秋田ノーザンハピネッツ(あきたノーザンハピネッツ、)は、秋田県秋田市を本拠地としてB.LEAGUEに所属するプロバスケットボールチームである。運営母体は秋田プロバスケットボールクラブ株式会社。秋田県初のプロスポーツチームである。「ハピネッツ」は一般公募3,117通の中から選ばれた名称であり、みんなが幸せを共有できるようにという願いが込められている。これに秋田のラグビーチーム・秋田ノーザンブレッツラグビーフットボールクラブの「ノーザン」を組み合わせて「ノーザンハピネッツ」(Northern Happinets)とした。同じ名を共有することで、共に地域の人々に愛されるチームを作り、秋田を全国に発信したいという思いが込められている。チームロゴはデザイナー・東海林諭宣の作品で、日本有数の米どころである秋田の稲穂があしらわれたデザインとなっており、勝利と豊作の願いが込められている。ブースター(ファン)が熱狂的であることが知られており、アウェーゲームでもホームゲームのように客席をピンクに染める動員力から「クレイジーピンク」と呼ばれている。秋田市を中心に各地で開催されていた。2016-17シーズンより、CNAアリーナ★あきたをホームとする。秋田県は高校バスケ全国タイトル最多を誇る秋田県立能代工業高等学校を抱え、かつての強豪いすゞ自動車も当初秋田を本拠地としていたなどバスケ熱が非常に高い地域として知られる。そんな中、2007年に湯沢など県南を中心として「秋田プロバスケットボールチーム 設立検討委員会」を発足してbjリーグ参入を目指したが頓挫。その後、2008年6月19日に「秋田プロバスケットボールチームをつくる会」が発足。改めてbjリーグ参入を目指した。同年、県内初のプレシーズンマッチとして仙台89ERS対新潟アルビレックスBB戦を開催した。この時の仙台には高橋憲一、新潟には長谷川誠、それぞれ秋田出身の選手が所属している。2009年1月30日、運営母体となる「秋田プロバスケットボールクラブ株式会社」が設立され、5月26日に新規参入が決定。9月23日、2度目のプレシーズンマッチとして仙台対浜松・東三河フェニックス戦を開催(当時浜松の中村和雄ヘッドコーチも秋田出身)。この場でチーム名「秋田ノーザンハピネッツ」も発表された。2010年4月29日、インターネット投票により3種類のロゴマークから、稲穂をあしらったものがチームロゴに決定した。ゼネラルマネージャーに元ゼクセルの選手であった秋田県出身の大場清悦が就任。2010年6月、新潟アルビレックスBBからFA宣言していた長谷川誠を選手兼監督として獲得。実質的な指揮官として前滋賀レイクスターズHCのロバート・ピアスが初代HCに就任した。エクスパンションドラフトでは水町亮介、新人ドラフトでは能代工業高校出身の信平優希、育成ドラフトでは盛岡南高校を卒業し富士大学在学中であった澤口誠を獲得。またチームトライアウトで菊地勇樹を、高松ファイブアローズからの金銭トレードで庄司和広を獲得した。外国籍選手ではアントニオ・バークスとセック・ヘンリー、アンソニー・コールマン、ポール・ビュートラックと契約を結び、開幕を迎えた。開幕戦は仙台を秋田県立体育館に迎え、東北ダービーが行われたが、連敗スタートとなる。初勝利は4戦目、アウェイの新潟戦。その後は前年王者の浜松にアウェイで善戦することもあったが、連勝をすることができず負けが込み、前半戦は7チーム中6位。この間、ドクン・アキングバデを補強し、また2011年に入ると、いずれも練習生だったジョン・セヨン、村上大、伊計郁也と契約。同年2月には怪我のためコールマンとの契約を解除し、ウィル・グレイヴスを補強した。3月に発生した東日本大震災の影響で東カンファレンスの仙台、埼玉、東京の3チームが活動を休止したことを受けて、秋田は東地区6位であったが、繰り上がりで参入1年目での初のプレイオフ進出が決定した。また、埼玉ブロンコスから選手救済制度レンタル移籍で北向由樹を補強した。プレイオフでは東地区2位の新潟と対戦したが、初戦は75-72、第2戦は84-76と連敗し、参入初年度を終えた。シーズン終了後ピアスHCは契約満了で退任、後任HCは前浜松HCの中村和雄が就任することが決定した。