本多 昌長(ほんだ まさなが、慶長19年9月18日(1614年10月21日) - 寛文9年5月21日(1669年6月19日))は、福井藩家老。本多家第2代当主。父は本多富正。母は側室。弟は本多正房。正室は松平直基の養女。子は本多長員、内藤信良室(松平直基養女)、広橋貞茂室(松平光通養妹、後最上刑部室)。幼名千菊。通称源四郎、内蔵助。慶長19年(1614年)9月18日、福井藩家老本多富正の子として府中に生まれる。元和元年(1615年)幕府の証人として江戸に下向。元和2年(1616年)結城秀康側室の清涼院に伴われ、江戸城に登城し将軍徳川秀忠と世子家光に拝謁する。寛永10年(1633年)元服し、藩主松平忠昌より偏諱を受け内蔵助昌長と名乗る。寛永12年(1635年)松平直基養女と結婚。正保2年(1645年)11月藩主光通の家督相続の御礼言上の際に、永見吉次らと共に将軍家光に拝謁する。慶安2年(1649年)父富正の死去により、家督相続し府中4万石の領主となる。慶安3年(1650年)河潅山芳春寺を再建する。寛文9年(1669年)5月21日没。享年56。家督は嫡男長員が相続した。3歳で江戸城に登城し将軍秀忠に拝謁した際に、御台所於江の方に「父親の富正は容貌が良くないと聞いていますが、この子は母親に似たのですね」と声をかけられた。また、世子家光は千菊を奥に連れて行き印籠袋を賜った。
出典:wikipedia
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