このページでは、日本テレビの『金曜夜席』及び『笑点』の大喜利コーナーについて記載。本項では、BS日テレの『BS笑点』と日テレプラスの『笑点Jr.』の大喜利コーナーについても記載する。大喜利は通常、演芸の後に行われる。時々、演芸内でも日本テレビのアナウンサー6名による「アナウンサー大喜利」や、若手噺家6名による「若手大喜利」を行うことがある。その際は大喜利メンバーが司会や座布団運びを務める。初代司会の立川談志から3代目司会の三波伸介まではCMが終わって画面が切り替わった時点で既にメンバー全員が板付きでの挨拶状態だったが、4代目司会の5代目圓楽就任直後の1983年4月ごろからは笑点のオープニング曲に合わせて、上手からメンバーが登場するようになった(現在では、小遊三→好楽→木久扇→三平→6代目三遊亭円楽→たい平→山田隆夫の順に登場する)。メンバーが座り、一旦全員の姿が映された後で司会者(春風亭昇太)が登場し(上手から登場するが、歌丸のみ2014年7月13日放送分以降は下手から登場するようになった)、席に着いて大喜利が始まる(5代目圓楽と歌丸は、席に着いた際に扇子を一打ちしていた)。このオープニングに変えたのは当時ディレクターであった(後にプロデューサー)飯田達哉の「座ったままでは打ち合わせした後みたいな感じに見える。動きがない」「音楽に乗って登場したほうが出演者のノリがよくなるのではないか」という提案がきっかけである。大喜利開始の際に司会者は「○○な(大抵は罵倒ネタ)皆様方のご挨拶からどうぞ」と言い、続いて大喜利メンバーによる20〜30秒ほどの短めの挨拶(小遊三→好楽…の順)となる。この時にメンバーが出演する寄席やイベント、書籍などの告知をすることがある。その後、司会者は「続いてはですね、○○な(メンバー以上の罵倒ネタ)座布団運びのご挨拶どうぞ」と言い座布団運び(山田)の短めの挨拶となる。地方収録の場合、歌丸は司会就任当初、1週目はメンバーには「東京を石もて追われた皆さん」と紹介し、山田には「呼ばれてもないのについてきた山田君(または「座布団運び」)」と紹介した。2週目は開催地にちなんだ紹介をした。メンバーの挨拶が一通り終わると司会者は座布団10枚の賞品のキーワードを言ってから本題に入る。大喜利の最中に不自然な座布団の増減が見られるときがあるが、これは時間調節や下ネタなどの関係で映像が編集されることがあるためで、編集でカットされた途中で増減があるとそうなる。答えを考えるために動きのない時間も生じるため、実際の大喜利の収録にはテレビ放送の2〜3倍の時間がかかっている。1年間の締め括りでは三本締めとして、会場の観客と共にその年を締めるが、2006年(平成18年)5月14日の放送開始40周年記念特番のエンディングでも行われた。また、毎年11月頃になると大喜利終了後に2人の笑点メンバーが来年の「笑点暦」の告知をする(1976年(昭和51年)版が最初)。現在は回答者が2人1組のペアで、3組が週替わりで告知する。大筋は創設者である立川談志が考えたとする話が広く知られている。しかし、座布団を使うという点に関して言えば、実際にはのちにチーフプロデューサーを務めた小暮美雄が考案している。小暮によれば、以下のような経緯である。アトラクションとしての大喜利は昔からあり、寄席でも存在し、テレビでも行われていた。駄目な答えのペナルティとして、あたかも羽子板遊びのように「顔に墨を塗る」ということなどが行われていた。しかし、新しく始める『金曜寄席』でも「顔に墨を塗る」ということをやったのでは先行の演芸番組との差別化を図ることは難しいと判断されたため、最初は「そばを一杯食べさせる」という案が出たが実現せず、考えた末に「罰を与えるより褒美を与える」という逆転の発想が生まれた。ところが、褒美を与えるのなら何を与えるべきかという点でまたもや詰まってしまい、とりあえず「人形を与える」という案が出たものの気持ち悪いと思われ話が進まなかった。『金曜寄席』の初放送日が間近に迫る中、小暮は「私にまかせてくれ」と言い切って新宿末廣亭に行ったが、褒美の事で頭がいっぱいで落語を楽しむところではなかった。何も思いつかないまま末廣亭を出た小暮であったが、その時一緒に出てきた2人連れが「どうして落語家さんが代わる時、下の人(前座)が出て来て(座布団を)裏返すの?」