巣鴨中学校・高等学校(すがもちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都豊島区上池袋に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校は、中学校から入学した内部進学生(中入生)と高等学校から入学した外部進学生(高入生)とで構成され、2015年度までは高入生は3年間別クラスとなるが、2016年度以降入学の高入生は2年次から中入生との混合クラスとなる、併設混合型中高一貫校となる。社会学者であり教育者である遠藤隆吉が私財を投じて1910年(明治43年)5月、私塾「巣園学舎」を設立。「硬教育」による英才教育を唱え、文武の鍛錬と人格陶冶を実践する場とした。1922年(大正11年)4月、旧制巣鴨中学校設立。硬教育による品性の陶冶、学問労働の一致、長幼の序を以て校是とする。2013年に解体されるまで本学園を物語っていた学園本館はこのとき建設された。堀内政三が長きにわたり第4代校長を務め(1956年6月 - 2007年3月)、学園の基礎を築いた。現在の校長は堀内不二夫(第5代校長。2007年4月 -)である。教育理念は「心身ともに努力主義」である。少年期に学問、体育に励み、精神面、肉体面で優れた「真のエリート」の養成を教育方針としている。特徴として「全教科必修主義」、「全校有段者主義」を掲げ、卒業までに柔道または剣道で初段の実力を培うことを目標にしている。中学では剣道、高校では柔道または剣道を正規の必修授業科目としている。心身鍛錬を目指した学校行事も行われている。5月に大菩薩峠越え強歩大会、7月に巣園流水泳学校(千葉県館山市)と蓼科学校勉強合宿、11月の国営武蔵丘陵森林公園マラソン大会、1月の寒稽古等、季節に応じた様々な行事がある。2012年度より、老朽化した校舎の解体を伴う新校舎の建設が行われており、2015年8月までに全ての校舎が完成した。なお、工期前半は工事が集中して行われるため、中学は2012年9月から2014年8月まで約2年間浮間仮校舎(旧・北区立西浮間小学校跡地。埼京線浮間舟渡駅から徒歩1分)に移転していた。所在地は東京都豊島区巣鴨ではなく同区上池袋である。高校では巣鴨中学からの進学者(中入生)約240名で5クラスを編成,また高校入試を経た他の中学出身者(高入生)約40名前後で1クラスを編成する。中1, 2でクラス替えはなく、中3、高1の中入生では1クラスだけ数学クラス(数学の成績優秀者を選抜したクラスで、学期ごとに成績下位の者を他クラスと入れ替えている)を設けている。中入生は高2から、高入生は高3から文数系(文系のクラス)と理数系に分かれる。硬教育の校風に則り、「制服は礼服」をモットーとしている。制服は緩みのない型のものが制定されている。ホックを襟元まで常に全部きちんと留めて着る、カラーを付けるなど、制服の規律正しい着こなしが指導される。冬服が正装であるが、5月中旬から10月上旬までは夏服の着用も認められている。前述の通り冬服が正装なので、夏季期間の夏服着用は「許可」という扱い(冬服の着用も可)だが、夏服期間外の冬服着用は義務であり、夏服着用は特例を除き認められていない。冬の上着は、紺色、前ホック留め(前の打ち合わせに6個、襟に2個)、左右にベンツ、襟・打ち合わせ・裾・袖口・胸ポケットなどに黒い蛇腹の縁取りが入った、いわゆる「海軍型」の詰襟学生服。丈は着丈58cm程度とかなり短く、他校で違反とされることが多い「短ラン」を公式に採用しているのは、全国でも珍しい。胸にポケットがあるが、両脇にポケットはない。胴回り並びに襟のサイズが一般よりきつく仕立てられ、身体にぶかぶかな制服の購入は禁じられている。左右の襟には同じ形の金色校章バッジを合計2個付け、襟の内側には、広幅の学校制定白カラーを装着する(首が痛くなるので、市販の幅の狭いカラーに取り替える生徒もいる)。校則が厳しいわりには、学年・組章がなく、中・高別すら制服を見ただけでは分からない。上着の下には、白のワイシャツを、襟の第一ボタンまできちんと留めて着用する。ズボンは脇ポケットが極端に小さく、ポケットに手が入れられないようにしてある。裾はシングル。夏季は、上着がなく、両胸ポケットで胸ポケットの蓋に校章がプリントされた、開襟シャツとなる。黒い革靴が制靴として決まっている。雨の日に白い靴下を履いて登校すると靴下が青く変色する。鞄は、制鞄、副鞄、小鞄、班バックがある。制帽があったが、1997年に着用が自由化された。2014年には学校指定のマフラーが制定された。5月上旬に行われる。