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矢島せい子

矢島 せい子(やじま せいこ、1903年4月6日 - 1988年1月24日)は、日本の社会福祉運動家、民俗学者である。障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会初代会長、ヘレン・ケラー賞受賞者。1903年(明治36年)4月6日、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に歌舞伎作者・竹芝伝蔵(本名・加藤伝太郎)の娘・加藤せい子として生まれる。弟に俳優の四代目澤村國太郎、加東大介、妹に女優の沢村貞子がいる。幼くして叔母の石井家に養女に出され、弟妹たちとは異なる生活を送る。旧制・佐藤高等女学校(現在の女子美術大学付属高等学校)を卒業し、日本女子大学家政科に入学する。1922年(大正11年)、同学を中退した。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災に被災し、栃木県に疎開する。同地で旧制小学校の代用教員を務め、翌年、小学校本科教員の資格を取得、1925年(大正14年)に旧制・浅草小学校(現在の台東区立浅草小学校)に転勤する。1926年(大正15年)8月、旧制・東京帝国大学(現在の東京大学)に勤務する科学史家の矢島祐利と結婚、同年12月、浅草小学校を退職する。文夫、敬二、まさ子、敏彦の4児をもうける。1937年(昭和12年)、まさ子、敏彦が疫痢を患い、まさ子が亡くなる。1941年(昭和16年)、夫が旧制・京城帝国大学(現在のソウル大学校)教授に就任して、日本統治時代の朝鮮の京畿道京城府(現在のソウル特別市)に滞在する。翌年、京城幼児生活団の活動を始める。第二次世界大戦終結後、帰国して、夫は進駐軍の経済科学局に勤務する。1948年(昭和23年)、夫が東京物理学校(現在の東京理科大学)教授に就任している。1952年(昭和27年)、「日本子どもを守る会」が結成されこれに参加する。1953年(昭和28年)、夫との共著『家事と雑用』を岩波書店から上梓する。1967年(昭和42年)、「障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会」を結成、初代会長に就任する。「日本子どもを守る会」副会長にも就任、障害者や児童の福祉に尽くした。1977年(昭和52年)、ヘレン・ケラー賞を受賞した。1988年(昭和63年)1月24日、死去した。84歳没。没後に回想録が多く出版された。夫の祐利は1995年に没した。子息の文夫(2006年没)は京都産業大学、宮城学院女子大学教授を歴任、敬二は東京理科大学教授、敏彦(1994年没)は埼玉大学教授となった。国立国会図書館蔵書。

出典:wikipedia

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