ランドール・ジェローム・メッセンジャー(Randall Jerome "Randy" Messenger, 1981年8月13日 - )は、阪神タイガースに所属するアメリカ合衆国ネバダ州出身のプロ野球選手(投手)。スポーツ新聞などの見出しでは「メッセ」と略されることもある。阪神にはシーズンから在籍。2016年シーズンで、在籍期間が7シーズンに達した。この在籍期間は、球団歴代の外国人選手としては、ジーン・バッキーおよびジェフ・ウィリアムスと並ぶ最長記録である。のMLBドラフト11巡目でフロリダ・マーリンズに指名され契約。6月22日にフロリダ・マーリンズでメジャーデビュー。メジャーで59試合に登板したが、2勝7敗で防御率は5.67に終わった。なおデビュー4戦目にあたる7月8日の対シカゴ・カブス戦では、5回一死からドントレル・ウィリスに次ぐ2番手投手として登板し、後に阪神でチームメイトとなるマット・マートンと2打席対戦して右犠飛と右二塁打であったが、この試合がマートンのメジャーデビュー戦であった。にシアトル・マリナーズに移籍し、中継ぎで13試合に登板し防御率3.55の記録を残した。は3Aで52試合に登板、防御率2.86で25セーブの好成績を挙げた。メジャーでは12試合に登板、0勝1敗で防御率4.35であった。9月19日の対ニューヨーク・ヤンキース戦は松井秀喜を全て直球で3球三振に打ち取った。同年オフにロースターから外されて自由契約となった。2009年12月10日に阪神タイガースと契約を結んだことが発表された。推定年俸60万ドルの1年契約。マリナーズ時代の同僚で、同年オフに阪神に入団した城島健司からも「彼なら絶対できる」と評価された。のシーズン当初は中継ぎとして起用されていたものの、不安定な投球が続いたことや先発投手の駒不足から、阪神はシーズン開始直後にジェイソン・スタンリッジを獲得、メッセンジャーはスタンリッジと入れ替わりで4月23日に二軍落ちした。二軍ではリリーフから先発への変更を目標に、長いイニングを投げるための調整を行った。その後、7月までは二軍暮らしを強いられたものの、先発ローテーションの一角だったケーシー・フォッサムが不振から二軍落ちし、それに代わる先発投手として昇格。7月11日の対横浜ベイスターズ10回戦で来日後初先発し、6回2失点で勝利を挙げた。8月4日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦で内海哲也から左中間越えの大飛球を放ち、一旦は本塁打と判定されたが、ビデオ判定の結果フェンスの最上部に当たっていることが判明し、本塁打から二塁打に変更された。この日は先発投手としても7回を2失点に抑えて勝利投手となっている。しかし、9月8日の対中日ドラゴンズ戦で森野将彦に頭部死球を当てて危険球退場となり、その後も序盤に大量失点を与えたりと不安定な登板が続いて、5勝6敗、防御率4.93でシーズンを終えた。この成績のため翌年の契約は流動的であったが、新しく外国人選手を獲得するより計算できるとの首脳陣の判断によりオフに再び1年契約を結んだ。シーズン後には土木作業でトレーニングする意味合いも兼ねて、自宅の庭に馬小屋とブルペンを自作して自主トレーニングをしていた。には、スタンリッジと共に先発ローテーションに定着。8月6日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、9回二死で失点し完封は逃したが、最後は9回1失点で阪神入り後としては初の完投勝利を挙げた。9月6日の対広島東洋カープ戦ではチーム一番乗りの10勝に到達。結局、能見篤史と並ぶチームトップの12勝(7敗)でシーズンを終えた。シーズン終了後には、前年度の年俸を3倍に増やすことを条件に、阪神球団との間で新たに2年契約を結んでいる。には、4月17日の対ヤクルト戦で来日初完封を記録。味方打線の低迷により勝ち星には恵まれなかったが、チームで最多の29試合の先発登板を記録し、最終戦で10勝目を挙げた。この好成績を背景に、一時はメジャーリーグへの復帰説が報じられていた。しかし、前年末に結んだ2年契約に沿って、シーズン終了後に阪神への残留を決めた。には、能見が公式戦開幕前のWBCに日本代表として参加したことを背景に、阪神の外国人投手としてはのマット・キーオ以来26年振り3人目の開幕投手を務めた。