スティーブン・ジェームズ・ストラスバーグ(Stephen James Strasburg, 1988年7月20日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンディエゴ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLB・ワシントン・ナショナルズに所属。代理人はスコット・ボラス。1988年、カリフォルニア州サンディエゴで生まれる。時代には精神面での不安定さと110kg以上の体重過多により十分な結果を出せず、2006年のMLBドラフトでは指名されなかった。唯一ストラスバーグに奨学金を提示したサンディエゴ州立大学に進学後、デビッド・オートンコンディショニング・コーチに「Slothburg(Sloth=怠け者)」と命名されるなど尻を叩かれ、徹底したランニングにより減量に成功。体重の減少に伴い、直球の球速は上がっていった。入学時に91mph(約146km/h)だった最高球速は、100mph(約161km/h)にまで到達した。大学1年目はリリーフだったが、2年目から先発投手に転向し、8勝3敗、防御率1.57、97.1イニングを投げて133奪三振という成績を残す。同年にはベースボール・アメリカ誌が選ぶオール・アメリカンに選出された。にはユタ大学戦で1試合23奪三振を記録。北京オリンピックでは、アマチュア選手としてただ一人野球アメリカ合衆国代表に選出され、世間の注目を集めた。オリンピックでは予選リーグのオランダ戦と準決勝のキューバ戦に登板し、1勝1敗、防御率1.67の成績でアメリカ代表の銅メダル獲得に貢献した。北京五輪に先立ってチェコで行われた第4回世界大学野球選手権大会にも米国代表として出場。準決勝では完封勝利を収め、米国の3連覇に貢献した。アマチュアNo.1投手として地位を築いた2009年シーズンでは前年より更にレベルアップした投球を披露し、13勝1敗、防御率1.32、109回を投げて195奪三振という圧倒的な成績を残した。5月8日の空軍士官学校戦では17奪三振を奪い、ノーヒットノーランを達成した。同年のMLBドラフトが近付くにつれ、米メディアは「45年の歴史を持つMLBドラフト史上で『最高の選手』」と報じるようになり、前年度勝率最下位のワシントン・ナショナルズによる全体1位指名は確実視されていたが、代理人のスコット・ボラスが、2006年オフにポスティングシステムでボストン・レッドソックスに入団した松坂大輔の事案を引き合いにドラフト史上最高額の総額5000万ドルを要求していることが報じられ、財政力に乏しいナショナルズとの契約成立は不安視された。2009年のMLBドラフトにおいて、ナショナルズにより全体1位で指名を受ける。ナショナルズのGM補佐は契約成立に自信を見せたが、ボラスは交渉が不調に終われば1年間の野球浪人も辞さないという強気な姿勢を示し、その場合は独立リーグ、あるいは日本球界でプレーさせる可能性を示唆した。2009年7月14日、大学最優秀選手に贈られるゴールデンスパイク賞を受賞した。ドラフト指名選手の交渉期限直前の8月17日深夜、ナショナルズとドラフト史上最高となる4年総額1510万ドルで契約に合意した。8月21日、ナショナルズの本拠地ナショナルズ・パークで、ファンを前にした異例の入団会見が行われた。会見にはライアン・ジマーマン三塁手が同席した。6月8日、メジャーデビューとなるピッツバーグ・パイレーツ戦において7回を投げ被安打4無四死球2失点、7者連続を含む14奪三振で初勝利。投じた94球のうち、34球が98mph(約158km/h)を超えていた。試合後、捕手を務めたイバン・ロドリゲスは「今まで多くのピッチャーの球を受けてきたが別格。この坊やは信じられない」と語った。メジャーデビュー戦の14奪三振は、1954年のカール・スプーナー及び1971年のJ・R・リチャードの15奪三振に次ぐ記録となった。さらに6月23日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で先発デビューから4試合通算の奪三振数を41とし、1955年にクリーブランド・インディアンスのハーブ・スコアが記録したメジャー記録を更新した。しかし、8月21日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で右肘を痛め、途中降板。同月27日にトミー・ジョン手術を受けた。は、大半を前年の手術のリハビリにあて、9月6日のロサンゼルス・ドジャース戦で復帰した。は、満を持して開幕から先発ローテーションに入った。4月には、ナ・リーグ月間最優秀投手に輝いた。6月8日のレッドソックス戦では13個の三振を奪い、メジャー通算29試合の先発登板で、208奪三振を記録。1900年以降の近代野球、史上6人目となる『30試合未満で200奪三振』を達成。前半戦の活躍が評価され自身初めてオールスターに選出された。この年のオールスターゲームには、チームからジオ・ゴンザレス、イアン・デズモンド、ブライス・ハーパーが選出されている。