シソイ・ヴェリキィー(Sisoy Velikiy、ロシア語:Сисой Великий)は、ロシア海軍がバルト海向けに建造した海防戦艦で同型艦はない。基本設計は同年代のイギリス海軍の前弩級戦艦であるロイヤル・サブリン級戦艦を模倣しており、船体形状は酷似している。一方でロイアル・サブリンが砲塔に囲いのない露砲塔であったのに対し、本艦はフランス式の楕円筒型の完全な砲塔形式にするなど、これまでのロシア海軍の大型艦と異なり装甲艦から前弩級戦艦への変換への過程を独自の工夫が見られる艦である。日露戦争で実戦参加し、日本海海戦の翌日に対馬韓崎の東方海上で沈没。船体形状は「トリ・スヴィティテリア」よりも乾舷の高い平甲板型船体となっている。水面下に衝角を持ち、水面から垂直に切り立った艦首から艦首甲板上に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ操舵艦橋の左右にオチキス 3.7cm回転式5連装ガトリング砲を1基ずつ計2基を配置し、艦橋の背後にミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために、遠くまで見回せる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれど、この時代の列強各国の大型艦の多くに見られたマストの形態であった。本艦のミリタリーマストは円筒状となっており、頂部と中段の二層式の見張り台が設けられており、下段部は10つの開口部から37mm(23口径)速射砲10基を配置した。後檣は単脚式である。前部ミリタリー・マストの背後には2本煙突が立ち、その周囲は煙管型の通風筒が立ち習い、その外側は艦載艇置き場となっており、様々な大きさのボート・ダビッドにより水面に下ろされた。後部甲板上には30.5cm連装主砲塔が後向きに1基配置された。本艦の舷側のケースメイト(砲郭部)には15.2cm単装砲が片舷3基ずつ計6基と、その上部に砲門を空けて47mm(43口径)速射砲を単装で片舷2基ずつ計4基を舷側配置し、上部構造物の艦載艇置き場の脇に片舷3基ずつ計6基、艦尾側に左右1基ずつ計2基を配置した。本艦の主砲は前級に引き続き国産の「Pattern 1895 30.5cm(40口径)砲」を採用した。その性能は重量331.7kgの主砲弾を最大仰角15度で射距離14,640mまで届かせる事ができる性能であった。本艦において採用された連装砲塔はフランス式の全周囲防御を持つ砲塔で、ロシア海軍の後に建造された戦艦全てのモデルとなった。仰角は15度・俯角5度であった。旋回角度は首尾線方向を0度として左右135度の旋回角が可能であった。装填形式は固定角装填式で装填角度は仰角3度で行われ、発射速度は毎分1発であった。副砲は「Pattern 1892 15.2cm(45口径)速射砲」を採用した。その性能は重量41.4kgの砲弾を最大仰角20度で射距離11,520mまで届かせる事ができる性能であった。仰角20度・俯角3度で旋回角度は100度の旋回角が可能であった。発射速度は毎分7発であった。これを舷側ケースメイト(砲郭)配置で単装砲架で片舷3基ずつ計6基を配置した。水雷艇迎撃用にフランスのオチキス社製「オチキス 4.7cm(43口径)機砲」を12基、同じくオチキス社の「オチキス 3.7cm(23口径)5連装ガトリング砲」を10基装備した。他に対地攻撃用に6.5cm野砲を片舷1基ずつ計2基有する。火砲以外に対艦攻撃用の38.1cm魚雷水上発射管を単装で6基装備し、封鎖作戦用として機雷50発も搭載できた。日本海海戦時において、当時の日本ではロシアの艦名が記憶できず特異的な呼び方をしていた。このシソイ・ヴェリキーは「薄いブリキ」と訳されていたという。
出典:wikipedia
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