上杉 頼方(うえすぎ よりかた、生年不詳 - 永享4年(1432年)2月)は、室町時代の武将。越後守護。上杉房方の次男。朝方は兄で、憲実、重方、清方は弟。子に山吉正盛室。幼名は七郎。上杉氏分家の山浦上杉家を継いだが、始祖・上杉憲重(叔父)の養子かどうかは不明。応永28年(1421年)に父・房方が没し、翌年には跡を継いだ兄の朝方も亡くなったため、頼方は甥の房朝の後見人として越後守護を継承した。しかし、この時期室町幕府と鎌倉公方足利持氏の関係は最悪であり、頼方は弟の憲実が関東管領であることから鎌倉派ではないかと疑われた。応永30年(1423年)10月にようやく幕府から赦免された頼方は、越後の上杉頼藤・中条房資に指令を送り、鎌倉派の守護代・長尾邦景を討つよう命じた(越後応永の大乱)。ところが、討伐を命じられた越後国人の足並みは乱れており、邦景の裏工作で簡単に寝返る始末であり、なかなか事が収まらずにいるうちに応永31年(1424年)、幕府と鎌倉公方が和睦、12月には房朝を畠山満家に奪い取られ、大義名分と実権を失った。応永33年(1426年)には邦景派の逆襲を退けるもこれが限界であり、まもなく頼方は守護を罷免され、房朝に改められ、邦景も赦免された。以降の消息は不明である。「深谷上杉系図」によれば永享4年(1432年)2月死去。
出典:wikipedia
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