株式会社テレビ東京(テレビとうきょう、"TV TOKYO Corporation")は、関東広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。略称は、テレ東、コールサイン「JOTX-DTV」(東京 23ch)からのTX、旧局名・かつて使われたアナログ放送のチャンネルからの12チャンネル、てれと、など様々。アナログ放送で親局の周波数がVHFであった放送局は、テレビ東京が日本国内で最後であり、これ以後に開局した民放局の親局は全てUHFであった。リモコンキーIDは「7」。本社・支社所在地財団法人日本科学技術振興財団(以下、「財団」と略す。)テレビ事業本部の番組制作を目的として設立された「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」(以下「東京12チャンネルプロダクション」)が、同財団から放送事業を譲り受けて発足したものである。親局チャンネルである12ch(映像周波数217.25MHz、音声周波数221.75MHz)はかつて在日米軍が使用していた周波数帯であり、在日米軍より返還されたのを受けて新規テレビ局チャンネルとして開局したと言われている。地上アナログ放送では12chを親局チャンネルとする民放テレビ局が他にもNNN/NNS系列の広島テレビ放送(HTV)とFNN/FNS系列の仙台放送(OX)があったが、その他の地域では12chがNHK教育テレビジョン(Eテレ)に使われる地域が全国的に多かった。先に開局した教育番組専門局である日本教育テレビ(NET。現:テレビ朝日〔EX〕)と異なり、旧東京12チャンネルは1964年(昭和39年)に財団が母体となって設立された科学技術学園工業高等学校(現・科学技術学園高等学校)の授業放送をメインとして行う教育専門局(科学テレビ)として開局し、民放でありながらCMを流さなかった放送局として運営された。しかし、それが故に慢性的な赤字を抱えたため、1966年(昭和41年)4月から規模を大幅に縮小すると共に放送時間も午前10時 - 11時30分の1時間半と、夕方 - ゴールデンタイム前半に当たる夕方5時 - 夜9時の4時間の計5時間半(日曜日は後者の4時間)のみに短縮された。その後、「科学テレビ協力会」を母体とした「東京12チャンネルプロダクション」が設立され、1967年(昭和42年)に日中とゴールデンタイム後半以降 - 深夜時間帯の放送を再開した。そのため、当然ながら他の民放と同様にCMを流すようになった。この時、水面下では「財団のテレビ部門をNHKに譲渡する」、「毎日放送(MBS)が東京12チャンネルプロダクションを買収する」といった話が進められていたと言われていたが、共に頓挫した。結局1969年(昭和44年)12月、再三にわたる財界からの要請を受ける形で日本経済新聞社(日経新聞)が東京12チャンネルプロダクションの経営に乗り出した。それまで東京12チャンネルは朝日新聞社と報道提携を結んでおり、同局の報道一切は朝日新聞社が制作していて、また同社は日本科学技術振興財団の財団債も保有していた。一方当時日経は朝日新聞社が経営に乗り出していた日本教育テレビにも出資していたが、この後1974年(昭和49年)2月にこの出資分を朝日新聞社と旺文社が折半して買い取って両局の新聞資本が整理された。なお、テレビ東京とその系列局はその後も『ホロニックパス』『テクノピア』『パソコンサンデー』などの科学技術番組を送り出している。1973年(昭和48年)10月1日に東京12チャンネルプロダクションの商号を変更した株式会社東京12チャンネルが放送事業を譲り受け、翌11月1日に総合放送局に移行した(移行前日の10月31日の放送終了時に告知テロップが表示された)。この後、他のキー局の様に地方系列局を持っていないハンディを克服するため、近畿・中京圏の独立放送局への番組販売(番販)を展開する様になる。主な対象局は兵庫県のサンテレビ(SUN)、滋賀県のびわ湖放送(BBC)、京都府の近畿放送(現:京都放送〔KBS京都〕)、岐阜県の岐阜放送(GBS)などである。なお、1969年(昭和44年)10月から1975年(昭和50年)3月までは大阪の毎日放送と、テレビ愛知(TVA)が開局する1983年(昭和58年)8月までは中京テレビ(CTV)とも提携関係にあった。また、関西地区ではその後もテレビ大阪(TVO)が開局する1982年(昭和57年)3月まで在阪準キー各局が番販購入の形で東京12チャンネルの番組をネットしていたこともある。東京12チャンネル時代は他局が午前6時台から放送開始している中、番組ソフトが不足していたこともあり開局当初から1974年(昭和49年)頃までは午前10時前(その後1977年9月頃までは9時から→同年10月以後はさらに8時前に繰り上げ)からと比較的遅い時間での放送開始となっていた。