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ふしづくりの音楽教育

ふしづくりの音楽教育(ふしづくりのおんがくきょういく)とは、日本の音楽教師、山本弘、中村好明らが提唱した音楽教育の指導法である。ふしづくりの音楽教育は、ふしづくり、ふしづくり一本道(ふしづくりいっぽんみち、ふしづくりの音楽教育の指導段階表のこと)、ふしづくりの一本道(ふしづくりのいっぽんみち)などと称される場合もある。ふしづくりの音楽教育の目的は、山本弘の記述によれば、「ふしづくりという名称を用いているが、作曲技法を教えることが目的ではなく、生涯にわたって音楽を楽しむために必要な音楽能力を育てること。」としている。山本弘は、音楽科の指導主事として仕事をしていた頃、「音楽なんて、どうしてもやらなければならないのでしょうか」と、度々尋ねられた。そこで、音楽教育の実態を把握するために、昭和36年「音楽感覚段階別能力表」を岐阜県教育委員会が発行した翌年、昭和37年(1962年)に、全国指導主事会議で岐阜県の『音楽能力表』とそれに準じた『能力テスト(ソノノート)』を紹介した。すると、テストで測られた児童・生徒の音楽能力が小学校1年生から殆ど変っていないという事実や、教員採用試験を受ける受験者の9割が、音楽の授業を担当する能力がなかったという事実に直面したと述べている。山本弘はその原因を以下の3つと分析している。そして、その原因を解決するためには、2つが必要だと述べている。現行の学習指導要領(音楽編)のあり方では、上記2つを実現させることが困難であるとし、ふしづくりの音楽教育を提唱した。ふしづくりの音楽教育では、育てるべき音楽能力を以下のように示している。山本弘は、「これ以外にももっとあるかも知れない」と著書の中で述べている。上記の中でも、ふしづくりの音楽教育では、どんな音楽でも体で反応し流れを外さない力として、拍反応力(「拍の流れに乗る力」として著書に記載されていることがある)をすべての基礎として重視している。そして、わらべ唄あそびが拍の流れに乗る力を育てるために極めて有効であるとしている。また、山本弘は著書の中で「国楽の創設」という主張をしているが、わらべ唄あそびを単に、拍の流れに乗る力をつけるための手段にするというよりも、西洋音楽一辺倒だったそれまでの日本の音楽教育体系を批判し改善するために、重要視している。後に、ふしづくり一本道の段階表にも、0段階として、わらべ唄あそびを導入している。山本弘は、初期の段階では、生きた音楽を記号に分解して指導するのではなく、「○○○V」を最小の音楽ことばとして指導するように述べている。ふしづくりの音楽教育では、聴くことが一貫して重要視され、特に初期の段階では、文字や楽譜を介さないで、たくさんの曲(具体的には、年間100曲以上)を覚えて歌ったり、ふしづくり一本道に示された音楽あそびや、わらべ唄遊びを行いながら、徐々に階名や表現など、記号の指導をしていくようにするとされている。ふしづくりの音楽教育は、岐阜県の以下の5つの小学校で延べ約20000人の児童に実践されているという。山本弘によると、ふしづくりの音楽教育を受けた児童は、全員「初見で歌い、楽器を奏で、指揮をし、作曲もし、(教師がいなくても)自分たちで授業まで行うようになった」とされる。当時の児童の様子は、他校から古川小学校に転勤してきた教師、藤田耕作の記録や山本弘の著作の中の描写されている。また、当時の授業の様子は、山本弘によって映像として保存されており、後に編集され、東京教育技術研究所からDVDの映像が販売され、現在でも視聴ができる。その児童の姿は、当時の教育者たちには信じられなかったらしく、しばしば、公開研究会を参観した教師たちによって「八百長である」という誤解を受けたという記述が残されている。昭和41年(1966年)昭和42年(1967年)昭和43年(1968年)昭和44年(1969年)昭和45年(1970年)昭和46年(1971年)昭和47年(1972年)昭和48年(1973年)昭和52年(1977年)昭和53年(1978年)昭和54年(1979年)昭和56年(1981年)平成12年(2000年)平成14年(2002年)平成16年(2004年)現在

出典:wikipedia

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