という会話を耳にした小暮は、ここで初めて「座布団を与える」という発想が出てきた。そして、寄席で落語などを演じるところを高座と呼ぶところから「高いところをもっと高くしたら喜ぶかもしれない」と思いつき、「私にまかせてくれ」と周囲に言っていたことや初放送日が間近だったこともあって、「よい答えには座布団を与える」という小暮の案がそのまま通った。司会者(昇太)が3問出題し、挙手制で指名されたメンバーが機知を利かせた答えを返す。良い答えに座布団1枚(特に優れた答えには2枚以上)が与えられ、悪い答え(具体例後述)は座布団を没収される。獲得した座布団は一部の回を除き、次回に引き継がれる。座布団10枚を獲得すると、座布団運び・裏方から紙吹雪による祝福を受けながら「ものすごい豪華賞品」が贈られる。その際「座布団10枚獲得おめでとうございます。賞としてoo(キーワード)にちなんだ素晴らしい賞品を差し上げます」と司会者が目録を読み上げる。なお座布団10枚が達成された翌週(次の回)は、全員座布団1枚からのスタートとなる。24時間テレビのチャリティー大喜利・正月特番の寿大喜利・チーム対抗戦などは、翌週へ繰り越さずに「座布団の多い方は」と言って計算し、賞品を贈っている(チャリティー大喜利は賞品無し)。稀に司会者が座布団を獲得(主に大喜利メンバーへの上手い返答時、他の出演者が判断して与えることがあるが、司会者が自ら座布団を持ってくるように指示することもある)する事がある(この座布団は持ち越されない)。また、大喜利メンバーが代理司会を務めた際には、自身の定席に座布団を与える事があった。座布団を与えるか没収するかは基本的に司会者の裁量であり、これをめぐるメンバーと司会者の絶妙なやりとりが展開される。司会者・番組・番組スポンサー(主に長らくスポンサーである日本香堂、サントリー)をよいしょする(歌丸曰く「スポンサーだからやらないわけにはいかない」)答えは座布団がもらえることが多い(但し、これらのネタで毎回必ず貰える訳ではなく、ネタや状況によっては没収されることもある)。他にも司会者罵倒ネタに対して仇を討った答えも座布団獲得の対象になる(歌丸司会時代)。数週に1度は10枚達成かというシーンがあるが、座布団の枚数が10枚に近づいた場合は大抵司会者が過剰に座布団を取り上げたり、良い答えでも座布団を没収したりする(結果的に5枚以下になる)ため、実際は年に1回〜2回程度(年によっては3回以上もある)、場合によっては1年間座布団10枚が発生しないこともある。前田時代には「大喜利ナンバーワン」と称し、後述の通り前田が中央に座り、二組に分けて前田の左右に座り、座布団5枚を奪い合うルールとなっていた。また、大喜利メンバーが6人になってからは通常版とコスチューム大喜利の2本立てで行っていた。以下のような場合、大抵は座布団を没収される。大きさは60cm × 72cm。中は木綿。カバーにはちりめんが使われており、高級感もある。1枚当たりの製作費は公開していないが「とても高価」。重さは1枚2.3キロある。10枚重なった時でもバランスが保てるように厚みを追求している。座布団の一般販売は行われてない。番組側は出演者全員が10枚獲得する事態を考えて60枚用意している。しかし、1991年(平成3年)12月29日の放送で全員が10枚獲得した際には座布団が足りなくなり(歌丸・小遊三が11枚だったため)、5代目圓楽(4代目司会者)の座っていた座布団や山田が最初の挨拶のときに座っていた赤い座布団を急遽メンバーに渡すという珍事があった(賞品は「好きなだけ岩清水を飲める」というもので、1992年(平成4年)5月10日放送の慰安旅行にて贈呈された)。また、小遊三がすでに10枚獲得していたのに5代目圓楽が気付かずに11枚目の座布団を与えてしまい、最終的に13枚まで増やしたこともある。ちなみにこの時は10枚以上獲得したメンバーが同時に3人出ている。放送開始時は水色の座布団を使っていたが1年ほどでピンクに変わり、三波の司会就任後の1973年頃に現在の紫色に変わっている。