そのため、一部の新聞のテレビ欄では午前中の部分を広告欄に差し替えていた。1981年(昭和56年)、1982年(昭和57年)のテレビ大阪(TVO)開局を控え、商号を「株式会社テレビ東京」へと変更。1983年(昭和58年)にテレビ大阪(TVO)及びテレビ愛知(TVA)による「メガTONネットワーク」を形成して、1985年(昭和60年)にはテレビせとうち(TSC)が開局した。その後、1989年(平成元年)にテレビ北海道(TVh)が開局することが決定していたため、「北海道」の「H」や「札幌」の「S」では合わないために名称をテレビ東京のコールサイン「JOTX-TV」から取ってTXNに改めた。そして、1991年(平成3年)にTXN九州(後のTVQ九州放送)が開局することにより、現在では全国6局の系列局とネットワークを形成している。6局で日本の総世帯数の約7割(13都道府県とその周辺地域)をカバーしている。また、独立放送局を始めとする系列外の放送局への番販も行われている。いわゆる平成新局が開局した頃は、それまで自主編成枠でテレビ東京系以外の番組を購入して放送していたのができなくなり、新たにテレビ東京系の番組を購入するケースが相次ぎ、取引が拡大する傾向にあったが、最近ではCATV事業者のTXN系区域外再放送の増加やBSジャパンの開局により番販取り引きが減少傾向である。また、テレビ東京以上に財源に苦慮している地方局の一部ではテレビ東京から番組を購入せず、自系列キー局のバラエティー番組の再放送で枠を埋めるケースが出て来ている(特に日本テレビ系列)。このため、番販取引きを少しでも増やそうとTVAが再放送同意した岐阜県・三重県及びTVQ九州放送が再放送同意した佐賀県を除いたTXN系列の放送対象地域外の31府県のCATV事業者に対して区域外再放送に同意しない事例も出て来ている。しかし、日本シリーズなどの生放送番組は番組購入している系列外で生放送をネットできず、放送されなかったり、或いは録画放送となるが、日本シリーズの場合はNHK BS1でも同時中継されており、地上波で生中継を視聴できない地域にも配慮されている。また、CATV事業者が直接TXN系列の番組を購入し、自主放送チャンネルで番組を流している場合もあるが、こういったケースは極めて稀である。1991年(平成3年)4月にTXN九州(現・TVQ九州放送)が開局して以降、テレビ東京の業績が低迷したために既存局による1局2波も含めて系列放送局の新規開局を行っていない。これは、あえて自前で系列新局を開局させるよりも既存の地方局への番販で収入を得た方が適当との判断による。BSデジタル放送局のBSジャパンやAT-X、日経CNBCといった関連局が開局したことにより、全国展開は完了したとの判断が一時なされた。ただし、その際、プロ野球やJリーグ取材のために宮城・静岡・広島の各県に常駐取材拠点を置きたいという希望を表明していた。2004年(平成16年)8月5日、東京証券取引所市場第1部に在京キー局のテレビ局としては最後(5番目)の株式上場を果たした(証券コード:9411)。初値は公開価格2,900円を上回る3,350円だった。平均視聴率は2010年以降全日で2パーセント台、ゴールデンタイム・プライムタイムで5 - 6パーセント台を推移しており、他の在京キー4局に比べて全体の視聴率が振るわないため、視聴率の低い他局に対し「"振り向けばそこにテレビ東京"」といわれることもある。ただ、特定層(主に中高年層やビジネスマン)に向けた番組編成はスポンサーにとって広告波及効果が高いと評価され、1990年代後半からは他局も追随する様になった。2000年代以降、手薄だったバラエティ番組を強化。2009年度には、平均視聴率でTBSを上回る日も現れた。2013年の年間平均視聴率はゴールデンタイムで7.0パーセント、プライムタイムで6.6パーセントと上昇傾向にあり、直近の番組改編が功を奏する結果を見せている。そして2014年12月29日 - 2015年1月4日の週間平均視聴率で、ゴールデン・プライム2部門でフジテレビを上回り、更に2015年1月4日は全日も含めた3部門全てでフジテレビを上回った。現在は、年4回の改編期における番組の改編率が高く、大幅に変更される傾向にある。2010年(平成22年)6月25日の株主総会で、同年10月1日付で複数の放送局を傘下に置く放送持株会社「テレビ東京ホールディングス」に移行すると決定された。2010年(平成22年)10月1日には放送持株会社としてはフジ・メディア・ホールディングス(フジテレビジョン・ニッポン放送など)や東京放送ホールディングス(TBSテレビ・TBSラジオなど)に次いで史上3番目となるテレビ東京ホールディングスが設立され、テレビ東京は同社の完全子会社(連結子会社)となった。