深夜2時から、東京の奥多摩と山梨の塩山との間に位置する大菩薩峠を越える。全校生徒が参加するが、中学1年生にとっては入学以来初めて経験する行事である。日中に歩く場合に比べて多くの危険が伴うため、先生や卒業生がコースの至る所で生徒の安全を見守っている。天候の良い年には富士山が一望でき、その雄大さを実感することができる。また大菩薩峠には、同名小説を書き残した小説家・中里介山に因んだ「介山荘」がある。毎年出発地点が交換される。学年ごとに踏破する距離が異なり、2005年に実施された大会では、中1:20.9km、中2, 3:26.0km、高1:27.0km、高2:33.9km、高3:34.5kmのコースであった。2000年頃までは、小河内ダム駐車場~塩山北中学校の42.3kmが高校生のコースであったが、小河内ダム駐車場が利用できなくなったことにより、高校生のコースが短縮された。毎年夏休みの初めに3泊4日、千葉県館山市北条海岸にて行われる。現在は中1のみ必修となっており、中学2年生以上は自由参加である。古くから日本に伝わる伝統的な日本泳法(そのうちの水府流太田派)を学ぶ場として現在に受け継がれている。一重伸し、二重伸し、両輪伸しなどの基本泳法から始め、上級班では各種の抜き手も習い、合宿の最後には遠泳が行われる。遠泳では「遠洋、泳洋」の掛け声で館山湾を横切る。遠泳では両輪伸しで泳ぐことが推奨される。これは、両手は波面のすぐ下を撫でるように水平に円を描いて浮力を得、両足は大きくゆったりと前後に開いてから勢いを付けて閉じる「挟み足」から推進力を得る泳法である。両手両足をシンクロさせて一掻きするが、一掻きするごとに数秒間全身を一直線にして「伸し」を取る。両輪伸しでは手は水を掻かないので疲れにくく、また「伸し」を取るたびに体を休めることになるので遠泳向きの泳法である。なお巣園流では他の日本泳法各派同様、ほとんどの泳法で頭を水上に出して泳ぐ。日本泳法の他西洋泳法も学ぶ。泳法指導のほか最終日の朝に行われる宿舎対抗の歌合戦の指導にも熱が入る。歌合戦は、声量と迫力に重きが置かれるため、毎夜の歌の指導は荒々しい。泳力に応じて級分けがあり,上級班になるとヨットや和船の操船も習う。毎年夏休みの7月末から8月初めにかけて行われる。長野県蓼科高原にある蓼科学校にて、団体生活を学びながら、普段の授業では触れることのできない分野などを学習する。中学全学年と高入生1年が勉強合宿を行う。創立記念日である11月25日に、毎年国営武蔵丘陵森林公園(埼玉県比企郡滑川町)で10km走を行う。全校生必修である。学年ごとにスタートの時間差を3分ずつ取っている(制限時間は、中1は90分であるが、高3は75分)。3学期の授業開始後、ほどなく行われる。剣道・柔道・駆け足(高校生のみ)の3種目からなり、早朝、始業前から稽古が始まる。全校生徒の参加が推奨され、中1から高2までの参加率は90%以上、高3も2割の生徒が参加する。以前は15日間行われていた時期もあったが、生徒の通学域の拡大や実質全校参加である事情を鑑み、実施期間はかつてより負担が軽くなり、現在、期間は6日間。最終日には納会が行われ、豚汁が配られる。クラス対抗で中学生はドッジボール、ハンドボール、卓球、バレーボール、バスケットボールを、高校生はハンドボール、バスケットボール、 バレーボール、卓球を戦う。最後に各種目の学年優勝クラス同士で学年を超えた決戦を行い、中学優勝、高校優勝を決定する。2学期が終わると志賀高原のスキー場でスキー教室を開く。スキーはもちろん、温水プールやピザを作ったりして楽しむ。校内百人一首歌留多大会は中学・高校別にトーナメント戦で行われる。百人一首を暗記することが中1の冬休みの宿題として出される。イートン・カレッジ (Eton College) は1440年に創立され、以後560年間、イギリスの歴史に大きな役割を果たしてきた。王室・貴族階級の子弟が学び、歴代の多くの首相を輩出。中3から高2の間の夏休みに、希望者はイートン校での勉強と寮生活を堪能できる。毎年約40名が参加できる。日々の英語の授業に加え、大英博物館を訪れたりして文化歴史も学ぶ。希望者が多い場合は、英語の成績などによって選抜される。オーストラリアにホームステイしながら現地の中学・高校に体験入学をする。民間旅行会社による留学プログラムであり、学校を通さず、個人での申し込みも可。巣鴨学園では一般の学校で言うところの部活動のことを班活動と言う。基本的に中学と高校は別々に活動する。中学と高校は一緒に活動する。周辺地図
出典:wikipedia
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