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ステフィン・カリー

ステフィン・カリー(Wardell Stephen Curry II(), 1988年3月14日 - )はアメリカ合衆国・オハイオ州アクロン生まれ、ノースカロライナ州シャーロット出身のバスケットボール選手。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのゴールデンステート・ウォリアーズに所属しているポイントガード。父親は名3Pシューターであった元NBA選手のデル・カリー。弟はダラス・マーベリックスに所属するセス・カリー。1988年3月14日、デル・カリーとバージニア工科大学のバレーボール選手だった母親との間にオハイオ州アクロン生まれた。父親がシャーロット・ホーネッツに入団したことから、ノースカロライナ州シャーロットで育った。ステフィンや弟のセスは、父親の試合に連れて行かれ、試合開始前のウォームアップの時にはシュートを打たせてもらったこともある。母親からモンテッソーリ教育を受けた。2001年から2002年にかけては、父親がトロント・ラプターズに所属したため、トロントに移り住んで、オンタリオ州エトビコのクイーンズウェイクリスチャンカレッジで8学年を過ごした。そこで7学年、8学年のバスケットボールチームに入った。彼のチームはその年、無敗でシーズンを終えた。高校時代まではショーン・マリオンのようなフォームでシュートを打っていたが、父親の指導により改善された。ノースカロライナ州のシャーロット・クリスチャン高校に入学、彼は在学中チームを3回プレーオフに導き、カンファレンス優勝を3回果たした。またカンファレンス及び州のオールチームにも選ばれた。高校の最終学年当時、身長が6フィート(183cm)、体重160ポンドだった彼は、メジャーカンファレンスに所属する大学からの奨学金オファーを受けることができなかった。彼は父親が殿堂入りを果たしているバージニア工科大学でプレーすることを臨んだが、奨学金を受けることのないウォークオンでのオファーしかもらえなかった。デビッドソン大学、バージニアコモンウェルス大学、ウィンスロップ大学からオファーを受けた彼は、地元のデビッドソン大学に進学した。1年目の2006-07シーズンは、大学でのデビュー戦となった東ミシガン大学戦で15得点をあげたが、13ターンオーバーを喫した。続くミシガン大学戦で1年生ながら32得点4アシスト9リバウンドの成績を残し注目される。この年、サザン・カンファレンストップの平均21.5得点をあげた。平均21.5得点は全米の1年生の中でもテキサス大学のケビン・デュラントに次ぐ2位の記録であった。彼の活躍もあり、チームは29勝5敗でサザン・カンファレンス優勝を果たした。ファーマン大学とのカンファレンス準々決勝でシーズン113本目の3ポイントシュートを成功させて、NCAAの1年生における3ポイントシュート成功数新記録を作った。3月15日、チームはNCAAトーナメント1回戦でメリーランド大学と対戦、70-82で敗れたものの彼自身は30得点をあげた。この年、彼はカンファレンスの新人王やトーメントMVPなどの賞を総なめにした。シーズン終了後、彼は2007年バスケットボールU-19世界選手権のメンバーとして、平均19.4分プレーし、9.4得点、3.8リバウンド、2.2アシストをマーク、銀メダルを獲得した。2年目の2007-08シーズン、彼の身長は6フィート3インチ(191cm)に成長した。この年カンファレンストップの平均25.5得点、4.7リバウンド、2.8アシストをあげた。チームは26勝6敗、カンファレンス内の対戦では20戦全勝を果たし、3年連続NCAAトーナメント出場を決めた。NCAAトーナメントでは、3月21日のゴンザガ大学戦で11点リードされて前半を終了したが、後半カリーが30得点をあげる活躍を見せて、チームは82-76で逆転勝利、1969年以来となるNCAAトーナメントでの勝ち星をあげた。この試合でカリーは10本中9本の3ポイントシュートを成功させた。2回戦ではジョージタウン大学と対戦した。前年のトーナメントでファイナル4に残ったジョージタウン大学が圧倒的に有利と見られていた。前半カリーはわずか5得点に終わり、チームは17点差で後半を迎えたが、後半カリーは25得点をあげる活躍を見せて、チームは74-70で逆転勝利をおさめた。3回戦のウィスコンシン大学戦でも33得点をあげ、チームは73-56で勝利、エリート8に進出した。