澤口誠が岩手ビッグブルズに移籍、浜松から佐野吉宗を獲得する。外国人選手は総入れ替えとなる。マイケル・ガーデナー(元・高松)、ケイシー・クロフォード、ブランドン・ウォレス、デヴィン・スウィートニー、スタンリー・オシッティ(元・浜松、浜松時代の登録名は「オシティ」)と契約基本合意するが、スウィートニーは正式契約とはならず、中村ヘッドが評価したクロフォードも練習中に骨折、シーズン前に契約を解除した。スウィートニーに代えてケニー・テイラーを獲得し、開幕を迎えた。シーズン初戦の大分戦では第1戦で大勝したものの、翌日の第2戦では大敗、高さ対策のため10月19日にE・J・ドレイトンを獲得した。その後は好調に連勝を続けたが、11月6日の千葉ジェッツ戦で敗れ、連勝は5でストップ。高さに劣るハピネッツはインサイドの攻撃力を強化するため11月7日にリッキー・ウッズ(元・大分)を獲得、その煽りを受けてテイラーが契約解除となった。11月14日には負傷の経過が思わしくなかったウォレスとの契約を解除し、カーティス・テリーを獲得した。また、11月18日に練習生の石井秀生(元・浜松)と、さらに24日には同じく練習生の吉元悠と選手契約を行った。中村HCをして「マイケルのチーム」と言わしめた今季のハピネッツであったが、要所での自己中心的なプレーが改まらなかったガーデナーが12月11日の宮崎戦で肋骨を骨折、12月19日に契約解除となった。チームは12月22日にガーデナーに代わるポイントガードとしてマイカル・キアースを獲得する。前半戦から好調を維持し首位を走っていたが、12月24日の京都ハンナリーズ戦で敗れ、浜松に勝率で並ばれた。さらに、この時点での浜松との直接対決は0勝2敗と秋田が下回っていたため、秋田は東地区首位の座を浜松に明け渡した。2011-12シーズンの首位陥落はこれが初である。12月25日の試合も京都に敗れ、新潟と代わり3位に転落した。年明けの富山戦では連勝し再び首位となり、二週目に行われたオールスターには庄司が出場した。1月15日、テリーが不祥事を起こし選手契約を解除される。2月に入るとオシッティがチーム戦略に合わないと言うことで契約解除となり、代わってライオネル・グリーン、カイル・スワンストンを獲得、さらに改定新人選手契約制度で田口成浩と契約した。外国人選手が開幕時とは全く異なり、高さの無いチームとなってしまったハピネッツは後半を苦戦し、年明けは15勝15敗と五分の成績となる。全日程消化時点で東4位以上を確定、プレイオフ、イースタンカンファレンスファーストラウンド進出を決定、4月28日に新潟が埼玉に敗れたことで東3位でレギュラーシーズンを終えた。プレイオフファーストラウンドでは東6位の仙台と対戦、1戦目を落としたものの2戦目に勝利し、最終決定戦にも勝利、カンファレンスセミファイナルに進出。セミファイナルではレギュラーシーズンで4戦全敗している東2位の横浜と対戦、1戦目は大敗したが2戦目に勝利、最終決定戦で15-18で敗戦、2年目のシーズンを終えた。信平優希、石井秀生が埼玉に移籍、吉元悠は契約解除となる一方、富山グラウジーズから加藤真、浜松から山口祐希を獲得、またドラフトで澤地サミュエル・ジュニアを獲得した。外国人選手は今シーズンも総入れ替えとなり、前大分のT・J・カミングス、bj未経験のディオン・ハリス、ジョーダン・デマーシー、アンソニー・ケントを獲得した。9月に行われたプレシーズンゲームでは、韓国KBLの原州東部プロミに2敗、琉球ゴールデンキングスに2敗したものの、東北地方を拠点とするチームに東京サンレーヴスを加えた4チームで行った東北カップで仙台、岩手に勝ってカップを制した。シーズン開幕後は6連勝し序盤は好調だったものの、攻撃力に課題を有し次第に苦戦するようになる。12月に入りカミングス、デマーシーとの契約を解除、前仙台のダン・フィッツジェラルドとbj未経験のアンソニー・メイソン・ジュニア(元NBAプレーヤー、アンソニー・メイソンの息子)と契約合意、フィッツジェラルドは12月8日の横浜戦でデビューしたが、メイソンはメディカルチェックの結果契約が成立しなかった。