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于品卿

于 品卿(う ひんきょう)は中華民国の政治家・実業家。親日地方政権である察南自治政府の最高委員。後に蒙古聯合自治政府、蒙古自治邦で副主席に就任した。元々は張家口の実業家であり、1924年(民国13年)には張家口商会執行委員となった。1937年(民国26年)8月25日、日本軍が張家口を占拠する。于品卿は日本軍に招聘されて、察哈爾治安維持会委員に任命された。9月4日、察南自治政府が組織され、于は杜運宇と共に最高委員に任命された。11月22日、張家口において、蒙古聯盟自治政府(主席:デムチュクドンロブ(徳王))、察南自治政府(最高委員兼会議代表:于品卿)、晋北自治政府(最高委員兼会議代表:夏恭)の代表者会議が開催された。その結果、蒙彊聯合委員会が成立し、于は同委員会の委員となる。1939年(民国28年)9月1日、上記3政府が合流して蒙古聯合自治政府が成立、于品卿は同政府の副主席に任命された。1941年(民国30年)6月1日、蒙古聯合自治政府において大規模な機構改革が行われたが、于は引き続き副主席をつとめている(同年8月、蒙古聯合自治政府は「蒙古自治邦」に改称)。于は日本を2度訪問し、また、勲四等・勲三等の旭日章を授与されている。1943年(民国32年)には、満州帝国の康徳帝(愛新覚羅溥儀)から勲二位景雲章を授与されている。日本敗北後の1945年(民国34年)8月、蒙古自治邦は瓦解した。同月25日、于品卿は張家口に進軍してきた八路軍により逮捕されてしまう。于を裁く特別法廷は12月18日から開始され、各界代表30人による民衆裁判(「公審大会」)での審理となった。同月23日に死刑判決を言い渡され、その際に于は裁判員から感想を問われると、「民族に背き、国家に背いたのだから、罪は万死に値する」と答えたという。判決の翌日、ただちに張家口市内で銃殺刑が執行された。享年60。

出典:wikipedia

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