テレビ東京では、(東京12チャンネル時代に発行した1冊も入れて)以下の6冊を発行している。先述の2007年(平成19年)5月31日での当時社長の菅谷が定例会見において、以下の構想が発表された。尚、これらは社長の例示であり、テレビ東京の正式な事業計画として公認されたものではない。本格的な地デジ時代を睨んだ戦略でもあったが、その後の具体的な進展は無い。社会的な大事件が起きても、テレビ東京を含むTXN系列各局は緊急放送(報道特別番組)や選挙速報(選挙特別番組)を放送しないか、放送しても他局より開始が遅れたり短時間であることが多い。他局が報道特番を組む中で唯一通常番組を放送していた影響で高視聴率を記録したケースもある。これを俗に「テレ東伝説」と称することがある(いわゆるネットスラングの一種)。これに対しテレビ東京では報道特番を放送する規準について「重要性、視聴者からのニーズなどを総合的に判断して緊急放送に切り替えている」との見解を示している。このことは「どんな大事件があっても夕刻のアニメをいつもどおり放送する(=通常編成で臨む)」という都市伝説になっており、同局広報・IR部は「そういうふうに見られることは承知しています」と回答している。遂には同局のアニメ『ケロロ軍曹』でもネタにされ、登場キャラクターが「テレビ東京が特番を放送するのは地球滅亡の時」という意味の発言を行う場面があった。しかし、この編成には視聴者から批判の声が寄せられることもある。一例として、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生の際には他局より遅れたものの地震発生8分後の14:54にはスタジオからの緊急放送・CM全面カットの特別編成態勢へ移行した(ただし、地震を速報するためではなく津波警報が出されたための措置)が、通常番組に戻るタイミングが早かったため。一部視聴者からはTwitterなどで「他局が特別報道番組を放送しているという精神的に疲弊している中、アニメやバラエティなど通常編成で放送したのを見て、精神的に和らいだ」という肯定的な意見もあったが、それを大きく上回る約600件の抗議があったという。抗議の内容としては「アニメ番組を流すのは不適切」だというものなどで、当時の島田昌幸社長が同年3月31日の定例会見で「激励も90件程頂きましたが、多くがお叱りでした。貴重な意見として生かしたいと思います」と謝罪する事態となった。一方で2010年代に入ってからは、池上彰をメインに起用したり放送時間を拡大するなど選挙特番に力を入れるようになった。そして、選挙特番で高視聴率を獲得するようにもなっている(詳細は『池上彰の選挙ライブ』の項を参照)。東京12チャンネル時代から、東京オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)の主催ゲームを中心に率先的に放送していた。1990年代後半には日本ハムファイターズ(現:北海道日本ハムファイターズ)の東京ドームでのホームゲームも、主として週末に放送し、関連番組も放送していた。1967年(昭和42年)に全日放送が再開された当初は、自社製作の中継とは別にフジテレビとの提携(主な技術面は12chが自社で担当)によってサンケイアトムズ(現:東京ヤクルトスワローズ)の明治神宮野球場・東京スタジアムでの主催ゲームを実況中継し、同局から派遣されたアナウンサーや解説者を出演させていたこともあった。その後、独立放送局が東名阪の3大都市近郊に続々開局していくとフジテレビとの提携が解消される代わりに(東京12チャンネル末期は『戦国ナイター』というタイトルで放送された)、サンテレビの『サンテレビボックス席』、KBS京都の『KBS京都エキサイトナイター』、三重テレビの『三重テレビナイター』(中日主催試合の実制作は東海テレビが担当)、岐阜放送の『ダイナミックナイター』(中日主催試合の実制作は中部日本放送が担当)を同時ネットワークして読売ジャイアンツ以外の関東の球団が絡んだ試合も放送するようになる他、前述各局の協力で自社乗り込み中継を行うこともあった。また関東圏で開催の試合を前述各局にネットすることもあった。1979年(昭和54年)の西武ライオンズ誕生時は主催ゲームを何試合か中継していたが、2006年(平成18年)9月18日に22年ぶりに西武主催ゲーム(vs福岡ソフトバンクホークス)を放送した。一方、ライオンズの本拠地移転後、平和台野球株式会社が勧進元となり、同社と各球団との共催で様々な球団の主催試合が開催されるようになった平和台野球場での公式戦についても、テレビ西日本の制作協力で自社制作中継をすることがあった。ロッテオリオンズが1970年の日本シリーズに出場したが、東京12チャンネルは第3戦と第4戦の放送権を獲得している。