クライド・ラブレット、ジェリー・チェンバース、グレン・ロビンソンに次いでNCAAトーナメントでのデビュー戦から4試合連続30得点以上をあげた4人目の選手となった。バトラー大学のダリン・フィッツジェラルドが作ったNCAA記録に並ぶ158本の3ポイントシュートをあげていた彼は、4回戦のカンザス大学戦で159本目の3ポイントシュートを成功、25得点をあげたが、チームは57-59で敗れた。この年彼はNCAAオールアメリカンセカンドチームに選ばれた。カンザス大学に敗れた後、彼はNBAドラフトにアーリーエントリーしないことを表明した。2008年11月18日のオクラホマ大学戦では自己ベストの44得点をあげたが、チームは78-82で敗れた。11月21日のウィンズロップ大学戦では30得点に加えて、自己ベストの13アシストをあげ、チームは97-70で勝利した。11月25日のロヨラ大学戦では終始ダブルチームを受けて、シュート数はわずか3回でいずれも失敗し、大学時代唯一となる無得点に終わった。2桁得点をあげられなかったのも、2度目であった。11日後に行われたノースカロライナ州立大学戦では自己ベストの44得点をあげた。2009年2月14日のファーマン大学戦で足首を負傷、2月18日のシタデル大学戦を欠場した。この年、チームはカンファレンス内で18勝2敗となり、サウスディビジョン優勝を果たした。カンファレンスのトーナメント、アパラチアン州立大学戦では43得点をあげて、チームは84-68で勝利したが、カンファレンス準決勝のチャールストン大学戦で52-59と敗れ、NCAAトーナメント出場はならず、NITトーナメントに回った。チームは2回戦で敗れ、これがカリーの大学での最後の試合となった。3年生時は平均28.9得点を記録し、NCAAオールアメリカンのファーストチームに選ばれた。3年生終了後、2009年のNBAドラフトにアーリーエントリーした。プレドラフトキャンプ時の身体データ2009年のNBAドラフトにおいて、ゴールデンステート・ウォリアーズから全体7位指名を受けた。7月に4年1270万ドルの契約を結んだ。同年10月28日のヒューストン・ロケッツとのシーズン開幕戦から先発出場し、36分間の出場で14得点、7アシスト、4スティールの成績を残した。2010年2月10日、36得点、13アシスト、10リバウンドをマーク、初のトリプルダブルを達成した。2010年4月7日、ドン・ネルソンヘッドコーチがNBA歴代ヘッドコーチ最多勝となる1333勝目をあげた試合では27得点、14アシスト、8リバウンド、7スティールの活躍を見せた。同じコンボガードでありチームメイトであるモンタ・エリスとの共存が心配されたが、HCのドン・ネルソンのラン&ガンオフェンスにフィットし、平均17.5得点5.9アシスト1.9スティール、3P成功率43.7%を記録。その年の新人王のタイリーク・エバンスを上回る月間最優秀新人賞を3回受賞した。新人王の投票ではエバンスに次ぐ2位の票を得た。この年、平均17.5得点、4.5リバウンド、5.9アシスト、1.9スティールをマーク、オールルーキーファーストチームにエバンス、ブランドン・ジェニングスとともに満票で選ばれた。10-11シーズンには、オールスターウィークエンドのスキルズチャレンジに出場し優勝を果たした。フリースローではリーグ首位の93.4%を記録し、リック・バリーの持っていたウォリアーズのFT%記録を塗り替えた。この年、平均18.6得点、3.9リバウンド、5.8アシスト、1.5スティールをマーク、NBAスポーツマンシップ賞を受賞した。11-12シーズン開幕前の5月にカリーは右足の靱帯の修復手術を受けたものの、ロックアウトの影響により短縮されたシーズン開幕直前のプレシーズンゲーム、サクラメント・キングス戦で右足首の捻挫をした。ロサンゼルス・クリッパーズとのシーズン開幕戦では先発出場したものの、シュート12本中2本の成功、4得点に終わった。続くシカゴ・ブルズ戦では21得点、10アシストでチームを勝利に導いたが、再び足首を痛めて、次の試合を欠場した。続く3試合に出場したが、1月4日の試合で右足首を再度痛めた。1月20日の試合で復帰し、16試合に出場したが、2月22日のフェニックス・サンズ戦でアキレス腱を痛めた。3月5日のワシントン・ウィザーズ戦で復帰し、4試合に出場したが、間接鏡手術を受け、シーズン残り試合を棒に振った。この年、66試合中、26試合の出場にとどまり、14.7得点、3.4リバウンド、5.3アシスト、1.5スティールと成績を落とした。