茨田 陽生(ばらだ あきみ、1991年5月30日 - )は、千葉県浦安市出身のサッカー選手。Jリーグ・柏レイソル所属。ポジションはミッドフィールダー。東京ディズニーリゾートに程近い千葉県浦安市の実家で、4人兄弟の末っ子として誕生。サッカー経験者の父、サッカー少年だった兄3人の影響で、幼稚園生の頃からボールを蹴っていた。小学校入学後は父がコーチを務めていたFC浦安ブルーウイングスに所属しながら、ジェフユナイテッド市原(当時)やFC東京のサッカースクールに通っていたが、4年生の時に柏レイソルの下部組織に加入した。中学時代から各世代の年代別日本代表に選出され、数々の海外遠征、国際大会を経験した。高校3年時の2009年にはトップチームに2種登録され、同年5月30日、18歳の誕生日にナビスコカップグループリーグ第4節清水エスパルス戦で公式戦初出場を果たした。18歳0日でのデビューは、菅沼実、大津祐樹に次ぐクラブ史上3番目の若さであった。2010年、トップチームに昇格。ネルシーニョ監督によりリーグ開幕戦からスターティングメンバーに抜擢され、同年5月16日、J2第13節徳島ヴォルティス戦で公式戦初得点を記録した。同年10月11日、第90回天皇杯3回戦ヴィッセル神戸戦で規定の試合出場時間をクリアし、プロA契約を締結。ルーキーイヤーながらサイドハーフ、ボランチとしてリーグ戦26試合に出場し3得点を挙げ、J2優勝に貢献した。2011年8月、U-22日本代表に選出され、親善試合エジプト戦に後半32分から出場した。同年のリーグ戦では、主にボランチとして27試合に出場。最終節浦和レッズ戦では、1点リードで迎えた後半31分にチーム待望の追加点を挙げ、Jリーグ史上初となる昇格初年度でのJ1優勝を決定付けた。2011 FIFAクラブワールドカップでも3試合に出場し、FIFA公式サイト上で酒井宏樹と共に「柏の誇るヤングスター」と称賛を受けた。2012年4月、U-23日本代表候補トレーニングキャンプに参加。ロンドン五輪サッカー日本代表の予備登録メンバーに選出されたが、本登録メンバーには残らなかった。クラブでは、リーグ戦28試合に出場。チームの守備面での不安定さが目立ち、ボランチとして守備に追われることが多かったが、トップ下のポジションに入った第31節ガンバ大阪戦では先制点をアシストするなど、持ち前の攻撃センスを遺憾なく発揮した。2013年はトップ下、ボランチとしてリーグ戦23試合に出場。ヤマザキナビスコカップ決勝浦和レッズ戦では、出場停止となった主将・大谷秀和の穴を埋めて浦和の猛攻を耐え凌ぎ、14年ぶり2度目のナビスコカップ制覇に貢献した。2015年は下部組織時代に指導を受けた吉田達磨が監督に就任し、4-1-4-1システムのアンカーとしてリーグ戦28試合に出場した。2016年は2ndステージに入ると本来のボランチではなく、右サイドバックとしてレギュラーに定着した。精度の高いキック、ボールコントロールが持ち味のボランチ。柏レイソルの下部組織に所属していた頃から天才肌の選手として期待が高く、その素質に対しては、当時トップチームのエースだったフランサも称賛を惜しまなかった。同じ柏の下部組織出身で1学年先輩の工藤壮人からも「センスの塊」「天才」と評されている。2011 FIFAクラブワールドカップに出場した際は、FIFA公式サイト上で「中盤センターで攻守のバランスを取るかじ取り役」と紹介され、レアンドロ・ドミンゲス、ジョルジ・ワグネルの自由な攻撃参加を陰で支えたプレーヤーとして称賛された。広い視野を持ち、後方からのビルドアップに長けているが、より攻撃センスを活かせる2列目でのプレーも高く評価されている。129||2||17||2||11||0||157||426||3||colspan="2"|-||2||1||28||4155||5||17||2||13||1||185||8|2011||rowspan=4|柏||rowspan=3|20||colspan="2"|-||2||0!通算!!colspan="2"|AFC
出典:wikipedia
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