これは、元々プロレス放送を企画し、既に日本テレビが押さえていた国内の試合ではなく、海外の試合を放送すべく、当時同局の運動部長だった白石剛達(後に千代田ビデオ社長)がアメリカまで試合フィルムの買い付けに行っていたところ、たまたま現地でサッカー・ワールドカップの試合が放送されており、それを見た白石らがたちまちサッカーに魅せられ、急遽直接メキシコのテレビ局に掛け合い、既にオファーを出していたNHKや日本テレビを差し置いて放送権を獲得した。この試合フィルムを手土産にロッテオーナーの永田雅一と面談し、日本シリーズの放送権を要求した。永田側はサッカーには興味がないが、折角直接来たのだから本来毎日新聞との関係ですべてTBSへ渡すつもりだった放送権のうち第3・4戦(NHK・TBSも放送)を割譲することを確約した。これにより第3戦は東京12チャンネルをキー局として全国ネットで放送された。なお、海外のプロレス試合のフィルムは『プロレスアワー』枠で放送され、またサッカーワールドカップの試合も『三菱ダイヤモンド・サッカー』枠で1年間かけて放送されて、結果として一挙両得を得たこととなった。この他、東京12チャンネル時代に放送された日本シリーズの中継には、1974年(昭和49年)のロッテvs中日第5戦がある。2003年(平成15年)にプロ野球日本シリーズ・福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)vs阪神タイガースの第7戦の放映権を系列局のTVQ九州放送が獲得した。これは、当初2003年度ホークス中継最多のテレビ西日本が有力視されたものの、キー局のフジテレビで当時放送された『ワンナイR&R』で王貞治を放送中侮辱したといういわゆる王シュレット事件を起こし関係者の顰蹙(ひんしゅく)を買った事で、フジテレビを推薦しなかった事が最大の理由であるが、同局が南海ホークスの福岡移転以来同チームの試合中継回数が最も多い局だったことに加え、BSアナログ放送の普及が進んでおり、系列局のない地域はNHK BS1とNHKハイビジョンでカバーできるという日本野球機構の判断によるものである。先にどちらかが4勝すれば日本一が決まるが、戦いがもつれて第7戦(最終戦)にまで突入したので、テレビ東京では29年ぶりとなる日本シリーズ中継が実現した。また、近畿地方ではテレビ大阪の他に本来テレビ東京の番組をネットしていないサンテレビとKBS京都でも同時中継が行われた。翌2004年(平成16年)には、日本シリーズ進出を賭けたパ・リーグプレーオフ第2ステージ最終戦(福岡ダイエーホークスVS西武ライオンズ)の放映権を再度TVQが獲得し、実際に放送されたため、同様の苦情が出た。2005年(平成17年)の同じくプレーオフ・ソフトバンクvsロッテの試合に関しては、それまでの第3戦まで地上波での全国放送がなかったため、BSやCSを視聴できないファンから首都圏での地上波中継が行われることを歓迎する意見が多かった。しかしその反面、地元TVQ九州放送の製作ではなくテレビ東京での製作(TVQ九州放送は製作協力のみ)だったことから、(ただ、これにテレビ東京側が配慮したためか2003年(平成15年)の日本シリーズ、2005年(平成17年)のプレーオフ最終戦ではTVQのアナウンサーが実況を行っている)。なお、TXNで放送された第4・5戦はBSデジタル放送局のBSジャパンでも同時放送されており、事実上第4・5戦は全国中継ができた。だが、パ・リーグでロッテが優勝したことに伴い日本シリーズのロッテ主催ゲームのうち第2・7戦の中継をすることが確定した。TXNで日本シリーズが2戦以上放送されるのは史上初めてだったが、ロッテが4連勝を飾って日本一を決めたため第5戦以後の開催が消滅され、中継も第2戦の1試合のみに留まった。なお、セ・リーグは阪神が優勝しているため、2003年(平成15年)と同様に通常はテレビ東京の番組を同時ネットをしなかったり、時差ネットの番組が多い兵庫・京都・三重の独立局でも同時生中継した。また2010年(平成22年)までの日本シリーズ中継は共にBSジャパンはデジタルBSの普及が充分でないことなどを理由に中継は行わず、共にNHK BS1とNHKハイビジョンで生中継された。しかし、完全デジタル化の2011年(平成23年)以降も、BSではNHK BS1での中継が継続される(2009年(平成21年)以降、BSではNHK BS1以外のBS各局では中継されなくなっている)。2003年(平成15年)第7試合・2005年(平成17年)(第2戦目・千葉マリンスタジアムでの阪神タイガース×千葉ロッテマリーンズ)・2007年(平成19年)(第5戦目・ナゴヤドームでの中日ドラゴンズ×北海道日本ハムファイターズ)はテレビ東京が中継したが、何れも同時間帯民放視聴率トップとなっている(2005年(平成17年)以外は日本一決定試合でもある。