2012年10月31日、4年4400万ドルの契約延長を果たした。12-13シーズンは一転してカリー、ウォリアーズ共々躍進の年となった。シーズン78試合に出場し、個人成績としては22.9得点、4.0リバウンド、6.9アシストを記録した。2013年2月27日に行われたニューヨーク・ニックス戦ではチーム記録となる11本の3ポイントを含む54得点を記録し、自身の持つ爆発的な攻撃力をいかんなく発揮した。マディソン・スクエア・ガーデンでニックスの対戦相手の選手があげた得点としては、コービー・ブライアントの61得点、マイケル・ジョーダンの55得点に次ぐ歴代3位の記録であった。なおこれはこのシーズンのリーグハイの得点記録でもあった。またカリーはシーズンを通して272本の3ポイントシュートを決め、レイ・アレンの持つ269本の3ポイントシュート記録を更新した。このシーズン、ウォリアーズは47勝35敗を記録しウェスタン・カンファレンス第6シードで6年ぶりのプレイオフ出場を獲得し、カリーや多くのチームメートが、キャリア初のプレイオフ出場を果たした。プレイオフ1回戦では、第3シードのデンバー・ナゲッツを下すアップセットを演じ、続く2回戦では、この年にファイナルまで進んだサンアントニオ・スパーズ相手に2勝を奪う好戦を演じた。カリー自身もプレーオフ中、23.4得点、3.8リバウンド、8.1アシストを記録し、スパーズ戦の第1ゲームでは44得点を記録するなど、リーグにカリーの存在を強く印象付けた。13-14シーズンでは昨年に続いて好調を維持し、24得点4.1リバウンド8.5アシスト3P成功率42.4%を記録した。12月7日のメンフィス・グリズリーズ戦ではジェイソン・リチャードソンが持っていた3ポイントシュート成功、700回のチーム記録を更新した。リチャードソンが在籍6シーズンで作った記録をカリーは5シーズン目に塗り替えた。NBAオールスターゲームではファン投票でスターターに選ばれた。この年ウォリアーズは51勝31敗を記録し、強豪の仲間入りを果たした。プレイオフ1回戦で、リーグ屈指の司令塔クリス・ポール擁するロサンゼルス・クリッパーズと対戦し、第7戦まで好戦を演じたが、惜しくも敗退した。この年カリーは、オールNBAセカンドチームに選ばれた。新しくスティーブ・カーがヘッドコーチに就任した14-15シーズンは、クレイ・トンプソンらと共に快進撃を演出。シーズン80試合に出場し、個人成績としては23.8得点4.3リバウンド7.7アシスト3P成功率44.3%FT成功率91.4%を記録したほか、シーズンを通して286本の3ポイントシュートを決め、自身が12-13シーズンに樹立したNBA記録を大幅に更新するなど、自身の能力をいかんなく発揮したシーズンとなった。キャリア369試合目となった、2015年1月7日のインディアナ・ペイサーズ戦で3ポイントシュート1000回成功を果たした。従来の最速記録はデニス・スコットの455試合目であり、88試合も早く記録を達成した。2月4日のダラス・マーベリックス戦では、3ポイントシュート10本成功を含む、シーズンハイの51得点を記録した。また2015年NBAオールスターゲームでは、ファン投票で全選手最多の投票を集め、チームウェストのスターターとして出場した。なおこれに先立って開催されたNBAスリーポイント・シュートアウト決勝では、13本連続成功を含む27点を記録し、自身初の栄冠に輝いた。このシュートアウトでは、2月10日にノースカロライナ州チャペルヒルでイスラム系学生3人が射殺された事件()の被害者であり、カリーのファンだったデア・バラカットの名前を入れたスニーカーでプレーした。4月9日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦では8本の3ポイントシュートを決め、自身が12-13シーズンに作ったNBA記録を更新する273本目の3ポイントシュートを決めた。最終的にウォリアーズは67勝15敗を記録し、ウォリアーズ史上最高の成績を収めると共に、自身もシーズン終了後にMVPを初受賞した。優勝候補筆頭として臨んだプレーオフ1回戦では、第8シードニューオーリンズ・ペリカンズを危なげなくスイープし、カリー自身もこのシリーズ第3戦の終了間際に、起死回生の同点3ポイントシュートを決めるなど活躍した。続くプレイオフ準決勝では、第5シードメンフィス・グリズリーズと対戦し、これを4勝2敗で下した。またプレーオフ出場28試合目となったこのシリーズ第5戦において、プレーオフ通算100本目の3ポイントシュートを決め、レイ・アレンが保持していたプレーオフ35試合目での3ポイントシュート100本成功のNBA記録を更新した。