役目を終えた座布団は大喜利レギュラーの元に引き取られているが、過去には視聴者プレゼントされたり、1973年(昭和48年)8月の日本テレビ開局20周年記念イベントとして浅草寺で「笑点まつり」を開き、座布団を読経と奉焼で厳かに供養する「座布団供養」が行われた。座布団は数年に一度不定期で交換されており、2009年(平成21年)3月22日放送分から最新の座布団が使用されている。そのため新品の座布団は綿が柔らかく厚みがあり、高く積んだ場合にバランスの取り方が難しく、楽太郎(現・六代目円楽)曰く「(バランスを取るのに気を取られ)答えを考える暇が無い」。また座布団に座るのも難しく、小遊三と楽太郎が7枚の際は山田の補助を借りてやっと座っている。これは歌丸が「普段座布団剥奪の対象のネタでも積極的に座布団を獲得できる」などで、普段から罵倒合戦が続いている6代目円楽にワザと多く座布団を上げた結果で、後に全部没収となっている。なお、『笑点』が長寿番組となり世間に広く認知されたこともあって、気の利いた表現や面白いことを言ったときに「座布団1枚!」、逆に面白くないことを言ったときなどに「座布団取れ!」などの表現が日常会話で使われることもある。また、座布団の位置は、司会から全員の手が挙がっているのを分かる様に、奥に進むに連れ、5cmずつ前にずれている。主な出題例としては以下のものがある。1966年(昭和41年)5月15日放送の第1回目では「この世に女がいなければどうなるか」という問題が出された(後に2001年(平成13年)5月20日放送の35周年記念大喜利でも、同じ問題が出題されている)。1問目、2問目は多くが最近の時事問題や芸能人の話題をネタにしたものが多いが、「新しい漢字を作る問題」・「都々逸シリーズ」・「あったらいやな/誰だったらどんなシリーズ」が出ることもある(歌丸の司会就任後はあまり出ていない)。ご当地での収録では土地柄にちなんだ問題が必ず用意される。3問目は後楽園ホール収録分では被り物を使うものが多く、地方収録では「笑点お笑い窃盗団○○編」「笑点お笑いタクシードライバー○○編」などが出される。寿大喜利では毎年「干支大喜利」と称し、3問目にその年の干支の動物の着ぐるみを着た問題が出される。問題では「例の物」として小道具が用いられることがある。「例の物」として一番多いのは「フリップ」で、折り込み句(ご当地名等を平仮名にし、一文字ずつ文の最初に置いて川柳や都々逸調に詠む)シリーズや穴埋め問題などでも登場する。中には「被り物(多くがかつら・王冠・帽子・着ぐるみの頭の部分など)」が出てくることがある。被り物ネタでは司会者が被り物を被った姿がクローズアップされるのがお約束である。その他の定番としてはチャイム(デパートなどでの呼び出し。鉄琴風のタイプ)やコップ・帽子・手拭い・鍋・マイク・拡声機・携帯電話・ハンドルなどがある。時には1問目から3問目まで、その日の問題全てに道具を使った問題が出ることもある。スタッフが容易に識別できるよう、笑点メンバーは衣装の色によりラベリングされている。談志時代の頃から導入されていたが、その当時カラーテレビの普及率が低かったため1968年(昭和43年)〜1969年(昭和44年)の冬場の数ヶ月のみの着用だった。談志の降板後は落語家ではない司会者の前田のみほぼ毎週着用していたが、1970年(昭和45年)秋口頃からはメンバーも毎週着用するようになり、そして司会が三波に代わった後でほぼ現在の形に落ち着いた。カラフルな色紋付を着るようになったのは、カラー放送用の映像の色調整をするためだったという。そのため各人は深く考えずに適当な色紋付を選んだが、これが番組本編内で定着してしまい現在に至ったのである。5月から10月までは羽織を着ない(2008年以降は11月,12月も羽織なし、2009年以降は1月も羽織なし)。また、例年8月の放送ではメンバー全員が同じ「笑点」の柄の入った浴衣もしくは白色の麻の着物で登場する(近年はそれぞれ2週ずつの着用となっているが、収録日の都合で9月の放送でも浴衣や麻の着物で登場することもある。また、例年8月にある24時間テレビや、8月に地方収録がある場合は色紋付を着用している)。現在、色紋付は銀鼠・水色・桃色・黄色・丁子色・薄紫・橙色・朱色の8種類である。