ダイエーが阪神を破った試合では視聴率30パーセント台を突破している。また、2007年(平成19年)の大会は1970年(昭和45年)以来・全国ネット構築後初の2試合放送となっている)。2009年(平成21年)も第7戦の中継を獲得していたが、第6戦で巨人が日本一になったため、放送は中止となった。また、2010年(平成22年)には系列局であるテレビ愛知がナゴヤドームでの第1戦の中継権を獲得したが、この日はローカルセールス枠である為、テレビ大阪では放送されたが、テレビ東京含め他の系列4局では放送されなかった。これにより、史上初となる日本シリーズが地上波での全国放送がされない試合となった。2011年(平成23年)は、11月13日の第2戦・11月17日の第5戦を全国ネットで中継した。なお、全国中継ではテレビ朝日と同様で阪神戦以外(阪神戦はテレビ大阪製作著作)はテレビ東京が製作著作、系列局が製作協力で、実況はテレビ東京のアナウンサーが行っている。但し、テレビ朝日と違いなぜかオリックス戦については同様の体制となっている。これらよりも前、1999年(平成11年)の「ダイエー対中日」の第7試合を、一度TXN九州(現:TVQ九州放送)が放映権を取得しながらもコミッショナー裁定により返上させられた事例もある。これは地上波の系列局が少ないことや、系列局のサービスエリア内であってもテレビ北海道などの例のように、一部で直接受信ができない地域があること、さらにBSの民放キー系放送局が当時なかったことによるもので、この試合が行われた場合は九州朝日放送(テレビ朝日系)に放送権を委譲したが、第5戦でダイエーが優勝したため実施されなかった。日本シリーズと並ぶ日本プロフェッショナル野球組織管轄試合であるオールスターは過去に1度だけ、1971年第2戦のみが放映されたのみだった。これは本来開催される日は中部日本放送 (CBC) からのJNN全国ネットが予定されていたが、雨天中止となり、その予備日にCBCが編成の都合で中継できなかったため、放映予定が無かった東京12チャンネルでの中継となった。しかし当時の東京12チャンネルはフルネット局がない独立局。日経の資本がある愛知県の中京テレビ放送は当時NETテレビ(ANN系列)を軸として日本テレビ放送網(NNS)と3系列クロスネットの編成だったが、当時の編成事情や、中日新聞社の資本がないことから中京テレビでは放映されず、東京12チャンネルと同じ県域独立局であり東京12チャンネルからの番組を多数ネットしていた三重テレビ放送・岐阜放送が技術協力・同時ネットする形で放送を行った。(他地域での放送有無は不明)しかし当初の日程発表がなされた段階から東京12チャンネル→テレビ東京が予めオールスターを放送する日程は、2010年(平成22年)まで一度も組まれていない。なお、2軍の大会フレッシュオールスターゲーム(旧:ジュニアオールスター)は1978年(昭和53年)から1998年(平成10年)(途中の中断はあったが)に放映されたことがある。2005年(平成17年)からプロ野球に交流試合が導入されたことに伴い、巨人戦のプロ野球公式戦中継を1976年(昭和51年)8月29日に放送したvsヤクルト戦(明治神宮野球場)以来29年ぶりに放送した(BSジャパンでは試合開始から放送)。放送された巨人戦中継は何れもパ・リーグとの交流試合である。なお、以前にも鹿児島県立鴨池野球場と千葉マリンスタジアムで行われたvsロッテ戦を始めとして、巨人戦のオープン戦中継を実施した事例が多数ある。さらに、2006年(平成18年)シーズンからは巨人の主催試合の実況中継にも参入し、2007年(平成19年)には神宮球場での東京ヤクルトスワローズ戦も放送している。かつて、日本で初めてワールドカップを放送し、Jリーグがブームになる以前から実業団サッカーの中継を多く行う、スポーツニュースでプロ野球、メジャーリーグより、Jリーグを優先させるなど、サッカーに注力するテレビ局としても知られる。また、人気声優をワールドカップのキャスターやイメージキャラクターとして若干名を出演させるなど、他局とは一線を画すイメージとなって来ている。サッカーとの縁は、三菱グループ提供の『三菱ダイヤモンド・サッカー』の放送開始が嚆矢である。まだマイナースポーツだったサッカーの魅力を紹介したこの番組の企画は、スポンサーサイドの三菱グループの篠島秀雄(当時三菱化成社長、日本サッカー協会副会長、東京12チャンネル番組審議委員)が提案したものだったといわれる。この提案を受けて、三菱商事の諸橋晋六(当時同社ロンドン支店長、後に同社社長・会長)が試合のフィルムを買い付け、放送に利用した。なお、当時の東京12チャンネルは財界を中心とした再建途上にあり、番組の企画などは財界幹部などの意見が罷り通っていた。