本項では、2007年の日本シリーズ第5戦において、中日ドラゴンズ監督の落合博満、投手コーチの森繁和が行った完全試合目前だった山井大介から岩瀬仁紀への継投について記述する。この項目における人物の肩書きは特記無い場合、いずれもこの試合が行われた当時のものとする。第4戦までで中日ドラゴンズは北海道日本ハムファイターズに3勝1敗とし、日本一に王手をかけていた。第5試合は11月1日、ナゴヤドームで行われた。中日の先発投手は3週間以上間隔を置いていた山井大介、日本ハムの先発投手は第1戦に勝利し中4日登板となるダルビッシュ有であった。山井は日本ハム打線を相手に86球を投げて8回まで一人の走者も許さない投球。中日は2回に平田良介が犠飛で1点を先制し、1-0でリードのまま、9回表の日本ハムの攻撃を迎えた。9回表、山井の完全試合を期待する山井コールが湧き起こる中、中日監督の落合博満は山井を降板させ、抑え投手の岩瀬仁紀を登板させた。岩瀬は日本ハム打線を三者凡退に抑え、中日は53年ぶりに日本一を達成した。試合は、日本プロ野球では参考記録扱いながら、山井と岩瀬の継投による完全試合となった。日本のポストシーズンゲームにおいては、完全試合及びノーヒットノーランが達成されたことはない。レギュラーシーズンを含めて、継投による完全試合はこの一例のみである。メジャーリーグでは1956年、ドン・ラーセンがワールドシリーズでの完全試合を達成している。メジャーリーグでは日本と違い継投による完全試合であっても公式記録としているが、継投による完全試合はレギュラーシーズンを含めて記録された事は無い。また、山井が記録した先発投手による8回までのパーフェクトピッチングは日本シリーズ新記録となった。それまでの日本シリーズにおけるパーフェクトピッチングの最高記録は村山実(阪神・1962年第2戦)の7回1/3。降板した理由として「自分に完全試合達成目前という投球をさせてくれているのは味方の力、特に守備のおかげでした。セギノールのショートへのヒット性のあたりを井端さんが難なくさばいたのは、偶然ではなく、事前にセギノールの打球の傾向を研究し尽くして、可能性の高い場所に守っていたからなんです。ほかの守りにしてもみんなそう。ずっと積み重ねてきた努力がファインプレーになって、ぼくの投球を支えてくれていた。だからこそ、最後は、シーズンを通して抑えの役目を果たしてきた岩瀬さんで終わるべきだと思った」と述べた。日本シリーズ史上初となる完全試合が目前であったが故に、山井から岩瀬への継投を行った落合監督の采配については、スポーツマスコミ、野球評論家などを中心に賛否両論が巻き起った。当時の他球団の監督及び監督経験者は賛成意見が多く、監督未経験の野球解説者やジャーナリストからは反対意見が出ることもあった。野球関係者のうち、当事者球団である中日・日本ハムのOBを中心とし、中立的観点である者もいた。
出典:wikipedia
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