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カズ・ハヤシ

カズ・ハヤシ(1973年5月18日 - )は、ジュニアヘビー級の男性プロレスラー。本名は林 和広(はやし かずひろ)。東京都世田谷区出身。WRESTLE-1所属。血液型はA型。1991年12月、ユニバーサル・プロレスリングに入門。1992年11月19日、後楽園ホール大会でテリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)と組み、モンゴリアン勇牙(現:新崎人生)&バッファロー張飛(引退)組を相手に覆面レスラー獅龍としてデビューを飾る。1993年、みちのくプロレス入団。みちプロ時代から並外れた身体能力は注目され、新日本プロレスのリング参戦時も「欽ちゃんジャンプ」で人気を博す。1994年8月、SATO(現:ディック東郷)とテリーボーイとで平成海援隊を結成。1996年、船木勝一とTAKAみちのくが合流し、グループ名を海援隊★DXに改名。1998年海援隊★DXでWCWに参戦。一時帰国した海援隊から離れ単身メキシコへ。週刊誌の記事にて「元みちプロ、獅龍はメキシコにいた!」と2ページを飾ってしまった。2月23日のサクラメソト大会で1度敗れたウルティモ・ドラゴンと再戦するため覆面を脱ぎ、カズ・ハヤシに改名した。6月新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには獅龍の名前でエントリーされていたが、改めてマスクを脱ぎカズ・ハヤシとして参加した。1998年7月にWCWと3年契約を結ぶ。2000年にはジミー・ヤン、ジェイミー・サンと共にヤング・ドラゴンズを結成しレギュラーポジションを獲得した。同年4月、第3回スーパーJカップトーナメントに出場する為一時帰国。1回戦でザ・グレート・サスケと恩讐を越えて戦うも、敗退。8日後の両国国技館大会にもトーナメント敗者によるタッグ戦に出場予定であったが「トーナメントに勝つために戻ってきたので、負けた以上日本に残る意味は無い」とこれを拒否。そのままWCWに戻る。2001年にはWCW最後のマンデー・ナイトロ生中継に唯一の日本人として出場した。WCW崩壊後、WWFが選んだ24人の契約選手に残り、WWFと契約。しばらく下部組織のHAWでトレーニングをしていたが、2002年に全日本プロレスへ移籍したばかりの武藤敬司からのラブコールにより、WWFを退団し全日本プロレスに入団した。2003年12月、小島聡と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇。ジュニア選手として、同リーグ戦を初めて制覇した。この時の公式戦で武藤敬司&嵐組に苦戦しながら、カズが嵐からフォールを奪った際の小島の発言「カズ、ありがとう。お前は男だ、男の中の色男だ。」から、「男の中の色男」がキャッチフレーズとなった。2004年2月22日、BLUE-K(TAKAみちのく)との王座決定戦に勝利し世界ジュニアヘビー級王座を獲得。その時、次期挑戦者としてアピールしにリングに上がったNOSAWA(現NOSAWA論外)に対し「お前は(挑戦者としては)論外だ」と言い放った。これを機にNOSAWAは“NOSAWA論外”というリングネームに改名した。ハッスルにも、レオナルド・スパンキー、ジミー・ヤンらとタッグを組み参戦。2005年1月5日、TAKAに世界ジュニア王座を奪われてからは、NOSAWA論外に強引に組まされる形でユニット「論カズ」を結成、コミカル路線に走りかけるも、結局は全日本ジュニアを熱く盛り上げる道を選択。この頃から練習生にトレーニングの指導を始める。2006年、全日本プロレスの第1回ジュニア・ヘビー級リーグ戦で優勝し、8月27日近藤修司の持つ世界ジュニア王座に挑戦したが、奪還出来なかった。2007年2月20日、全日本プロレスを無期限で欠場すると宣言。メキシコに渡った。その直後、全日本プロレスに「メキシコ・アミーゴス」なる謎のメキシカン・レスラー3人組が参戦。その中にはミゲル・ハヤシJrという、カズ・ハヤシに似たレスラーも含まれていた(他の2人は「ペペみちのく」と「エル・ノサワ・メンドーサ」)。「メキシコ・アミーゴス」は「メキシコ・アミーゴスDX」と改名後、2007年12月16日に「全日本プロレス 2007ファン感謝デー」にて解散した。この時には「正体を知らないふりをしてくれてありがとうございました」のコメントを残した。2008年からは、ジュニア最前線復帰を宣言。2年ぶりのジュニア・タッグリーグ戦はエル・サムライとのタッグで出場するが、決勝戦で土方隆司、中嶋勝彦組に敗れ準優勝。世界最強タッグ決定リーグ戦では西村修と、第81代アジアタッグ王者決定トーナメントでは武藤敬司とのタッグで出場した。2009年2月6日、プロレスリング・ノアの丸藤正道に流出していた世界ジュニア王座を奪取し、第28代王者となる。4月、5年ぶりにチャンピオン・カーニバルに出場。決勝では鈴木みのるに敗れたものの、ジュニア選手ながら準優勝を成し遂げた。直後のジュニア・タッグリーグ戦でも近藤修司とのタッグ「チーム246」で出場し、優勝決定戦で稔&歳三組に敗れ準優勝。2010年9月20日に菊地毅とのジュニアヘビー級王座防衛戦に勝利し、世界ジュニアヘビー級王座最多連続防衛記録を更新した。2011年1月2日の後楽園ホール大会にて稔に敗れるまで17回の防衛に成功した。2013年6月30日の両国国技館大会を最後に、全日本プロレスを退団した。WRESTLE-1旗揚げ会見にて入団を発表。軽量級らしい華麗な飛び技と、それに相反する軽量級らしからぬ力強い技を併せ持つ。近年では巧みな切り返しのテクニックと、技の仕掛け方に一工夫を凝らしたファイトを見せている。

出典:wikipedia

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