同じような経緯でスタートした番組に『大江戸捜査網』(日産自動車)や『演歌の花道』(大正製薬)などがある。1970年(昭和45年)、プロ野球日本シリーズ中継の項で先述した通り、成り行きではあるがワールドカップの試合フィルムとその放映権を獲得した。1974年(昭和49年)7月にはワールドカップ決勝戦の生放送を深夜枠ながら生中継した。いずれも日本初である。なお、この決勝戦の裏でNHKと民放各局は参議院選挙の開票速報を放送していた。1993年(平成5年)10月28日には、「ドーハの悲劇」と呼ばれるワールドカップアジア最終予選・日本vsイラク戦を放送し、当局史上最高視聴率となる48.1パーセントの視聴率を獲得した(日本vsイラク戦の前の同局の最高視聴率番組は、東京12チャンネル時代の1971年(昭和46年)に放送されたボクシング世界フェザー級タイトルマッチ・西城正三対フランキー・クロフォード戦だった。このとき記録した48.1パーセントは局別の最高視聴率としては長らくテレビ朝日を上回る在京民放4位だったが、2006年ワールドカップドイツ大会・日本vsクロアチア戦での52.7パーセントに抜かれてしまった。)。2003年(平成15年)8月5日には、FC東京とスペインの強豪レアル・マドリード戦を放送した。しかし、譲渡後にデビッド・ベッカムがレアル・マドリードへ移籍したため一躍注目のカードとなり、16.9パーセントの視聴率を獲得して、皮肉にもTBSを視聴率で上回る結果となった。また、この試合は当初テレビ大阪と関西圏の一部の独立テレビ局に限っては同じ時間にヤクルト×阪神戦の中継が予定されていたためサッカーは深夜に録画放送の予定だったが、野球中継が降雨中止のため関西圏でも結果的には同時放送となり、録画中継を予定していた深夜放送を早々と切り上げた。2006年(平成18年)9月3日のアジアカップ最終予選のサウジアラビア戦では、中継がなかなか決まらない土壇場で放送権を獲得した。2008年(平成20年)7月31日には、株主となっているFC東京と「プレシーズンマッチ FC東京 vs クラブオリンピア」を共同主催し、同日深夜に録画中継を放映した。サッカーマニア向け番組には、前述の『三菱ダイヤモンド・サッカー』以外にも1998年(平成10年)4月 - 1999年(平成11年)3月に放送された『ナンバー12・熱血サッカー宣言』(金曜22時台)があった。2011年4月からは「日本サッカーが世界で通用するために」をテーマとしたトークを展開する『FOOT×BRAIN』を放送している。かつてはプロレス番組にも力を入れていた。1960年代にスポーツ中継強化の一環として海外のプロレス大会のフィルムを放送した『プロレスアワー』や日本初の女子プロレスの定期中継番組となった『女子プロレス中継 世界選手権シリーズ』を開始、1970年代からは国際プロレスの定期中継として『国際プロレスアワー』、1980年代にはやはり海外のプロレスを紹介する『世界のプロレス』を放送していた。『世界のプロレス』はロード・ウォリアーズやディンゴ・ウォリアー(後のアルティメット・ウォリアー)を日本に初めて紹介したことで知られ、その一方では第1次UWFのテレビ中継を番組の枠内で行ったことでも知られる。1990年代には天龍源一郎が全日本プロレス退団後の1991年(平成3年)に設立し、天龍を旗頭とした団体「SWS」の旗揚げ戦を特番で中継し、同団体の後期には月1回の深夜枠で定期中継を行った。WWE(旧:WWF)のダイジェスト番組『』『』や全日本プロレスの中継番組『プロレスLOVE』、ZERO-ONEの中継番組『破壊王プロレスZERO-ONE』、パンクラスの中継番組『格闘Xパンクラス』なども放送していた。また、プロボクシング中継では、かつてはモハメド・アリやマイク・タイソンらのビッグマッチを始め、「世紀の死闘」と言われた金沢和良の世界王者ルーベン・オリバレスへの挑戦、大熊正二の世界王座奪還、渡辺二郎の海外防衛戦、竹原慎二のミドル級王座挑戦など日本人の世界タイトルマッチも数多く中継して来た。海外の試合はWOWOWやJ SPORTS(旧・スポーツ・アイ ESPN)に移ったが、現在も日本タイトル戦や中小ジム所属ボクサーの世界戦を中継しているほか、帝拳・協栄両プロモーションと提携することもある。ボクシング判定を巡り議論が激しくなる中、2006年(平成18年)9月18日に行われた川嶋勝重VSクリスチャン・ミハレス戦ではガッツ石松による独自採点が好評となり、JBCの採点公開に影響を与えた。また、翌2007年に行われた「ボクシング・グランプリ2007」を始め、1月はビッグマッチの中継を行っている。2011年より大晦日に世界戦を中継しており、2012年はトリプル世界戦を放送した。近年はテレビ朝日が手放したワタナベ主催興行が中心となっている。1970年代のキックボクシングブームの頃にはTBS・日本テレビ・NETテレビと共に中継も行っていた。