ジェームズ・アンソニー・ローニー(James Anthony Loney, 1984年5月7日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身のプロ野球選手(一塁手)。左投左打。MLB・ニューヨーク・メッツ所属。時代にはチャド・ハフマンとチームメートだった。、MLBドラフト1巡目(全体19位)でロサンゼルス・ドジャースからで指名され、ベイラー大学へ奨学生として進学予定だったが、契約金150万ドルでドジャースと契約。同年、ルーキー級とA-級で64試合に出場し、打率.350を記録。シーズン終了後にはベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングで、ドジャース傘下での最高評価を受けた。はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎えたが、4月4日にノマー・ガルシアパーラの故障者リスト入りに伴いメジャー昇格。同日メジャーデビューを果たしたが、22日にガルシアパーラが復帰するとローニーはラスベガスへ降格。ラスベガスではマイナーリーグ最高の打率.380を記録し、ドジャース傘下の最優秀マイナー選手("Branch Rickey Minor Leaguers of the Year")に選出された。、ドジャースは一塁手として守備位置の重複するガルシアパーラと2年契約を結び、ローニーは開幕をAAA級ラスベガスで迎えた。6月10日にメジャー昇格を果たし、監督は6月26日からガルシアパーラを三塁手として起用し、ローニーを一塁手として起用。その後、ローニーは、シーズン終了まで一塁手として出場を続け、96試合の出場で打率.331を記録。9月の月間最優秀新人に選出され、新人王の投票では6位に入った。は開幕から15試合連続安打と好調なスタート。開幕からの連続安打では球団史上にスティーブ・ガービーが21試合連続安打を記録して以降最長となった。161試合に出場し、チーム最多の90打点を記録。シカゴ・カブスとのディビジョンシリーズでは第1戦でライアン・デンプスターから満塁本塁打を放ち、チームは7対2で勝利。ドジャースには7シーズン在籍したが、本塁打はの15本が最高で、一塁手としてはパワー不足が致命的だった。8月25日、イバン・デヘスース・ジュニア、アレン・ウェブスターほか2選手と共に、ジョシュ・ベケット、エイドリアン・ゴンザレス、カール・クロフォード、ニック・プント+金銭のトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した。2012年12月6日に年俸200万ドルと出来高100万ドルの1年契約でタンパベイ・レイズに移籍した。は一塁のレギュラーとして158試合に出場。規定打席に到達したシーズンとしては自己最高となる打率.299をマーク。本塁打と打点の水準も復調し、2012年の不振から脱却した。シーズン後、10月31日にFAとなったが、12月12日にレイズと3年2100万ドルで再契約に合意したと報道された。1月3日に球団が再契約したことを発表した。シーズンでは、前年に引き続き一塁のレギュラーに固定され、155試合に出場。本塁打は9本(2年ぶりの1桁、規定打席到達したシーズンでは初の1桁)に留まったが、自己最多の174安打・打率は2年連続で.290を超え、シュアな打撃は健在だった。は引き続き一塁のレギュラーを務めたが、本塁打が9本から4本に、打点が69打点から32打点にそれぞれ約半減し、やや調子を落とした。3月30日に開幕25人枠には残らないことを告げられ、4月3日に自由契約となった。2016年4月7日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。2016年5月28日に金銭トレードでニューヨーク・メッツに移籍した。5月31日にメジャー契約を結び25人枠入りし、同日のシカゴ・ホワイトソックス戦に先発出場した。
出典:wikipedia
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