恵最(えさい、生没年不詳)は、戦国時代の僧侶。正式名は樵暗恵最(しょうあんえさい)または樵臆恵最(しょうおくえさい)。岡崎城の城主・松平広忠の子、徳川家康の異母兄弟。生母は大給松平家松平乗正の娘「於久の方」。同母兄は松平忠政(1541年? - 1599年?)。初めの法名は穎新(えいしん)または恵新(けいしん)という。天文10年(1541年)に於大の方の岡崎城輿入れの際に、広忠の側室・於久の方は長男勘六(忠政)を連れて、化粧田である近郊の桑谷村へと移り、そこで恵最を産んだ。恵最は天文11年(1542年)12月26日に誕生し、恵最は家康と同年同生だという。一説には家康と同年同生、於大の方の子で家康と双子の兄弟という。永禄5年(1562年)に今川義元から独立して岡崎城に帰参した家康はこの母子の訪れて面会したという。この母子は故・広忠の位牌に参拝し、位牌に「道幹大禅正門尊霊」と自筆を認めた。このとき、於久の方は出家し尼となり「妙淋」と称し、広忠の菩提のため寺の建立を家康に請い、広忠の名前を寺号とした瑞雲山広忠寺(こうちゅうじ)を桑谷村に建立した。恵最がその住職になったと伝わる。しかし、於久の方が天文10年(1541年)には40歳前後とする記録があることで、於久の方が当時15歳の広忠の側室とはするのは不自然であり、忠政・恵最兄弟は広忠の子としては不自然とし、これを否定する説もある。
出典:wikipedia
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