ヤクルトとの開幕戦では、6回3失点という内容ながら、阪神の外国人投手としてはのジーン・バッキー以来48年振りの開幕戦勝利を記録。9月17日の対広島戦では、自己最多の150球(7回4安打1失点)を投げた。なお、シーズン通算の奪三振数が183に達したことから、シーズン終了後にはセントラル・リーグから自身初タイトルとなるセントラル・リーグの最多奪三振投手として表彰。その一方で、阪神球団がシーズン終了後にマウロ・ゴメスと呉昇桓を獲得したことから、一軍へ同時に登録できる外国人選手数の上限(最大4名)との兼ね合いでスタンリッジと共に退団する可能性が報じられていた。結局、スタンリッジが退団(福岡ソフトバンクホークスへの復帰)に至ったのに対して、メッセンジャー自身は2年契約で阪神に残留した。には、阪神への在籍年数が5年に達した。同球団の外国人投手としては、ジェフ・ウィリアムスに並ぶ長さである。レギュラーシーズンでは、4月29日の対広島戦から5月17日の対DeNA戦にかけて、甲子園球場での先発登板で3試合連続完封勝利を記録した。阪神の投手による本拠地での公式戦3試合連続完封勝利は、1962年・1966年の村山実、1965年のジーン・バッキーに次いで3人目である。9月2日の対DeNA戦(甲子園)では、8回3失点の12奪三振で勝利投手になるとともに、シーズン通算の奪三振が201に到達。この奪三振数は、2リーグ分立()以降のNPBの球団に在籍した外国人投手としての最多記録である。また、日本人投手を含めたセントラル・リーグでのシーズン200奪三振は、井川慶が阪神時代のに記録して以来10年振りの達成であった。結局、レギュラーシーズンでは13勝で自身初の最多勝利、226奪三振で2年連続最多奪三振投手のタイトルを獲得。ただし、13勝での最多勝利はリーグ史上最少記録であった。チームのシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファイナルステージで第3戦に先発。初回に阿部慎之助にCSでは巨人唯一の先制適時打を打たれ、3回には亀井善行にソロ本塁打を打たれたものの得点圏の場面では初回の阿部以外に得点を許さず、5回2失点の好投を見せた。最終的にチームは6回に同点に追いつき、7回に勝ち越しそのまま逃げきって勝利。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、第1戦と第5戦で先発を任された。かつての同僚であったスタンリッジと投げ合った甲子園での第1戦では勝利投手になったものの、チームの1勝3敗で迎えた福岡ヤフオク!ドームでの第5戦では、味方打線の貧打で好投が報われないままソフトバンクのシリーズ制覇を許した。には、前年から2kg増の体重122kgで春季キャンプをスタート。公式戦では2年連続で開幕投手を任されたが、中日との開幕戦(3月27日・京セラドーム大阪)では、前年と同じ6回3失点という内容ながら2年連続の勝利を逸した(試合は延長10回の末に阪神が5-4でサヨナラ勝利)。その後の先発登板でも不安定な投球が続いたため、5月10日の対広島戦(甲子園)でリーグ最多の5敗目を喫したことを機に、新外国人投手のマリオ・サンティアゴと入れ替わる格好で翌11日に出場選手登録を抹消された。なお、抹消後の5月23日には、東北楽天ゴールデンイーグルスとのファーム交流戦(阪神鳴尾浜球場)に先発。5回1失点6奪三振という結果を残している。同月29日に再登録を果たすと、同日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)での先発登板でシーズン3勝目と11奪三振を記録。来日後の公式戦通算803奪三振も達成したことから、セントラル・リーグ在籍外国人投手の通算奪三振数で歴代2位に浮上した。さらに、この試合の1回裏から6月20日の対ヤクルト戦(甲子園)3回表まで、4試合にわたって自己最長の27イニング連続無失点を達成。同月28日の対DeNA戦(甲子園)で来日後の通算奪三振数が832(NPBの歴代外国人投手では単独5位の記録)に達すると、8月12日の対中日戦(京セラドーム)では日米通算1000奪三振、9月10日の対巨人戦(甲子園)ではNPB公式戦1000イニング登板に至った。しかし、レギュラーシーズンの一軍公式戦通算成績は9勝12敗で、来日1年目(2010年)以来5年振りのシーズン1桁勝利に終わった。