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野並

野並(のなみ)は、名古屋市天白区の地名。現行行政地名は野並一丁目から野並四丁目。郵便番号468-0045。名古屋市天白区西南部に位置する。野並駅から西へ徒歩5分程度で天白川、野並地区東側には里山風景が残り、ヒメボタル等が観察できる相生山が広がり自然が多く残る地区である。もともとは沼地。タンチョウも目にすることができた。1560年(永禄3年)千秋季忠は、織田信長に従って桶狭間の戦いに出陣し討死するものの、信長は季忠の妻の胎内にあった千秋季信に14年後の1574年(天正2年)に引見し、刀一振りとともに野並村を領地として与えた。この時、織田信長から「千秋家は大宮司職という高貴な職につきながらも3代に渡り戦死してしまい、血脈が絶えるおそれがある。今後は軍事に携わらず神職を全うせよ」と言われ、これ以降は神職に専念し、血脈絶えることなく今もなお野並地区に千秋家の末裔は住んでいる。江戸幕末までは熱田神宮領であり、大宮司を代々務めてきた「藤原千秋家」の墓所もある。1728年(享保13年)野並地区の南方で天白川の氾濫が度々おき、田畑が流され尾張藩への年貢が納まらないこともあったため、野並の笹原あたりで西流させ山崎川へ合流させる工事が行われた。しかし、今度は山崎川での氾濫が14年間で17回も起きたことから、1741年(元文6年/寛保元年)に元の川筋に戻された。天白川が山崎川に合流していた14年間にできた新田を「天白古川新田」と言われ、現在の野並地区にその名残の古川町という場所がある。山崎川 上ニテ川名川ト云、是ハ末森村猫洞七ツ釜大藪池ノ水落来レリ、下ハ紀左衛門新田道徳新田ノ間ニテ海ヘ落ツ。山崎橋長十二間幅三間アリ、大道奉行修造ヲ掌ル。享保十三戌申年、天白川ヲ此山崎川ヘ一旦瀬違有之シカ、十四年ノ間ニ天白川十七度決壊シ、処々砂入ナリシニヨリ、元文六酉年天白川元川ヘモトリ山崎川如今ナレリ。(郡村徇行記)天白区野並四丁目、鳴海町、古鳴海、相川付近はかつて、上野山(鳴海丘陵)と呼ばれ、一帯が梅林であった。その梅林の頂上に大きな奇異な形をした松があり聖松とされた。江戸時代に 東海道が整備されるまでは、京都〜鎌倉を結ぶ道は 鎌倉街道とよばれ、陸上ルートは天白区島田〜天白区野並〜緑区鳴海。それに対し、海上ルートは南区呼続〜天白区野並〜緑区鳴海を渡ってた。その際、呼続台地方面から野並に海上から渡る目印を『上野の聖松』としていた。しかし、昭和初期頃に枯れてしまった。現在、聖松が立っていた頂上辺りには梅野公園がある。(野並駅近くの八劔社辺りに松があったという説もあるが、上野山の頂上とされているため梅野公園辺りのほうが海抜が高く有力)野並の市街地は地下鉄桜通線野並駅を中心としている。

出典:wikipedia

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