カザフ語()は、主に中央アジアで使用される言語の1つであり、カザフスタンの国家語に制定されている。ISO 639による略語は2字が kk、3字が kaz で表される。カザフスタンのほか、他の中央アジアの国家、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区やモンゴル西部、ロシアでも話されている。カザフ語はテュルク諸語の北西語群(キプチャク語群)に分類され、カラカルパク語、ノガイ語、キルギス語などと近い関係にある。方言は北東方言、南部方言、西部方言(あるいは北東方言、南部方言、中央北部方言、東部方言)に分類され、語彙や発音に違いが見られるものの、それぞれの差異は大きくない。カザフ語の文語は北東方言に基づいている。母音調和、接尾辞の膠着性、主語・目的語・述語の語順、人称語尾と言った文法上の特徴は他のテュルク系の言語と共通する。カザフ語独自の特徴には語尾のyがj(dj)、chがsh、shがsに変化することが挙げられ、一部の方言を除いて他のテュルク系言語で使われる未来形(-ajak/ejek)が存在しない。また、日本語との共通性が指摘されている。歴史的にカザフ語にはアラビア語、ペルシア語、モンゴル語の語彙がしばしば借用されていたが、アラビア語、ペルシア語はタタール語、ウズベク語、ペルシア語の一方言であるタジク語などの言語を経由して導入された。他のテュルク系の言語に比べてアラビア語、ペルシア語からの借用語は少なく、ロシア語からの借用語が多い。カザフスタンの独立後はロシア語からの借用語をカザフ語に置き換える(例えばロシア語に由来する「飛行機(Самолёт)」をカザフ語の「飛ぶもの(Ұшақ)」に代える)運動が行われているが、こうした新語は一般に普及していない。近代までカザフ人の間で文字はほとんど使用されておらず、知識と情報の伝達・共有の手段として口承文芸が発達する。中央アジアのテュルク系言語の共通語であるチャガタイ語がカザフ語の文語として使用されていたが、19世紀後半からチャガタイ語の口語化が始まり、カザフ文語と呼ばれるものが形作られていく。19世紀後半に刊行された「トルキスタン地方新聞」「ステップ地方新聞」などの媒体でカザフ語が使用されるにつれて、文章語としてのカザフ語も発達していく。また、アルトゥンサリン、アバイらの文学作品も文章語の確立に貢献した。20世紀前半に改良アラビア文字での表記、ラテン文字の採用を経て、1940年から改良キリル文字によるカザフ語の表記法が採用される。ソ連時代末期の1989年にカザフ語はカザフ・ソビエト社会主義共和国の国家語に制定される。ソ連から独立した後もカザフスタンは他の中央アジア諸国に比べてロシア語が使用されることが多く、カザフ語は国家語、ロシア語は実質的な共通語としての地位を確立し、都市部ではカザフ語よりもロシア語を得意とするカザフ人は少なくない。こうした状況下でカザフスタンではカザフ語の重要性は高まり、カザフ語の急速な台頭とロシア語の重要性の低下に対して抵抗を感じる人間がいる一方で、マスメディアにおけるロシア語の支配的な地位を疑問視する意見も投げかけられている。2006年に当時の大統領ヌルスルタン・ナザルバエフはカザフ語のラテン文字表記の検討を発表し、2012年12月に2025年までにキリル文字からラテン文字表記への切り替えを行うことが発表される。1910年代にアフメド・バイトゥルスノフらによって改良アラビア文字による正書法が提起され、1917年と1924年に正書法は改正される。ソビエト連邦時代の1929年にラテン文字による表記法が採用され、1940年から改良キリル文字による表記に切り替えられる。2012年にカザフスタン政府はキリル文字からラテン文字への切り替えが発表され、その背景にはカザフスタンの経済 力の成長、トルコ、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、ウズベキスタンといったラテン文字表記を推進する他のテュルク系国家との関係の強化、これまでのロシアとの密接な関係の見直し、国内のカザフ人の比率の増加などが挙げられている。モンゴル国ではカザフ語は改良キリル文字によって表記されている。中華人民共和国では1965年から1982年までの間はラテン文字での表記も使用されていたが、改良アラビア文字で表記されることが多くなっている。カザフ語で使うキリル文字ではないが、ラテン文字に対応させるものに、次のようなものがある(-は対応なし)
出典:wikipedia
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