


岩隈 久志(いわくま ひさし、1981年4月12日 - )は、東京都東大和市出身のプロ野球選手(投手)。MLB・シアトル・マリナーズ所属。代理人はワッシャーマン・メディア・グループ。スリークォーターから平均球速89.5mph(約144km/h)のフォーシームと平均88.6mph(約142.6km/h)のツーシーム、平均84.8mph(約136.5km/h)のスプリッター、平均81.1mph(約130.5km/h)の2種類の球速や変化の違うスライダー、平均72.5mph(約116.7km/h)のカーブを投げ分ける。制球力は日本時代から高い評価を得ており、日本での通算与四球率は2.00を記録。メジャーのスカウトからは「コマンド(狙ったスポットに投げる能力)と球を低めに集めるコントロール(ストライクに投げる能力)はダルビッシュよりずっと上」との評価を得ていた。同じくスプリッターも日本時代からメジャーのスカウトより「スプリッターはメジャーでも最高級かも」との評価を得ており、マリナーズ移籍後もスカウトやGM、選手から、速球とほぼ同じリリースポイントから正確に低めに投げることができる点からメジャー最高の決め球のひとつに挙げられた。クイックモーションにも定評があり、2014年には被盗塁成功率0%を記録している。2014年にはESPNにより「メジャー最高の先発9投手」に選ばれている。近鉄時代は右腕をダラリと垂らす独特のタメから投げ込む特徴的なスリークォーターから繰り出す最速153km/hのストレートと100km/h台のスローカーブと大きく曲がる縦のスライダーを武器にしたスタイルだったが、怪我の影響や2005年からNPBにおける二段モーションの規制が強化されたことに伴い、投球フォームや投球スタイルを変化させる。楽天移籍後はストレートがシュート回転することを課題としていたが、2008年には下半身が安定したことで球持ちが良くなり、球速も2010年には平均球速約142.6km/h、最速152km/hをマーク。また、楽天移籍後は肩に負担の大きい縦のスライダーを多投しないようになり、真下かシンカー方向に落とすフォークボールを中心に、斜めに小さく曲がる横のスライダーや右打者の内角へ切り込む速いシュート、110km/h~120km/h台で打者のタイミングを外すカーブを稀に使って、アウトの65パーセント近くをゴロで稼ぐ打たせて取る投球を進化させた。特に2009年のWBCでのキューバ戦では、18個のアウトの内15個のアウトを内野ゴロで打ち取る6回無失点の好投を見せ、大会通算20イニングで1本塁打に抑えた。マリナーズ移籍前まではフォーシームの速球を投球の中心に考えていたが、移籍後は打者の手元で動くムービング系の球種を中心に考えるようになる。シュートはツーシームと呼ぶようになり、日本時代に使っていた右打者のインコースを攻める投球に加えて右打者のフロントドアや左打者のバックドアを攻める投球を身につけた。さらに、日本ではホームベース目がけて落とすようにスプリッターを使っていたが、メジャーの投手たちがワンバウンドするかどうかギリギリの所に落ちる球種を投げているのを見て、落とす場所をしっかり意識してスプリッターを投げるようになったと言う。また、マリナーズ移籍前の2011年には右肩腱板の故障から球速が落ちていたが、移籍後は前述の通り平均球速89.3mph(約143.7km/h)を記録している。練習ではラグビーボールを一回り小さくしたボールでキャッチボールしており、ヒジを故障したことを考慮してヒジの位置を確認しながら投げているという。これによりヒジの位置が前年と比べて高くなったことで、フォークの落差が大きくなったと話している。右投げ右打ちだが、元々は生粋の左利きであり、食事やペン等は左手を使っている(例外はゴルフ・ボウリング・ビリヤード)。愛称はクマ、催眠術師(hypnotist)、催眠術師。近鉄時代はなにわのプリンス、また当時監督の梨田昌孝からは、足の長さ・細さからバンビちゃんとも呼ばれ、楽天移籍後は杜の貴公子と呼ばれた。所属するマリナーズではRock Bear(岩 熊)と称し、熊を模したグッズを製作している。ケガをしてシーズンを棒に振った経験から、無理をしない事を信条としているため、大敗しているケースでも無いのに球数100球未満で降板する場面が度々あり、楽天時代の監督の野村克也や『サンデーモーニング』に出演している張本勲などに、チームのエースとしての姿勢に反する行動と批判された事がある。NPBMLB
出典:wikipedia
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