和井内 貞行(わいない さだゆき、安政5年2月15日(1858年3月29日) - 大正11年(1922年)5月16日)は、秋田県十和田湖開発の先駆者である。和井内貞行は1858年、陸奥国鹿角郡毛馬内村(現・秋田県鹿角市)に生まれた。幼名を吉弥と名乗った。1881年、小坂鉱山に赴任する。鉱山勤務のかたわら十和田湖養魚事業に着手する。それ以前、十和田湖は魚一匹住まない湖だった。何度も失敗を繰り返すも辛抱強く研究を続けた。1897年には十和田湖畔に旅館『観湖楼』を創業。十和田湖養魚事業を進めるべく、人工孵化場を作る。1903年、ヒメマスの稚魚を放流し1905年に成魚となって回帰したことによりついに和井内は十和田湖養魚事業に成功した。和井内の養魚事業の成功は、十和田湖の観光にも大きな影響を与えた。和井内は十和田湖の養魚事業の開発の先駆者であるのと同時に観光開発の先駆者でもあった。2013年現在、十和田湖はヒメマスの釣りのスポットとして有名である。これらの事業成功が評価され、和井内は1907年に緑綬褒章を授与された。その後も十和田湖を国立公園として指定するよう、内務省に陳情を行っている。1922年、風邪を引いたのが元で体調を崩し、5月16日に死去。死去後に正七位に叙せられた。また秋田県鹿角郡小坂町十和田湖大川岱に建立された勝漁神社に妻と共に祀られ、和井内神社と改名されている。
出典:wikipedia
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