


溝畑 宏(みぞはた ひろし、1960年8月7日 - )は、元内閣官房参与。第二代観光庁長官、元自治省官僚、元株式会社大分フットボールクラブ代表取締役兼ゼネラルマネージャー。追手門学院大学地域創造学部教授(2015年4月 - )、大阪観光局理事長(観光局長兼務)(2015年4月 - )。数学者の溝畑茂を父に京都府で生まれる。弟は数学者の溝畑潔同志社大学教授。洛星中学校・高等学校から東京大学法学部に進み、卒業後の1985年に当時の自治省に入省。東京大学法学部及び自治省時代の3年先輩に、古川康佐賀県知事がいる。1990年自治省財政局公営企業第一課企画係長から大分県庁に出向し、企画総室企画調整課主幹、総務部財政課長、企画総室参事兼文化振興課長、企画部次長(ワールドカップ・大学担当)を歴任、2002 FIFAワールドカップの試合誘致、立命館アジア太平洋大学設立を担当する。1999年自治省に復帰し市町村合併を担当したが翌年再度大分県に出向し、企画文化部参事として大分フットボールクラブ取締役ゼネラルマネージャーに再出向、ワールドカップの大分開催の運営に携わる。2004年大分県企画文化部長から参事に進み再出向先の大分トリニータでも代表取締役に就任するが、2006年に会社業務に専念するため公務員を退職した。2008年には大分トリニータのJリーグカップ優勝など、チームの躍進に手腕を振るった。その一方で大分フットボールクラブの運営は、粉飾決算まがいな会計操作を行い、2009年に経営破綻に近い状況にまで陥り、同年11月20日の記者会見で12月5日の公式戦終了後に引責辞任することが発表されていたが、12月12日に皇甫官取締役副社長などとともに辞任した。2010年8月31日、大分フットボールクラブは溝畑の経営責任を第三者調査した報告書を発表、粉飾決済疑惑の指摘に対し「若干の数字のぶれはあるが虚偽はないため、法的責任は問えない」と報告、「役員報酬の増額に際し手続きに不備があった」として1千万円の返納を求めた。これに対し溝畑は貸付金1千万円分を放棄して対応した。2010年1月4日付けで観光庁長官に就任した。2年間の任期付職員としての採用であったため、2012年1月3日限りで任期満了となるところだったが、同年3月31日まで任期を延長する措置が取られ、同日付で退職した。同年5月11日、内閣官房参与に就任。観光庁長官への就任は2009年12月25日に発表された。就任の打診は、リーグの公式戦終了(12月5日)あたりに、同郷(京都)の前原誠司国土交通大臣からあり、社長退任後の12月中旬に決断したと報道された。2012年度に外国人1万人を無料招待する方針を明らかにし、12年度予算の概算要求に11億8000万円を盛り込んだ。2012年1月17日、観光客を日本に誘致するためとしてソウルで韓国メディア向けに記者会見したさい、韓国語で韓国国歌を熱唱した。木村元彦 著『社長・溝畑宏の天国と地獄』(集英社、2010/5)
出典:wikipedia
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