金 炳植(キム・ビョンシク、김 병식、1919年 - 1999年7月21日)は、北朝鮮の政治家。在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)の第一副議長を務め、北朝鮮に帰国後は国家副主席、朝鮮社会民主党委員長を務める。韓徳銖朝鮮総連議長の妹の夫。日本統治時代の朝鮮の全羅南道新安郡生まれ。日本の旧制第二高校(現在の東北大学)卒業。1959年に朝鮮総連の組織部長に就任し、事務局長、副議長を経て第一副議長に就任。1967年11月、韓徳銖ら朝鮮総連幹部と共に最高人民会議代議員に選出される。1971年、貿易会社ユニバース・トレイディングを創設し、北朝鮮への集金・送金及び日本への工作活動を担当するようになり、同社は1973年に2児拉致事件を引き起こしている。1972年10月、代表団の一員として南北赤十字会談に出席するため北朝鮮に渡航するが、滞在先の平壌で「反党反革命宗派分子」として拘束され失脚する。失脚後は「隠遁生活」を送っていたとされるが、一方で対日工作機関「日本問題研究所」の所長を務めていたとも言われている。1993年7月、衛星政党・朝鮮社会民主党中央委員長に就任。12月11日には金英柱と共に国家副主席に任命され復権する。1998年7月26日、再び最高人民会議代議員に選出されるが、8月28日に開催された社民党中央委員会総会において、委員長職を金英大に譲り中央委員会顧問に就任。9月5日には国家主席制度が廃止されたため、副主席を退任する。1999年7月21日、死去。朝鮮総連第一副議長時代には日本・韓国の政治家・軍人との人脈作りに腐心し、1971年大韓民国大統領選挙の際には金大中に20万ドルの献金を行っている。また、ユニバース・トレイディングを始めとした複数の企業を経営し、豊富な資金力を背景に朝鮮総連での地位を確立していった。議長の韓が金日成を後ろ盾にしたのに対し、金は金正日に接近し勢力を拡大していき、次第に韓を上回る権力を手にするようになったため、1972年の失脚に繋がったと言われている。しかし、経済活動で得た莫大な資産を朝鮮労働党に献金することで収容所送りを免れ、金正日の権力確立に伴い復権したとされる。
出典:wikipedia
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