杉田(すぎた)は、神奈川県横浜市磯子区南部の町名。一丁目-九丁目まである。郵便番号は235-0033。本稿では、1927年(昭和2年)4月1日より1988年(昭和63年)まで存在した杉田町(すぎたちょう)及び、そこから分離新設した杉田坪呑(すぎたつぼのみ、郵便番号は235-0034)、埋立てによりできた新杉田町(しんすぎたちょう、郵便番号は235-0032)についても述べる。磯子産業道路と京急本線に挟まれた地域で、国道16号聖天橋交差点から京急杉田駅にかけて東西に商店街「ぷらむろーど杉田」が通る。町の北側には杉田小学校がある。杉田駅に隣接して東急ストアを核テナントとする再開発ビル「プララ杉田」、磯子産業道路と国道16号に挟まれた一角に再開発ビル「らびすた新杉田」がある。らびすた新杉田の4・5階に入居する磯子区民文化センター「杉田劇場」は客席数310席で、1945年(昭和20年)から1950年(昭和25年)まで存在し、美空ひばりが初舞台を踏んだ(旧)杉田劇場から名前を採った。併設のヨコハマ・シーナリータワーは高さ99.9メートルで、磯子区有数の超高層マンションである。京急本線と笹下釜利谷道路に挟まれた地域で、北側は中原、南側は杉田坪呑に接する。二・三丁目の境に神奈川県道22号横浜伊勢原線(杉田新道)が通り、北側が二丁目、南側が三丁目となる。根岸湾と笹下川に挟まれた丘陵地で、急傾斜地も多い。杉田新道は1913年(大正2年)に着工され、開通当初はトンネルだったが関東大震災により崩壊し、以降は切通しとなった。三丁目の西側に浜中学校がある。京急本線の東側の住宅街。五丁目の産業道路より東側には杉田ゴルフ場や南横浜自動車学校など西武グループの施設があったが、首都高速湾岸線用地確保のため金沢区福浦に移転し、跡地には首都高速道路のほか新杉田公園やスポーツセンターが建設された。海岸沿いにヨコハママリーナと磯子マリーナの2軒のヨットハーバーがある。五丁目南側には梅林小学校があり、付近を環状3号線杉田梅林トンネルが通る。かつては妙法寺を中心として梅の名所であり、宅地化でその多くが失われた現在でも梅林小学校や杉田梅林ふれあい公園に名残が見られる。1965年(昭和40年)頃から開発された新興住宅地。南東側は金沢区富岡西に接する。環状3号線沿いにあり、1985年(昭和60年)頃に杉田台団地が建設された。目の前をJR根岸線が通るが新杉田駅・洋光台駅とも1.5キロメートルほど離れているため、徒歩15分ほどの京急杉田駅か、新杉田駅発着の路線バスの利用が主となる。磯子産業道路の東側、1959年(昭和34年)から1964年(昭和39年)にかけて造成された埋立地。埋立て以前は遠浅の海水浴場があった。産業道路と国道357号の間に新杉田駅やバスターミナル、商店や住宅がある。国道357号より海側は東芝マテリアルやIHIの工場があり、海辺に近づくことはできない。住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、杉田4-8-50の地点で20万5000円/mとなっている。杉田一丁目に京急本線杉田駅、新杉田町にJR根岸線新杉田駅があり、両路線の利用が中心となるほか、国道16号を経由し横浜駅 - 杉田、磯子駅 - 追浜方面を結ぶ京浜急行バスが利用できる。杉田二・三丁目は磯子駅から杉田駅を経由し峰の郷・氷取沢を結ぶ市営バス、六・七丁目と杉田坪呑は新杉田駅発着大谷団地循環の市営バス、八・九丁目は京急富岡駅発着富岡9期ニュータウン循環・能見台センター・金沢文庫駅西口行きの京浜急行バスの便がある。
出典:wikipedia
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