッグモードも搭載した。なお音楽目的のファミコン用カートリッジの例としては、ファミコンの内蔵音源を利用してSDカード経由での音楽再生を行う「TNS-HFC5」等が、自主製作ハードウェアサークルT.N.S.(テラネットワークシステム)から何度か発表されている。これはRF出力ではなくカートリッジのLINE OUTから音声出力されるもので、ソフトというよりは周辺機器に近い外装なしの基板だった。増設ユニット「TNS-HFX4」を併用することで、拡張音源を備えた一部のゲームカセット(ディスクシステムのRAMアダプタを含む)の独自音源で再生することもできた。

出典:wikipedia

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