女子キックも1970年代から80年代にかけて『ピンクショック!』『激突!女子格闘技大戦争』のタイトルで中継した。21世紀に入ってからも女子格闘技専門番組『肉力強女』を放送した。2005年(平成17年)にはアメリカの総合格闘技UFCを地上波で唯一中継しており、2010年(平成22年)には初のプライムタイム中継を行った。また、2006年からは日本唯一の金網格闘技『CAGE FORCE』の中継を開始している。2006年(平成18年)から新しいスタイルのプロレス『ハッスル』の放映権を獲得し、不定期で特番を放送していた。なお、2007年(平成19年)10月-2008年(平成20年)3月には定期番組『どハッスル!!』も関東ローカルで放送された。また、2007年(平成19年)の大晦日にも放送(録画放送。BSジャパンは放送なし。後日FIGHTING TV サムライで放送)し、テレビ東京で初の紅白裏番組での格闘技中継となった。2008年(平成20年)より旗揚げされた総合格闘技興行『戦極』の地上波中継権を獲得した。9月27日に特別番組を放送し、翌10月5日から深夜枠でのレギュラー番組『最強格闘技・戦極G!』→『格闘技ドキュメント SRC魂』→『格闘技伝説 雷電』を行っている。2009年(平成21年)3月29日には『DRAGON GATE3.22両国大会』が放送された。2015年10月よりK-1にとって久方ぶりの地上波となる『新K-1伝説』が開始。伝統的にテレビ東京が得手とする3大スポーツは、モータースポーツ、ゴルフ、サッカー(別項)である。ゴルフ番組は試合中継のほか、20年以上に渡って土曜昼枠が続いている(かつては日曜昼に最大で3時間の枠があった)。長年、伝統の慶明戦、オール早慶明三大学対抗戦、社会人ラグビー、日本代表のテストマッチなどを録画中継を中心に放送していた。特に1990年度全国社会人ラグビーフットボール大会決勝戦(1991年(平成3年)1月8日の神戸製鋼 vs 東京三洋電機戦、イアン・ウィリアムスの同点トライ等で神戸製鋼が大会3連覇を果たした試合)を生中継した。2003年秋にはラグビーワールドカップを日本戦を中心に録画中継した(BSジャパンでは放送されず、J SPORTSで放送)。『世界卓球選手権』を2005年(平成17年)から福原愛戦を中心に録画中継している(これもBSジャパンでは2009年大会以外放送されず。ただ、スポーツニュースでは同局でも放送される。J SPORTSで放送)。2006年(平成18年)は30分の延長オプションが設定され、延長になった場合(日曜・休日以外)、中継終了以降の番組は開始時刻を繰り下げた(同番組が放送されないBSジャパンも『ワールドビジネスサテライト』以降の番組は開始時刻を繰り下げ。延長した分の時間はその穴埋めとして10分間の紀行番組が数本放送された)。東京12チャンネル時代の1970年(昭和45年)4月から土曜日の関東地区の中央競馬中継(『土曜競馬中継』→現『ウイニング競馬』)を行っている。また、競輪や競艇の主要レースも中継している。ただし、関西地区ではKBS京都とサンテレビが土曜日の競馬中継(KBS制作)を独占放送している関係上、中央競馬中継はテレビ大阪では放送されていない。同番組については2局がKBS制作版と織り交ぜて放送している。RCカーブーム、ミニ四駆ブームの火付け役となった『タミヤRCカーグランプリ』やロードレース世界選手権中継(テレビ大阪製作)、『モーターランド』(後にテレビ愛知製作の『モーターランド2』に移行)などを放送し、平成の今では『激走!GT』→『SUPER GT+』、『AXEL』を始め、世界ラリー選手権やダカール・ラリー、鈴鹿8耐(テレビ大阪製作)などのダイジェスト番組などを放送している。1972年(昭和47年)から1975年(昭和50年)3月には、ローラーゲーム東京ボンバーズvsアメリカのチームの試合が『日米対抗ローラーゲーム』(実況:土居まさる、解説:ドクター宮本、ゲスト:児島みゆき〈現:児島美ゆき〉)にて毎週放送され、局内で表彰されるほど高視聴率をとっていた。NBAの中継権を地上波民放で唯一保持していることから、2004年(平成16年)に田臥勇太が出場した開幕戦を録画中継したこともある。他に、JBLキリンチャンピオンシップ(現:JBLファイナル)を中継していた。スタジオ数や面積や運用形態は芝公園の旧社屋を大方踏襲したものとなっており、基本的に第1・2スタジオが汎用スタジオとして使われ、第1スタジオはパッケージ番組が中心、第2スタジオは平日の帯番組や小規模収録番組が中心の運用となっている。また、報道局に隣接する格好の第3・4スタジオは報道番組及びスポーツニュースが中心の運用となっている。第3スタジオは情報系番組の生放送や収録が行われていたこともあった(先述)。