12月19日には前宮崎のマーシャル・ブラウンとの契約合意が発表され、ブラウンは22日の埼玉戦でデビューした。埼玉戦は連勝し、東地区4位で年内を終える。12月26日、新人選手契約制度で富樫勇樹との契約合意を発表。年明けはアウェイの東京戦で1勝1敗、横浜戦で2敗を喫する。1月17日に新人選手契約制度で館山健太との契約合意を発表。1月18日に行われたオールスターでは田口が初出場した。2月15日、期待されたパフォーマンスを発揮することのなかったフィッツジェラルドが契約解除となり、マイク・アンダーソンが加入した。その後も戦績は低迷したが、3月17日の京都戦でブラウンが左肩を脱臼、3月22日の宮崎戦でケントが右足腓骨を骨折し、チームの状態は危機的状況となる。4月2日、長谷川が今シーズン限りでの現役引退の記者会見を行う。4月14日、新潟戦に勝利し東地区6位以内を確定、プレイオフ進出を決定した。プレイオフファーストラウンドでは東4位の岩手と対戦、1戦目を落としたものの2戦目では残り6秒で逆転勝利し、最終決定戦でもブラウンが延長残り2秒で3Pフリースローを全て決めて逆転勝利、カンファレンスセミファイナルに進出。セミファイナルでは東首位の新潟と対戦したが、初戦は後半に失速して敗戦、2戦目も2Q以降はインサイドを支配され大差で敗北、3年目のシーズンを終えた。長谷川誠、庄司和広、菊地勇樹、加藤真が引退、山口祐希は青森に移籍、澤地サミュエル・ジュニアは退団となる一方で、前宮崎の大塚裕土、前群馬の菅澤紀行を獲得、また練習生であった小林祐太と契約した。外国人選手はルーベン・ボイキン、エルハジ・ワドゥ、前横浜のチェイス・マクファーランド、同じく前横浜のドゥレイロン・バーンズを獲得したが、バーンズは来日前の練習中に眼窩を骨折したことが来日後の診断で明らかになり、契約締結には至らなかった。9月12日にバーンズに代わる外国人選手としてリチャード・ロビーの獲得が発表された。プレシーズンゲームは横浜と2試合して2勝、東北カップで青森、岩手に勝利し、その後新潟と引き分け無敗のままシーズンに入る。昨年と比べてインサイドが強化されたハピネッツは開幕から連勝を重ね、10月26日の長野戦で勝利、球団初の7連勝を達成する。その後も連勝は続き、11月10日の仙台戦で勝利、12連勝を達成した。新潟戦を終え、男鹿での群馬戦を目前に控えた11月28日にワドゥとの選手契約を解除。残りのシーズンは練習生としてチームに帯同することとなった。同日、代わりの選手としてbj初挑戦のシルベスター・セイとの契約締結が発表された。その後も好調に勝ち星を重ね、連敗は富山、横浜戦の2連敗のみ、オールスター前までに26勝4敗と首位を維持する。秋田市立体育館で開催されたオールスター戦は、EASTのHCは中村、スターティングメンバーの4人が秋田の選手となり、98-91でEASTが勝利、富樫がMVPを獲得するという結果となった。オールスター後は2月2日の高松戦で連勝し公式戦通算100勝目を達成した。2月6日、セイとの契約を解除し前浜松のディショーン・スティーブンスを獲得する。直後の信州戦で1勝1敗となるが、続く富山戦で連敗、次の青森戦も初戦に敗れ、今季初の4連敗となる。2位の富山とは1ゲーム差のままシーズンが進むが、3月30日の仙台戦に敗北、富山と勝敗数が並んだが、直接対決で負け越したため首位から転落、2位となった。4月3日、中村HCが今季限りで退任との報道が流れる。報道直後の岩手戦で連敗、岩手と負け数が並ぶ。その後の東京、横浜戦は連勝したものの、岩手と勝敗数が並び、直接対決で負け越したためレギュラーシーズンを3位で終了した。プレイオフファーストラウンドでは東6位の青森と対戦、連勝でカンファレンスセミファイナルに進出。セミファイナルでは東2位の岩手と対戦、敵地の岩手県営体育館での開催でありながら観客の半数以上が秋田ブースターという中、連勝して初の有明行きを決定した。カンファレンスファイナルでは東首位の富山と対戦、シーズンでは1勝3敗という対戦成績であったが、109-94で勝利しファイナル進出。ファイナルは西地区優勝の琉球と対戦するが89-103で破れ、準優勝となった。