阮淦(げん かん、光順9年(1468年) - 元和13年(1545年))は、後黎朝大越の権臣。阮弘裕の長男。統元6年(1527年)、莫登庸が恭皇を退位させて帝位を簒奪すると、阮淦は哀牢に逃げ込んだ。昭宗の子の黎維寧を迎えて皇帝として擁立(荘宗)し、黎朝を復活させた。哀牢王乍斗の援助を受けて、岑州を拠点に黎朝の勢力を回復させた。また将軍の鄭検を婿とした。元和13年(1545年)、莫朝からの降将の楊執一に毒殺された。享年73。昭勲哲靖公の諡号を贈られた。後に恵哲顕佑宏休済世偉績昭勲靖王と改諡され、阮福濶の代に貽謀垂裕欽恭恵哲顕佑宏休済世偉績昭勲靖王と改められた。阮福映が阮朝を建てると、嘉隆5年(1806年)に、肇祖の廟号を贈られ、諡号は貽謀垂裕欽恭恵哲顕佑宏休済世啓運仁聖靖皇帝とされた。
出典:wikipedia
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