当初は第4スタジオの稼働率が低いことを想定し、第3副調整室(3サブ)で第3スタジオと第4スタジオを駆動させていた(第4副調整室には第4スタジオ用の調光卓のみが設置されていた。)。第4スタジオは運用開始当初報道局側に壁のないオープンスタイルだったが、後に完全密閉型のスタジオへ改装。しかし第4スタジオを完全密閉型に改装した際、第4スタジオの稼働率を上げる目的から、新たに第4副調整室(4サブ)を整備して分離した。その後、VTR編集設備を増強するに伴い、スペースを確保する必要性から4サブを廃止・撤収してVTR編集室に改装、再び3サブで3スタと4スタを駆動する形に移行した。なお3サブ内にはCG制作室が併設されている。2008年(平成20年)秋改編で定時ニュース以外の4スタ収録の番組が3スタへ集約されたが、スタジオセットはそのまま残され、2009年(平成21年)春から再び使用している。2000年(平成12年)、他の在京民放キー局に先駆けて虎ノ門本社の全スタジオ設備をハイビジョン収録に対応した。系列BS局であるBSジャパン(2000年(平成12年)12月開局)がハイビジョンによる地上波サイマル放送を計画していた為で、下記の天王洲スタジオも同様の理由で整備した。地上デジタル放送開始6ヶ月前の2003年(平成15年)6月の時点でもテレビ東京で放送する全番組の3割がハイビジョンで制作されている。いずれのスタジオもハイビジョン(HD)収録対応だがSD(従来の標準画質)収録も可能。なお、ニュース番組のテロップ表示はごく一部(『ワールドビジネスサテライト』などの画面右上のヘッダ表示など)を除き、長らくSD仕様をアップコンバートしたものが使われていたが、2011年(平成23年)9月下旬頃からすべてHD仕様に変更された(フォント自体は変更無し。NHKと他の在京民放キー局では既にHD仕様となっている)。2010年(平成22年)10月、本社1階の旧喫茶スペースであった場所にオープンスペース・7スタが完成(“ 7スタ ”は地上デジタルのチャンネル番号にちなんだ愛称であり、第7スタジオという訳では無い)。元々外が見える喫茶スペースであった点を生かし、壁が全面ガラス張りで建物外からスペース内の様子が見える。放送スタジオというよりは、放送も出来る多目的スペースという扱い(副調整室は中継専用のリモートサブを使用)だが、テレビ東京が現本社に移転してから初の建物外部から内部の様子が見える放送設備である。本社1階の受付ロビーには3つのモニターがあり左から地上波の放送画面、「ZOOM UP」と書かれたプロモーションとみられる画面、BSジャパンの放送画面が映し出されている。他キー局のような見学スペースや物販コーナーは用意されていない。●はHD対応コールサイン:JOTX-DTV テレビ東京デジタルテレビジョン2011年(平成23年)7月24日廃局。コールサインJOTX-TV区域外再放送は、激変緩和措置としてアナログ放送終了から3年間(2014年7月24日まで)実施するものとしていたが、系列局が無いこともあり、継続実施に同意している。なお、新潟県(中越・下越の両地方)・宮城県・福島県では、テレ東の電波が小規模中継局に抑圧されるという技術的問題があるため、再放送はできない。太字の事業者はパススルー方式。注 記載の地域でも一部で実施していない場合、記載されていない地域でも一部で実施している場合がある。新潟県静岡県なお、「テレビ東京 地上デジタル7チャンネル」(TV TOKYO Digital 7)のCMは文言を一部変更した上で系列局でも使用された(テレビせとうちでは「テレビ せとうち Digital7」と表記)。BGMはレニー・クラヴィッツの『Love Revolution』。過去の「テレビ東京」のロゴマークは1981年10月1日から使用しており、チャンネルは12の名前で、テレビ東京でロゴは緑であった。現在の「TV TOKYO」と「テレビ東京」のロゴマークは1998年10月1日から使用しており、TVのVとYのリングでメディアと社会のインタラクティブの重要性を模り、信頼性の高い情報とユニークな番組で未来を想像し、ジャーナニズムの在り方を提案する企業姿勢を表している。またテレビ東京の現在ロゴの白、赤と青に書体も普通の書体に代わっている(日本経済新聞テレビ東京新ロゴマーク広告より(1998年9月30日付))。過去はデジタルテレビ放送開始記念して、7ch デジタル7チャンネルのピラメキパンダが使われていた。現在は開局50周年記念を機に制定されたナナナが使われている。連結子会社が12社、持分法適用関連会社が3社ある(2006年(平成18年)3月31日現在)。"TXN#加盟局を参照。"※( )内の放送系列は現在の系列
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