ジェームス・ズムワルト()は、アメリカ合衆国の外交官。学位は国際安全保障学修士(国防大学・1998年)。国務省次官補代理(東アジア・太平洋担当)。国務省東アジア・太平洋局日本部部長、在日本アメリカ合衆国大使館首席公使、在日本アメリカ合衆国臨時代理大使などを歴任した。海兵隊所属の軍人であるドイツ系の父とスイス人(ドイツ人)の母との間に生まれ、カリフォルニア州エルカホンにて育った。高校生時代にAFS交換留学生に選抜され、日本の駒場東邦高等学校に留学した。カリフォルニア大学バークレー校にて学び、1979年にアメリカ史と日本語の学士号を取得した。また、東京外国語大学や国際基督教大学にて、日本語を一時学んでいた。なお、1998年に国防大学より国際安全保障学の修士号を取得している。国務省に入省し、外交官として活動した。外交分野の中でも主として経済・通商畑でキャリアを重ねており、在ザイール大使館の経済担当官や、在中華人民共和国大使館の経済担当公使、在日本大使館の経済担当官、経済担当参事官、経済担当公使などを歴任し、国務省経済・通商局での勤務経験も持つ。地域的にはアジアを専門とし、特に東アジア各国に対する知見を有する。前述のとおり在中華人民共和国大使館や在日本大使館での豊富な駐在経験を持ち、国務省の本省でも東アジア・太平洋局のフィリピン部、韓国部、局長室などで勤務していた。これらの経験から、一時、通商代表部に出向しており、日本・中国課で勤務していた。2006年、ブッシュ政権にて、国務省東アジア・太平洋局日本部の部長に抜擢された。以来、国務長官のコンドリーザ・ライスの下で、対日政策の取り纏めに奔走する。2008年からは、在日本大使館の首席公使として日本に赴任した。ジョージ・W・ブッシュの大統領任期満了にともない、ジョン・トーマス・シーファーが在日本大使を退任したため、ズムワルトが2009年1月15日に臨時代理大使に昇任した。ジョージ・W・ブッシュの後任としてバラク・オバマが大統領に就任したが、在日本大使の人事はなかなか発令されなかったため、その間はズムワルトが臨時代理大使として在日本大使館を率いた。その後、オバマは在日本大使にジョン・ルースを充てる人事を発表した。ルースが皇居に参内し信任状捧呈式が行われたため、それにともないズムワルトは臨時代理大使を2009年8月20日に退任した。退任後は在日本大使館にて再び首席公使に戻った。2011年の東北地方太平洋沖地震に際しては、首席公使として対応にあたった。同年末、首席公使を退任し、ジョセフ・ドノヴァンの後任として国務省の次官補代理(東アジア・太平洋担当)に就任した。在日米軍の再編・基地返還交渉などにも携わっており、外務省北米局参事官の秋葉剛男、防衛省防衛政策局次長の黒江哲郎らとの協議にて、空軍嘉手納飛行場以南の軍事施設を先行返還することで合意している。父は海兵隊に所属する軍人であり、第二次世界大戦中はノースカロライナ州で上陸訓練を繰り返したのちにダウンフォール作戦に参戦するよう命じられたが、太平洋戦争の終結により作戦は中止され生き延びた。母はスイス人であり、のちにアメリカ市民権を取得した。そのため、ズムワルト家では、スイスの建国記念日になると毎年スイス国旗を掲げていた。妻のアン・カンバラは、広島にルーツを持つコロラド州出身の日系アメリカ人。ジェームスと同じく国務省で外交官を務めており、ともに在日本大使館に勤務した際に知り合って結婚した。アンは結婚後も国務省に勤務しており、東京アメリカンセンター館長などを歴任している。なお、アンは自身の氏名の日本語表記には片仮名を使用しているが、漢字表記での姓は「神原」である。
出典:wikipedia
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