中村HCが退任、富樫勇樹はNBA挑戦、佐野吉宗、小林祐太が契約解除となる一方、ドラフトで前和歌山の中島良史を獲得する。また福岡からFA宣言していた竹野明倫を獲得した。ヘッドコーチはテクニカルディレクターであった長谷川誠が就任する。8月には前東京の内村祥也を練習生として受け入れ、9月に選手契約が成立した。外国人選手はリチャード・ロビーとルーベン・ボイキンが昨年に引き続いて契約成立し、また、新たにタイラン・ウォーカー、ジャリッド・フェイマスと契約合意した。9月に行われたプレシーズンゲームでは富山と2戦して連敗、琉球にも破れ、東北カップでは初日岩手に敗戦、2日目の青森戦にも敗北、NBLのリンク栃木戦でも敗戦と、新チームとなってからなかなか結果を出せず、加えて家族の事情でチームを離脱したフェイマスとの契約が9月28日に未締結となったが、昨季途中に加入したディショーン・スティーブンスが開幕前に復帰した。開幕となったアウェイ新潟戦ではスティーブンス、竹野が欠場となったものの49対57で勝ち、新チームとなって初勝利を挙げたが、翌日は敗戦。ホーム開幕の仙台戦でも敗戦し2連敗となったが、その後は11連勝を記録した。ホームで琉球に連敗した後再び連勝し、チームタイの12連勝を記録。この間に岩手を勝ち数で抜いて首位に立つ。12月は田口が月間MVPを受賞した。1月に入ってインサイド強化のためウォーカーとの契約を解除、トラヴォン・ブライアントが加入した。その後は岩手と同率で首位を走るものの、2月28日の信州戦に敗れ首位を陥落する。またこの試合で竹野が左膝前十字靱帯を断裂し、シーズン中の復帰が不可能となる。3月14、15日の東京戦は竹野、ブライアントを欠く中連勝し、一方で首位の岩手が冨山に連敗したため首位に返り咲いたが、翌週冨山に連敗、再び首位陥落する。4月18、19日に岩手と直接対決し1勝1敗となる。最終節の埼玉戦に連勝した一方で岩手は新潟戦を1勝1敗で終え、勝敗数が並んだが得失点差の結果結果首位でシーズンを終えた。プレイオフファーストラウンドでは東8位の群馬と対戦、連勝でカンファレンスセミファイナルに進出。セミファイナルでは東4位の新潟と対戦、初戦を落としたものの2戦目に勝利、決定戦は残り3秒、1点ビハインドでボイキンのシュートのリバウンドを拾った田口がゴールに押し込み逆転勝利、2年連続の有明行きを決定した。カンファレンスファイナルでは東2位の岩手と対戦、前半を同点で終えたが後半突き放し、84-68で勝利しファイナル進出。ファイナルは西地区優勝の浜松・東三河と対戦、4クォーターの終了間際までリードしていたものの69-71で逆転負け、2年連続の準優勝となった。中島良史との契約が満了し、中島は青森に移籍する。それ以外の日本人選手は引き続いて契約、新加入選手は青森から高橋憲一、サウスイースタンオクラホマ州立大学から谷口大智が加入した。外国人選手はロビーが前年に引き続いて契約、アイシンシーホース三河からスコット・モリソンが加入する。スタッフでは元安陽一ACが大阪に移籍、元高松ファイブアローズHCの前田顕蔵がACとして加入した。開幕前のプレシーズンゲームでは千葉ジェッツと2戦して連敗、トヨタ東京にも敗戦する。9月16日に3人目の外国人選手としてレイ・ターナーとの契約基本合意が発表された。9月19日~21日に五所川原市で行われた東北カップでは、2回戦で福島に敗れ、3位決定戦で仙台に勝利、この勝利が新チームでの初勝利となった。9月23日にはアイシンシーホース三河と対戦、主力を欠くアイシンに対して79-62で勝利した。開幕のホーム埼玉戦は連勝するが、アウェイの群馬戦は1勝1敗、第3節の仙台戦は連敗する。その後は連勝して敗戦というパターンが続き、2015年を2位で終えた。年明けのアウェイ富山戦で連敗、3位に後退する。オールスター後も連勝して敗戦のパターンとなり、2月26日、27日の東京戦に連勝して首位に立つが、翌週の長野戦は1勝1敗で首位陥落、3月12日、13日のアウェイ新潟戦は連敗を喫した。翌週のホーム第11節は岩手と1勝1敗で星を分ける。その後連勝し、4月9日、10日の横浜戦に連勝しプレイオフ ホーム開催を決定した。