第316歩兵師団()は、ベトナム人民軍(陸軍)の師団の1つ。ベトナム戦争時、第316師団は、主としてラオス北部のジャール=シエンクワーン平原地区を転戦し、ナムタップ戦役、国道9号線=南ラオス戦役、ジャール平原=シエンクワーン戦役に参加した。ベトナム当局は、第316師団を対中国戦部隊と想定し、移動前に華僑将兵を排除し、移動後は中国を仮想敵とした軍事演習を行っていた。総政治局主任"朱輝珉"は、1978年3月と1979年1月の2度に渡り第316師団を動員し、師団の全将兵にタバコ「ディエンビエンフー」を送り、師団を激励した。1979年2月17日、中越戦争勃発。18日、配下の第148連隊、第174連隊、第98連隊第7大隊、第187砲兵連隊の1個大隊が平盧からサパに移動し、国道10号線沿いにラオカイ地区に増援に赴いた。21日、先遣部隊の第148連隊が代乃地区に到着し、第345師団と共に中国軍の挟撃を企図した。22日、中国第13軍が付近の高地を占領し、第316師団と第345師団の連携が遮断された。第148連隊は、2日間で30回攻撃したが、900人の損害を出して失敗した。中国軍は、第149師に第32師第95団と軍区坦克団第3営を増強し、第316師団の撃滅を企図した。27日、中国軍の反撃が始まり、3月3日にサパ県城が陥落し、3月5日に戦闘が終結した。戦闘の結果、第174連隊、第148連隊第5大隊、第98連隊第7大隊、第148大隊第4大隊及びサパ独立大隊が壊滅し、約2,300人の損害を出した。封土地区に残置されていた第98連隊(第7大隊欠)も、中国第11軍により撃破された。中越戦争全体を通して、第316師団は計3千人の損害を出した。1979年4月、新編の第6軍(後に第29軍に改称。滔江兵団)に編入。戦後1ヶ月間で戦前の戦力に回復すると同時に、1個戦車大隊、1個砲兵大隊が増設された。同年7月、1個対戦車砲大隊が増設された。1984年4月末~5月初め、中国第14軍が老山を占領した後、第2軍区は、「MB-84」戦役計画を発動し、失地回復を図った。6月11日、連隊規模の攻撃が行われたが、撃退された。ベトナム軍は、第174連隊をハザン地区に進出させ、2次攻撃のための戦力を増強した。7月12日、ベトナム軍は、老山地区に対して師団規模の攻撃を開始した。第174連隊は、那拉地区の142号、149号高地を攻撃したが、中国第119団との10時間に渡る激戦の後、300人の損害を出して攻撃は頓挫した。
出典:wikipedia
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