『金曜夜席』放送開始時から現在までの席順の一覧表を紹介する(1965年から2006年までの圓楽は5代目圓楽、2010年以降の圓楽は「楽太郎」から襲名した6代目圓楽)。またここでは歴代のメンバー落語家の配色も並べる。なお斜体文字は代理出演。笑点ではメンバー交代があると席替えが行われるが、メンバー自身の希望等の理由により席替えをすることもある。最近では、2016年(平成28年)5月29日より昇太が大喜利メンバーから司会者に昇格、三平が加入のようにメンバーの入れ替えがあっても席替えが行われず前のメンバーが座っていた場所に新メンバーがそのまま入るケースが続いている(厳密な意味での席替えは、1992年(平成4年)4月に好楽と小遊三の座る位置が入れ替わったのを最後に行われていない。この時は好楽が師匠・5代目圓楽が隣の席で、答えの後に「師匠どうですか?」と尋ねていたため萎縮気味で、1つ置いた席の方が力を発揮出来るのではないかとスタッフが考えたため)。歌丸がメンバーだった時代に、馬鹿(木久蔵→木久扇のキャラクター)と腹黒(楽太郎→6代目圓楽のキャラクター)の間を嫌がるやりとりが定番であった。なお、木久扇と6代目圓楽は1986年(昭和61年)1月以降、小遊三と好楽は1992年(平成4年)4月以降代理大喜利司会を置いていた時期を除いては全く位置が替わっていない。大喜利メンバーが代理司会を務める場合は、以前は代理司会者の定位置を詰めて行っていたが、2014年5月以降は定位置を空席にした状態(前回まで獲得した座布団のみが積まれている状態)で行われている。前身番組の『金曜夜席』から「座布団10枚の豪華賞品プレゼント」は企画されていたが、実際に獲得して賞品を出したのは「笑点」になってからである。基本的に賞品の発表は達成時に行われ、それまでは賞品を示唆するキーワードのみが発表される。最初の賞品は「香港に行って餃子が食べられる」で、歌丸と小痴楽が獲得。当時の番組に香港行きの予算はなかったが、事情を聞いたある船会社から香港までの2名分の船チケットの提供があり、実際に10日間の船旅を楽しんでいる。旅の様子は写真のみで、獲得した次の大喜利の冒頭(1967年6月4日放送)で紹介された。番組初期の賞品に関するデータはほとんど残っていない。これは、当時は司会者の思いつきで賞品を決めてその場で渡したり、ロケでも上記のように写真しか残していないため記録がないという。以下に、座布団10枚の達成者と達成年月日、キーワードと実際の賞品を紹介する。()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。ただし、10枚達成直後に贈られたものや、10枚達成のロケーションを行っていないものは、10枚達成をした放送日である。10枚達成ではないが、スペシャルなどで最も座布団獲得したメンバーにものすごい賞品が贈られることがある。『BS笑点』と『笑点Jr.』の大喜利は、基本的なルールは本家の大喜利と同様である。番組で使われる座布団の大きさが本家のものより一回り小さい(笑点グッズの一つとして販売されている座布団カバーと同じ位の大きさ)。また、用意された座布団も少ない。独自のルールとして、獲得した座布団の枚数が一番少ないメンバーは次回の大喜利に出演できない(メンバー入れ替え制)。また、それぞれ獲得した座布団は毎回1枚にリセットされる。座布団0枚の状態で座布団剥奪に相当する答えを出すと、1歩あとずさりさせられる(2005年(平成17年)12月頃から追加)。座布団0枚のメンバーが複数名いる場合は座り位置が最も奥に引っ込んだメンバーが入れ替えの対象となる。地方収録では特別ルールとして、地方収録2回目時点で座布団枚数が一番多かったメンバーには「豪華賞品」が贈られ、そのメンバーは次回お休みとなる(事実上出演権を剥奪される訳ではない)。『BS笑点』・『笑点Jr.』の大喜利の中で最も多かった席順のみ紹介する(笑点Jr.に於ける木久蔵は2代目木久蔵)。またここでのメンバー落語家の配色は放送終了時点のものとする。※()内は10枚達成の放送日ではなく、獲得賞品の放送日である。地方収録などで最も座布団獲得したメンバーに送られた「ものすごい賞品」
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。