後半戦は、8月21日のアトランタ・ブレーブス戦までに15勝を挙げ、ナショナルリーグ東地区を独走するチームに貢献する。しかし、2010年の手術が将来への影響することを心配する球団側は開幕前から160回までというイニング制限を設けていた。これにより159.1/3回に達した9月7日のマイアミ・マーリンズ戦をもって2012年シーズンは終わった。この球団の対応についてIt was pretty shocking. Honestly, I'm not too happy about it.I want to keep pitching out there.(かなり衝撃的だった。正直なところあまり満足していない。次の試合も投げたかった)、But as of right now, I think we've got some world-renowned doctors, and one of them is Dr. Lewis Yocum. He resurrected my career, so I got to listen to him and I got to trust him.(しかし、球団には世界的な医師達がいるし、彼らの中のひとりであるルイス・ヨーカム医師は自分のキャリアを復活させてくれたので彼に耳を傾け、信じることにした)と語った。この年は、打率.277・1本塁打・7打点・出塁率.333という打撃成績で、シルバースラッガー賞投手部門を受賞した。は、制球が不安定な時期があったり、本調子でない面もあったが、リーグトップタイの34先発登板し、2年ぶりの2ケタ勝利となる14勝 (11敗) を挙げた。また、ジョニー・クエトと同数の242奪三振を記録し、自身初の個人タイトルであるナ・リーグ奪三振王を獲得した。また、サイ・ヤング賞の投票では9位タイにランクインした。は出だしから不安定なピッチングが続き、5月30日に首の張りで15日間のDL入りをした。この時点での成績は防御率6.55・3勝5敗という内容であった。この離脱もあって23試合の登板に留まり、3年ぶりに規定投球回到達を逃したが、戦列復帰後は8勝2敗と復調し、防御率も3.46まで向上させて、メジャーデビューから3.50未満を継続。トータルで11勝を挙げて2年連続2ケタ勝利を挙げたほか、奪三振率11.0 (デビュー以来9.0以上) を記録。結果、防御率こそダウンしたが、被安打率、奪三振率、WHIPなどの投球内容は前年よりも向上した。シーズン終了後には、投球時に違和感を与えていたという背中の良性腫瘍の摘出手術を受けた。は昨年から一転、序盤から安定した投球を続けた。前半戦は登板した全ての試合で5イニング以上を投げ、4失点以下にまとめ上げた。打線の援護にも恵まれ、リーグ2位の12勝を挙げ、負けなしという圧倒的な成績を見せた。開幕からの12連勝は、ナショナルリーグの投手としては実に104年ぶりで、最終的に13連勝まで記録を伸ばした。オールスターにも選出されたが、6月に故障者リストに入って復帰してから間もないことを理由に辞退した。8月に入ると痛めていた右ひじの状態が悪化したが、それを押して登板を続けたことで2度目の故障者リスト入りとなった。戦線離脱する直前の3試合で3連敗を喫し、防御率14.66と大失速した。スリークォーターから平均球速95.5mph(約153.7km/h)フォーシームを中心に、平均80.6mphの落差のあるカーブ、平均88.4mphのキレの良いチェンジアップ、平均95.1mphのツーシーム、さらに2014年からはスライダーも習得し、2016年時点では変化球で最も多投している。MLBでの最高球速は2010年に記録した100.4mph(約161.6km/h)だが、大学時代は最速103mph(約166km/h)を記録している。速球派の投手だがコントロールも良く、大学時代の最終シーズンでは109回で195奪三振に対し、与四球は19であった。また、2015年シーズンでは127.1回で奪三振率11.0に対し、与四球率は1.8を記録している。大学時代の監督である元メジャーリーガートニー・グウィンは、「もうメジャーで投げる準備は出来ているし、今すぐ通用するだろう」と語り、「20~30年に1人の逸材」と評している。ドラフト前には、メジャースカウト陣の間で「現時点でA.J.バーネットと同格」とする声も上がっていた。両親は共にサンディエゴ州立大学の出身。趣味はゴルフ。好きな野球選手は地元サンディエゴ・パドレスのエースだったジェイク・ピービー。同僚でドラフトの同期であるドリュー・ストーレンは「控え目なヤツ」と表現する。母校の球場の芝を張り替えるために15万ドル近くを寄付する一方で、自分は大学時代からホンダのアコードに乗り続け、後輩に笑われていた。マイナー時代には妻の、メジャーデビュー直前には両親ら家族への取材を断っている。練習熱心で、新婚旅行先のハワイにまでグラブを持参し、代理人が用意した地元の高校生捕手を相手に1日おきに投げ込んだ。
出典:wikipedia
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