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アウディ・90

90は、ドイツの自動車メーカーアウディが1984年から1995年まで生産していた乗用車である。実質的にはアウディ・80(2代目-4代目)の上級グレードであり、主に4気筒エンジンを搭載していた80に対して、90では主に直列5気筒エンジンを搭載し、内外装の装備が充実していた。アウトウニオンでは、ダイムラー・ベンツ傘下のアウト・ウニオンAG時代のトップモデルとしてアウディ・スーパー90(1966年1月~1971年1月)があった。ベンツの設計による1,822ccの4気筒エンジンを積んだ 90 がアウディ・60とその後登場するアウディ・100の間に登場したが、あまり売れ行きが良くないため、製造・販売を1971年に中止し、アウディ・60とアウディ・100になってしまった。1966年秋に登場したスーパー90はダイムラー・ベンツ傘下のアウト・ウニオンAG時代のトップモデル。下位モデルとして同じボディにチューンの異なる1,696ccエンジンを積んだ80、72PS(のちに75)、ひとまわり小さい1,496ccユニットを積んだ60があった。イタリアのデザイナー、フィッソーレがスタイリングを手がけたといわれるDKW・F102のボディを角型ヘッドライトなどでアレンジし、ダイムラー・ベンツ設計のエンジンを搭載した2/4ドアのファミリーサルーンで、FFによる操縦性とドイツ的に重厚な仕上げを特徴としていた。右に40度傾けてフロントにオーバーハングされた直列4気筒OHVユニットは、通常とは逆にシリンダーヘッド下面が平らで、ピストン頂部がへこんでいる特異な燃焼室を持つ。混合気がスワール状に吸入されるため燃焼効率が良く、スーパー90では1,760ccから90PSを発生した。サスペンションは前がウィッシュボーン/トーションバーの独立、後ろがトレーリングアームとトーションバーによるリジッドで、フロントブレーキはインボードディスクを採用していた。 B2はアウディ・80としては1978年にモデルチェンジした2代目に相当するモデルで、初代同様にジョルジェット・ジウジアーロのデザインであった。90は1984年に80がマイナーチェンジされた際に、上級車のアウディ・100に使われてきた直列5気筒2,300ccエンジンを搭載したモデルが分離する形で登場した。四輪駆動の「80クアトロ」も同時に「90クアトロ」となった。クーペは引き続き「アウディ・クーペ」「アウディ・クアトロ」として売られ、90シリーズには入らなかった。外観上はヘッドライトがフォグランプを組み込んだ大型のものとなっており、テールランプも大きく左右が一体になったものが採用され、クロームメッキのトリムも増やされていることで識別できる。この時期の米国では80同様、「アウディ・4000」として販売され、「90」の名前は用いられなかった。1986年9月に3代目80とともに発表された。100のイメージを取り入れた空力的なスタイルに変身したが、80の上級版という位置付けは不変であった。この代から米国でも80とともに「90」という世界共通の名称で呼ばれることになった。ラインナップはこの代から追加された直列4気筒2,000cc115馬力の「2.0」、従来からの直列5気筒2,300cc136馬力の「2.3E」、気筒当たり4バルブを持つ2,300cc DOHC 20バルブ 177馬力の「2.3E 20V」があった。また、プロコン-テンと呼ばれる独自の安全システムが搭載された。B3のビッグマイナーチェンジ版で、新型の100と共通の、センターグリルが突き出したデザインが採用された。ヨーロッパ市場では90の名は用いられなくなり80に統一されたが、米国では逆にシリーズ全体が90の名前で売られることとなった。また、5ドアワゴンの「アバント」が追加された。ホイールベースの延長、燃料タンクと後輪サスペンションの改善(アバントに折り畳み式リアシートを装着するため)、15inタイヤ装着のためのホイールアーチ大型化などが行われ、メルセデス・ベンツ・CクラスやBMW・3シリーズに対抗すべく、押し出しを強めた内外装となり、市場でもB3型より好評に迎えられた。米国向けもセダンは1995年式、ワゴンは1996年以降はアウディ・A4にバトンタッチされ、90の名は消滅した。

出典:wikipedia

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