オーロマイスター () とは日本の競走馬である。馬名はラテン語で黄金を意味する「オーロ」 (Oro) とドイツ語でチャンピオンを意味する「マイスター」 (Meister) が由来となっている。2007年11月18日に東京競馬場で行なわれた芝の新馬戦に鞍上・吉田豊でデビュー。道中は中団のやや後方から競馬を進めると、直線では上がり3ハロン33秒7の末脚で他を差しきり、単勝1.8倍の圧倒的な1番人気に応えて勝利した。その後、朝日杯フューチュリティステークスに出走登録をするが抽選に漏れ除外となり、中京2歳ステークスに向かった。ここでも新馬戦に続き1番人気に推されたが5着に敗れる。年明けはジュニアカップから始動。デビュー以来3戦連続1番人気となるも勝ちきれず2着。3月にはGIIスプリングステークスに鞍上に田中勝春で挑戦するも16着に敗れた。その後、鞍上を再び吉田豊に戻し条件戦を走るも、なかなか勝利をあげることができなかった。10月、デビュー戦以来となる東京競馬場で3歳500万下のレースで快勝し、続く昇級戦でも2着となったが、その後は4戦連続の1番人気に推されたが勝利を挙げることができなかったため、陣営は初めてダート競走に出走させることとなる。前走から鞍上の内田博幸とともに初ダートとなったレースでは、好位からの競馬で2着に4馬身をつける圧勝、福島で猪苗代特別も快勝した。夏には札幌遠征し昇級戦の報知杯大雪ハンデキャップ、格上挑戦となったしらかばステークスで続けて鞍上が替わる中、2着に入っている。鞍上が内田博幸に戻ったながつきステークスで勝利を挙げ、ダート転向後一度も連対を外すことなくオープン入りを果たした。11月のトパーズステークスでは3番人気に推されたが、7着に終わった。鞍上を再び吉田豊に戻して臨んだ続く師走ステークスではクリールパッションの2着と好走した。年明けは大和ステークスから始動した。距離短縮となるダート1400m戦は初めてだったが、中団追走から直線に向くと差し切ってオープン初勝利を飾った。中1週で挑んだ根岸ステークスでは後方から追い込んで3着となり、GIのフェブラリーステークスに出走予定だったが、感冒のため出走取消となった。休養のため3ヶ月の間隔をおいて出走した欅ステークスでは中団のやや後ろから追い上げてくるも3着に敗れた。続く大沼ステークスでは直線で伸びず10着、マリーンステークスでも直線で伸びあぐねて8着に敗れた。ブリーダーズゴールドカップで好位追走から4着、9月のエルムステークスでは2着と連対を果たした。そして10月、出走取消となったフェブラリーステークスを除き、初のGI級競走マイルチャンピオンシップ南部杯に出走した。道中は2 - 3番手の好位でレースを進め、直線で抜け出すと1番人気エスポワールシチーを突き放して勝利。重賞・GI級競走初勝利となった。勝ちタイム1分34秒8は盛岡競馬場ダート1600mのレコードであった。11月のJBCクラシックでは3番手追走も3コーナー付近で失速し10着、続くジャパンカップダートでは好位中団でレースを進めたが、直線で失速し11着と大敗した。フェブラリーステークスで始動したが、後方追走のまま12着と大敗した。続くポラリスステークスは不良馬場の中トップハンデの58.5キロを背負って出走、道中は中団から直線で最内を突いたが4着、マーチステークスでは後方からの競馬で7着、かしわ記念では5着、オアシスステークスでは7着に敗れた。大沼ステークスでは前目5、6番手に位置したが直線で脚をなくし6着であった。エルムステークスでは中団追走から3コーナー過ぎで徐々に進出するが後方から伸びたランフォルセにかわされ2着。連覇をかけて挑んだマイルチャンピオンシップ南部杯では好位でレースを進めたが、直線で失速し10着と大敗した。その後、JBCスプリントに出走を予定していたが馬体故障のため競走除外(中央競馬では出走取消)となった。その後、2012年9月12日付けで競走馬登録を抹消、引退した。引退後は故郷の追分ファームで種牡馬となる。追分ファームでは種牡馬とされながら同時に若手騎乗者用の乗馬として繋養されていたが、2014年11月に種牡馬として大韓民国に輸出されることが決まった。
出典:wikipedia
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