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フラニーとゾーイー

『フラニーとゾーイー』( 英:"Franny and Zooey")は、J・D・サリンジャーが1955年1月29日に『ザ・ニューヨーカー』に発表した『フラニー』("Franny")と、1957年5月4日に同誌に発表した『ゾーイー』("Zooey")の連作二編の小説を1つにまとめたもので、『ライ麦畑でつかまえて』に並ぶ、代表作のひとつ。1961年9月14日刊行。グラース家の末っ子である女子大生のフラニーと、そのすぐ上の兄で俳優のゾーイーをめぐる、1955年11月のある土曜日の午前中から、翌週の月曜日にかけての物語である。晩秋の駅のプラットホームで、女子大生であり自慢のガールフレンドであるフラニーの到着を待つ大学生のレーン。ふたりは大学対校のフットボールの試合を観戦した後に、この週末を一緒に過ごす計画を立ている。ふたりはさっそく気の利いたレストランで昼食を取るが、自己顕示やスノッブ的な振舞いに何の疑問を持たないエリートのレーンに対し、青年らしい潔癖さと、自らの過剰な自意識に悩み、演劇をやめようとさえしているフラニーとの会話は次第にすれ違いをみせ始める。やがて、フラニーは耐えきれずにテーブルを離れ、店のトイレに駆け込み、バッグの中から「巡礼の道」という本を取り出すのだが……。週末の出来事から二日後の月曜日の朝。週末を一緒に過ごすこともなくニューヨークの自宅に戻ったフラニーは、そのまま居間の寝椅子に寝込んでしまう。幼い頃からシーモアとバディという二人の兄から植え付けられた求道的な宗教哲学や東洋思想と、相反するエゴが幅を利かせる現実世界の板挟みに遭うフラニーは「巡礼の道」という本に出てくる宗教的な祈りによって救いを求めようとする。心配した母親のベシーは、5歳年上の兄であるゾーイーに助けを求める。自らも兄たちの影響を強く受けているゾーイーは全身全霊をかけて説得を試みるが、「言葉の曲芸飛行士」である彼の饒舌さは時に脱線を繰り返し、ますますフラニーを混乱させてしまう。終いには死んだ兄のシーモアに会いたいと言い出すフラニーに対し、一旦話を切り上げたゾーイーは部屋を出ると、以前、二人の兄が使っていた書斎に足を踏み入れるのだった。『フラニーとゾーイー』は、これまでサリンジャーが個別に発表していた幾つかの短編が、実は「グラース家物語」というべき長大なサーガの一部であり、一家の次男で小説家のバディ・グラースが書き続けている「散文で書かれた一家の記録映画」であることが明かされた最初の作品である(グラース家の血縁関係が明らかになるのは『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』(1955)が最初)。『ゾーイー』の冒頭でバディが語るように、グラース家の7兄妹は共に「これは神童」というクイズのラジオ番組の出演を経験しており、兄弟全員が異常早熟の天才として描かれている。また、フラニーとゾーイーは二人の兄から、「教育は知識の追求ではなく、禅のいう「無心」の追求から始めることが最良」という考えから幼い頃よりイエス、釈迦、老子、シャンカラチャーリヤ、慧能、シュリ・ラーマクリシュナ等々の宗教哲学や東洋思想を教え込まれている。そのことは『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』の中でも、シーモアが生後十ヶ月のフラニーに道教のある説話を話して聞かせる場面としても描かれているが、それは、恋人のレーンとはおよそかけ離れた異質な教育を受けてきたということであり、結果としてフラニーは理想とする生き方と現実世界とのギャップに苦悩することとなる。『フラニーとゾーイー』では宗教、特にキリスト教に対するサリンジャーなりの解釈や東洋思想との関係性なども語られるが、思春期の青年なら誰もが直面する理想と現実社会との折り合いの付け方や、さらには、自らの自意識とどう向き合えばよいのかという普遍的なテーマを扱っている。

出典:wikipedia

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