木曽漆器(きそしっき)は、長野県塩尻市(旧木曽郡楢川村)とその周辺に伝わる漆器で、1975年に、経済産業省(当時の通商産業省)に伝統的工芸品に指定された。伝統的な技術・技法については、「木曽春慶」、「木曽変わり塗り(木曽堆朱)」、「塗り分け呂色塗」の3種について定められている。産地は、長野県松本市、木曽郡木曽町、塩尻市。産地組合は木曽漆器工業協同組合。江戸時代の中期に、中山道を往来する旅人を相手に、豊富に産出するヒノキ、桂、栃などを材料として、曲物、ろくろ細工、櫛といった日常雑器を作り始めたのが始まりで、これらが旅人により京都、大阪、江戸へ運ばれ、認知度を高めてきたといわれる。原材料となる木材は自由伐採であったものが、1708年(宝永5年)5月以降「五木伐採停止の令」が出て、存続の危機となった。しかし、当時の代官であった山村家の庇護で、漆器業者へは尾張藩の「檜物手形」を下付され漆器の木地の無代伐採が認められた。元禄の頃には、板物の実用品として人気を博し、寛政に入ると京都、大阪、江戸に「木曽物取次受売店」ができていた。職人達は、技術の上達を図るため、当時技術が高いと言われた輪島へ技法の修得に赴いたこともあった。明治の初め、現在の奈良井駅付近の山間から鉄分を含有した「錆土(さびつち)」という漆との混和に優れた粘土が発見され、堅牢な製品が誕生した。大正前期までには漆器学校も存在していた。この後、高度成長期による近代化の波により、漆器産業も衰退してきたが、これを憂いた漆器職人達の動きによって、木曽平沢地区に「木曽漆器館」や「木曽くらしの工芸館(木曽地域地場産業振興センター)」が設置され、展示、体験を行うことによりその振興に努めている。座卓、盆、膳、重箱、鉢、椀、箸(平成14年調査)
出典:wikipedia
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