なお、チームのシーズン3位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファーストステージ第2戦の先発登板(10月11日・東京ドーム)でチームにシリーズ唯一の勝利をもたらしている。また、シーズン終了後の12月8日には、1年契約で残留することが球団から発表された。には、前年に続いて、京セラドームで中日との開幕戦(3月25日)に先発。7回途中4失点(10被安打)という内容で敗戦投手になったが、5回裏の第2打席で三塁ゴロながら一塁へ出ると、次打者・高山俊の打席中に単独で二塁への盗塁を企図した。公式戦では来日後初の企図であったが、この盗塁を成功させたばかりか、中日の捕手・小林誠司から二塁への送球が逸れる間に三塁まで進んだ。阪神の投手が一軍の公式戦で盗塁を記録した事例は、1981年の小林繁以来35年振りで、外国人投手に限れば初めてであった。また、5月29日の対巨人戦(東京ドーム)8回裏に、亀井善行からの三振でNPB史上145人目(外国人投手では3人目)の一軍公式戦1000奪三振を達成。8月には、34歳最後の日(12日)に対中日戦(京セラドーム)で自身2年振り・5度目のシーズン10勝に到達すると、25日の対DeNA戦(横浜)で11勝目と来日後初の猛打賞(3安打)を記録した。阪神の投手が自身の登板試合で猛打賞を記録した事例は、2006年の福原忍以来10年振りで、外国人投手では2002年のトレイ・ムーア以来であった。さらに、9月24日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、シーズンの12勝目を自身2年振りの完封で挙げている。身長198cm、体重121kgの巨漢投手で、オーバースローからフォーシームはかつては最速98mph(約157.7km/h)をマークしており、その後コントロールを重視するようになったものの、依然として平均球速約147km/h(日本での最速は156km/h)の球速を維持している。変化球の主な持ち球は、スライダー、フォークボール、落差のあるカーブなどである。フォークボールが高く評価されている。阪神入団1年目途中で先発転向して以後、7回まで投げても8回からは継投に入ることが多く完投がなかったが、2011年8月6日の対ヤクルト戦において1失点で来日初の完投勝利を挙げた。翌年より完投・完封が増え、から3年連続でリーグ最多完封、から2年連続でリーグ最多完投を記録するなど、先発完投型投手となっている。また、中6日で投げる投手が多い日本プロ野球界において、間隔を縮めて投げることの多い投手の一人でもある。2014年には全31試合の登板の内、中5日で15回、中4日で6回の登板をこなした。来日後にラーメンが好物となり、遠征先に必ず行きつけのラーメン店を作り、先発登板の前日は必ずラーメンを食べている。ラーメン店チェーンの天下一品では「こっさり」(「こってり」と「あっさり」のミックス)がお気に入り。最も好きなラーメン店は吉村家。阪神入団後の2015年4月22日には、横浜スタジアムでの対DeNA戦に先発で登板したが、6回7失点という内容で敗戦投手になった。また、3回表無死1塁で迎えた第1打席では、DeNA先発のギジェルモ・モスコーソに対してスイングの気配を見せないまま見逃し三振。4回表1死1塁で迎えた第2打席では、首脳陣から犠打の指示が出ていたにもかかわらず、ボールコースの初球でバスターを失敗すると3球で見逃し三振に倒れた。打席でのこのような様子が「ナインの士気を下げかねない無気力プレー」と報じられたことから、阪神球団では翌23日に、高野栄一本部長が報道陣にプレーの経緯を説明する事態に至った。メッセンジャー自身は、「第1打席では、モスコーソのスライダーを待つために、あえて打つ気配を見せなかった。第2打席では、犠打のサインを見逃したため、自分の判断でバスターを試みた」という言い分で、前述の報道を否定している。この年のメッセンジャーは、上記の試合を含めて、横浜スタジアムでの公式戦4試合にオール先発で登板。セントラル・リーグの本拠地球場では唯一の未勝利(0勝2敗)で、防御率4.15、3被本塁打を記録するなど、マウンドとの相性の悪さを露呈していた。
出典:wikipedia
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