第2シードヒューストン・ロケッツとの対戦となったカンファレンスファイナルでも、、ウォリアーズを1975年以来40年振りのNBAファイナルに導いた。プレーオフ13戦目となる第3戦には、59本目の3ポイントシュートを決め、2000年にレジー・ミラーが22試合の出場で記録した58本のプレーオフ3ポイントシュート記録を更新した。そしてイースタン・カンファレンス王者クリーブランド・キャバリアーズとの対戦となったNBAファイナルでも、随所にタイムリーなショットを連発し、同シリーズ第5戦では3ポイントシュート7本成功を含む37得点の活躍を見せた。ファイナルMVPこそアンドレ・イグダーラに譲ったものの、ウォリアーズを1975年以来40年振りのNBAチャンピオンに導いた。ディフェンディングチャンピオン及びMVPホルダーとして臨んだ2015-2016シーズンでは、チーム、カリー共に開幕から王者としての強さをいかんなく発揮した。初戦のニューオリンズ・ペリカンズ戦でいきなり40得点(第1クォーターだけで24得点)、続く2試合後、再びペリカンズ戦で53得点を決めた。開幕3試合での合計118得点はのマイケル・ジョーダン以来最高の記録であり、一躍得点王に躍り出た。3ポイントシュートも昨年に増してハイペースで放っており、11月14日には父親のデル・カリーが持っているキャリア通算1245本の3ポイント記録をキャリア427試合目で更新(デルは1083試合で記録)。チームも開幕から連勝街道を突き進み、12月13日のミルウォーキー・バックス戦に負けるまで24連勝(昨年のレギュラーシーズンから数えると27連勝)を記録するなど絶好調で勝ち星を重ねた。2016年のオールスターでは、この年引退を表明したコービー・ブライアントについで全体2位の票数を獲得した。オールスターウィークエンドでは昨年に続き連覇が期待される3ポイントコンテストに、スプラッシュブラザーズの弟クレイ・トンプソンと共に選出。共に決勝ラウンドに進出したものの、カリーは23得点しかし13本連続スリーポイント成功という偉業を成し遂げファンを沸かせた。去年自身が打ち立てた27得点を決めたトンプソンに軍杯。連覇はならなかった。オールスター本戦では、勝敗が決まった試合残り時間にボールを託されたカリーはハーフコート付近からロングシュートを決め、オールスターを締めくくった。2月26日のオーランド・マジック戦ではカイル・コーバーが保持していた127試合連続3ポイントシュート成功のNBA記録を更新。2月27日に行われたオクラホマシティ・サンダー戦では試合は終始サンダーにリードを奪われる接戦を演じていたが、カリーはこの試合で16本中12本の3ポイントシュートを沈め、延長の末同点で迎えた試合時間残り2秒、最後にカリーがロングスリー放ち魔法のようにリングに吸い込まれ、劇的な勝利を飾った。この試合を見ていたドウェイン・ウェイドやレブロン・ジェームズ数々のNBA選手、レジェンド選手からTwitterで賞賛の言葉が送られた。この試合でコービー・ブライアントとドニエル・マーシャルが持つ1試合12本の3ポイントシュート成功の記録に並ぶと同時に、昨年自身が樹立したシーズンでの3ポイントシュート成功記録を更新した。3月7日のオーランド・マジック戦で7本の3ポイントシュートを決め、NBA史上初のシーズン3ポイントシュート成功数300本に到達。4月13日に行われたレギュラーシーズン最終戦となるメンフィス・グリズリーズ戦では10本の3ポイントシュートを沈め、自身が昨シーズンに記録した286本のを100本以上も上回る、402本の3ポイントシュートを記録するという偉業を成し遂げた。チームもこの試合で、95-96シーズンにブルズが樹立した72勝10敗の記録を塗り替え、73勝9敗を記録してシーズンの幕を閉じた。2015-16シーズンを終え、得点王、スティール王、402本の3ポイントシュート、史上7人目の50-40-90クラブ(FG50%-3pt40%-FT90%以上)、73勝など、記録づくめとなったカリーは投票ですべての1位票を集め、NBA史上初の満票でのMVPに輝き、ポイントガードとしてはスティーブ・ナッシュ以来となる2年連続MVPとなった。プレーオフもレギュラーシーズン同様順調に滑りだすかと思われたが、1stラウンド対ヒューストン・ロケッツ戦第1試合で右足首を捻挫してしまう。第4試合で復帰することとなったが前半終了と同時に足を滑らせ右足膝をひねってしまい後半は欠場する事態となった。