ホーム最終戦となった青森戦で敗戦、翌週の仙台戦も敗戦するが、シーズン最終戦は勝利し、35勝17敗の東3位でレギュラーシーズンを終えた。プレイオフファーストラウンドでは東8位の福島と対戦、連勝でカンファレンスセミファイナルに進出。セミファイナルでは東2位の仙台と対戦、連勝で3年連続の有明行きを決定した。カンファレンスファイナルでは東1位の富山と対戦、第1クォーターこそりーどしたものの第2クォーターで逆転を許し、その後は終始追いかける展開となり結局99-84で敗北、ファイナルを逃した。3位決定戦は西地区レギュラーシーズン1位の京都と対戦、序盤から大量リードし、122-74の大差で勝利、bjリーグ最終年を総合3位で終えた。大塚裕土が日立サンロッカーズ東京・渋谷、竹野明倫が西宮ストークス、館山健太が青森ワッツに移籍、内村祥也が引退した。外国籍選手はリチャード・ロビーが三遠ネオフェニックスに移籍する。加入選手は白濱僚祐がアイシンシーホース三河から、安藤誓哉がリンク栃木ブレックスから、藤江建典が岩手ビッグブルズから加入。外国籍選手はディショーン・スティーブンスが2年ぶりに復帰、ケビン・パルマーがイスラエルのから加入し、スコット・モリソンが今年度も継続加入した。プレシーズンゲームはパスラボ山形ワイヴァンズ、シーホース三河にそれぞれ勝利し、9月9日から11日まで行われた東北カップでは準決勝で山形に勝利、決勝では仙台89ERSに勝利し3年ぶりに優勝した。シーズン開幕はアウェイで栃木と対戦、83-68で勝利しBリーグでの初勝利を飾った。ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している。参入初年度である2010-11シーズンから2013-14シーズンまでは「いなほゴールド」を基調としたユニホームであったが、2014-15シーズンより「ハピネッツピンク」に改められた。チアダンスチームとしてハピネッツチアダンスチームがあり、阿部美音子がディレクターを務める。阿部に師事し、NBAのシカゴ・ブルズのチアダンスチームに所属していた石田舞も指導にあたっていた。bjリーグ時代は球団公認のスポーツボランティア団体として秋田SV-ハピネッツ(あきたえすぶいはぴねっつ)が、主催試合の運営に協力していた。「秋田プロバスケットボールチームをつくる会」がリーグ参入の目的を達成して発展的に解散すると同時に組織改編して、2010年3月に発足した団体である。試合当日の会場運営を主な目的としているほか会場の設営および撤収、さらに各種イベントからPR推進まで幅広い領域で活動していた。2013年にはbjリーグ2012-13シーズンアワード「チームアシスト賞」を受賞。これを機に新規参入前からリーダーを務めていた阿部幸之は退き、新たに児玉晴夫を団体代表に選任した。2016年の新リーグ移行に伴い団体としての活動は終了、個々のボランティアの統率は球団運営会社に委ねられる。2010年9月、マスコットキャラクターとして、チームカラーであるピンク色のカエルをモチーフとした「Bicky(ビッキー)」が決められた。チームロゴの稲穂から、水田にいるカエルを連想したもので、一般公募の中から秋田市内の小学生のアイデアが採用され、デザイナーの今野仁が仕上げを担当した。「天井直撃ダンクシュート」が得意技と設定されており、試合中のハーフタイム等で実際にトランポリンを用いたダンクシュートを行う。2011-2012シーズンのオールスターゲームでもダンクシュートを披露した。2014年11月、NHK BSプレミアムにて放送されるドラマ『ザ・ラスト・ショット』は、ハピネッツに着想を得て制作され、作中にはハピネッツをモチーフにした架空のチーム「秋田ブレイブ・ラッキーズ」も登場する。秋田県内で行われた撮影には、メインキャストの永井大、松田悟志、臼田あさ美らに加えてハピネッツの選手が参加したほか、およそ2千人の秋田県民もエキストラとして参加した。
出典:wikipedia
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