シリーズはロケッツを難なく下し、MRI検査でも異常は見当たらなかったが次の復帰まで2週間と診断される。セミファイナル対ポートランド・トレイルブレイザーズ戦第4試合で再復帰し、オーバータイムの5分間ではレギュラーシーズン・プレーオフ含め個人得点の新記録である17点を叩き出した。シリーズもブレイザーズを下しカンファレンスファイナルではオクラホマシティ・サンダーと対戦することとなった。シリーズは1勝3敗と追い詰められるがそこから逆転し、2年連続のファイナル進出を決めた。ファイナルは前年同様クリーブランド・キャバリアーズと対戦することとなった。4戦を終えた時点で3勝1敗とし優勝も確実と思われたが、ドレイモンド・グリーンのフレグラントファウルの累積による出場停止、アンドリュー・ボーガットが膝の負傷でファイナル絶望となり流れをキャバリアーズに掴まれてしまう。第5戦のホームを落としさらに第6試合では劣勢の中カリーがファウルアウト、判定に不服があったカリーはマウスピースを投げて観客に当ててしまい、テクニカルファウルにより退場となる(偶然ではあるがマウスピースがぶつかったのはアリーナ最前列のVIP席にいたキャバリアーズのオーナーの息子である)。試合後、マウスピースを投げつけたテクニカルファウルに対して2万5千ドルの罰金を言い渡される。また、試合後審判の判定を批判したカーHCも同額の罰金処分となった。最終戦では粘るものの終盤の重要な場面で雑なパスからターンオーバーをしてしまうなど悪い流れを止められず、ウォリアーズは89-93でファイナル敗退となってしまった。チーム1の戦力であるため早めの復帰が望まれる中、膝や足首、噂される肩の怪我を押してファイナルに出場したがシリーズを通してキャバリアーズの執拗なディフェンスに苦しめられ、レギュラーシーズンと比べて大きく精彩を欠いてしまったことに一部のファンからも批判されることとなってしまった。シーズン終了後、2016年リオ五輪の代表辞退を表明し心身の回復に専念する。NBA現役選手達が選ぶNBPA Voice AwardではMVPに選出された。2016-17シーズンのトレーニングキャンプ前には、スポンサー契約しているアンダーアーマーのアジアツアーで中国や台湾を訪問した。父で元NBA選手であるデル・カリー譲りのシュートセンスを武器に得点を重ねるシューター型スコアラー。カリー最大の特徴は、NBAの歴史という観点から見てもずば抜けた3ポイントシュート能力である。優れたボールハンドリング技術でシュートスペースを作りだし、極度に省略化されたシュートフォームで高確率の3ポイントシュートを沈める。従来のシューターは味方のアシストやスクリーンを利用して、オープンになった状態で3ポイントシュートを撃つが、カリーはシュートセレクションなどお構いなしに、通常のジャンプシュートと同じような感覚で撃ってくる。通常では考えられない頻度とタイミングで放たれるシュートは相手ディフェンスにとってはまさに脅威である。相手マークが付いている状態でのタフショットをものともせずシュートを決め、ディフェンスが警戒していない3ポイントラインの数メートル後ろからシュートを放つこともしばしばあり、クォーター終わりにハーフコートラインからシュートを決めることも珍しくない。クラッチタイムにも強く、カリーの3ポイントシュートによって試合が決定づけられることも多い。自身も3ポイントシュートを大きな武器と自負しており、シュートが決まる前に振り返りディフェンスに戻ってしまうほどである。特に2015-16シーズンには3ポイントシュートの試投数が顕著に増加ており、1試合平均約11本を記録し、最終的には402本の3ポイントシュートを沈めている。通常NBAではシーズンを通して200本以上3ポイントシュートを決めればリーグ屈指のシューターと言えるが、この数字は異常とさえ言える。2013-14シーズンMVPのケビン・デュラントはツイッター上で、「彼が歴代最高のシューターだ」という旨の発言をしており、スティーブ・ナッシュも「本当に、彼はこれまでで最高(のシューター)だよ」と述べている。アシストのセンスにも優れ、ビハインドバックパスなどを用いてトリッキーなアシストを見せる。しかしアップテンポで直感的なパスを好むため、パスの正確さに欠け、ゲームメイクをする立場であるポイントガードでありながら、ターンオーバー数が多いことが欠点としてあげられる。

出典:wikipedia

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