貴ノ岩 義司(たかのいわ よしもり、1990年2月26日 - )は、モンゴル・ウランバートル出身で貴乃花部屋所属の現役大相撲力士。本名はアディヤ・バーサンドルジ(モンゴル語キリル文字表記:)。身長181cm、体重148kg、血液型はO型、趣味はカラオケ。最高位は東前頭3枚目(2016年9月場所)。鳥取城北高校の監督がモンゴルで行った選抜テストに合格し、16歳で日本に相撲留学した。8歳で母を心臓病、来日してから3カ月後に父を肝臓癌で失うという不幸があったが、2007年の国体少年個人でベスト4、2008年の世界ジュニア選手権で準優勝した。2008年11月、少年時代に憧れだった貴乃花が師匠の貴乃花部屋へ入門した。四股名「貴ノ岩」の命名には美輪明宏が関係しており、貴乃花と2人で母校のある鳥取から上京した際に羽田空港のゲートで2人と偶然会った美輪明宏が貴乃花に「岩のようですね」と貴ノ岩の印象について声を掛けたことでその夜に師匠が四股名を決断したという。ビザ取得手続きなどのため1場所遅れのデビューとなり、2009年1月場所に貴ノ岩の四股名で貴月芳、貴斗志とともに初土俵を踏む。なお、同期生には他に宝富士、皇風、徳勝龍などがいる(ただし3力士とも大卒のため学年は違う)。初めて番付に名前の載った3月場所は序ノ口で5勝2敗と勝ち越し、5月場所は序二段で7戦全勝を挙げ優勝決定戦に進むが、天禄に敗れ優勝を逃した。その後三段目で7月場所は6勝1敗、9月場所は4勝3敗と勝ち越し、三段目3場所目となった11月場所は7戦全勝で迎えた優勝決定戦で無双傑を下し優勝、2004年2月に創設された貴乃花部屋にとって初の優勝を決めた。幕下へ昇進して西13枚目で迎えた2010年1月場所は終盤で2連敗し3勝4敗で終え、初土俵以来初の負け越しとなった。続く3月場所と5月場所も勝ち越せず、3場所連続で負け越した。幕下に定着した2011年5月技量審査場所の土俵上で負傷し、途中休場。初土俵以来初の休場となった。翌7月場所を全休し、9月場所は10場所ぶりに三段目へと地位を下げたが、この場所は6勝1敗の好成績を挙げ、1場所での幕下復帰を決めた。その後は勝ち越しを続けており、十両が見える地位まで番付を上げた。西幕下筆頭で迎えた2012年5月場所も4勝3敗と勝ち越した。この結果、場所後の番付編成会議にて2012年7月場所での十両昇進が決定され、貴乃花部屋としては貴ノ浪以来、貴乃花が継承した後に入門した力士としては初の関取誕生となった。2011年5月場所に左足首を骨折して以降それまでの投げ主体の取り口から前に出る寄り身の相撲に改造したことが功を奏した。十両昇進を果たした7月場所では13日目まで黒星先行で関取維持が危ぶまれたが、14日目、千秋楽と連勝して8勝7敗と勝ち越した。翌場所は千秋楽の相撲で敗れ、7勝8敗と負け越した。2013年1月場所は好調で、13日目終了時点で11勝2敗であり単独トップに立っていた。14日目に3敗の常幸龍に敗れて自身も3敗に後退したものの翌千秋楽は勝って12勝3敗で取り終え、その後の一番で常幸龍が敗れたため自身初の十両優勝となった。この場所の相撲ぶりを部屋付の音羽山からは「突っ張りとかできないことをやろうとしなくなった。押されてもうまく対応できるようになった」と好評された。翌3月場所は西十両4枚目で8勝7敗と2場所連続の勝ち越し。翌5月場所は東十両2枚目で8勝7敗と3場所連続で勝ち越した。翌7月場所は東十両筆頭まで番付を上げ、この場所は10日目まで7勝3敗としていたが、その後5連敗で、最終的に7勝8敗と負け越し、新入幕はならなかった。翌9月場所は東十両2枚目に下がった。この場所は13日目に勝ち越しを決め、その後2連敗で、最終的には8勝7敗と勝ち越したが、またしても新入幕はならなかった。それでも連日50番以上の猛稽古を行っていることが実力を着実に伸ばし、その甲斐あって翌11月場所は西十両筆頭で8勝7敗と勝ち越し、翌2014年1月場所で新入幕を果たした。貴乃花部屋からは初めての新入幕力士となった。この場所は7勝8敗と負け越したが翌3月場所は名目上据え置きの西前頭15枚目の地位が与えられた(関脇が1人増えたため、実質半枚降下)。続く3月場所は西前頭15枚目の地位で10勝5敗の好成績を残し、自身初の幕内勝ち越しを2桁白星で飾った。ところが東前頭12枚目で迎えた翌5月場所は3勝12敗の大敗を喫し、場所後には師匠から「先場所10勝出来た事はまぐれ。今場所の成績が貴ノ岩の実力です」とコメントされた。7月場所は師匠が検査入院していた中で10日目に勝ち越しを決める好調ぶりを示し、12勝3敗の十両優勝次点という好成績を残した。翌9月場所に再入幕を果たすも7勝8敗の負け越し、続く11月場所で3勝12敗と大敗し、2場所連続負け越しにより2015年1月場所に2度目の十両陥落。同年3月場所に11勝4敗の好成績を収めて3度目の入幕。東前頭16枚目の地位で迎えた5月場所は7勝8敗と負け越すも、翌7月場所は番付据え置きとなった。7月場所は場所前に死去した先代音羽山に捧げるべく2桁白星を目標としたが敢え無く6勝9敗の負け越し。4度目の入幕となった2016年1月場所(西前頭13枚目)は、11日目に2014年3月場所以来となる幕内での勝ち越しを決めた。13日目から3連敗を喫して最終的に9勝6敗と2桁勝利には届かなかったものの、幕内2度目の勝ち越しには自身も手応えを掴んでおり、「(幕内に)定着して横綱と当たる地位を目指したい」と意気込んでいた。3月場所は東前頭8枚目で8勝を挙げ勝ち越し。5月場所は負け越した。7月場所では8日目までに3敗していたものの、その後上位陣が星を落としたことで最終盤に優勝争いに参戦。千秋楽でも勝利し、2敗の日馬富士が敗れれば優勝決定戦進出というところだったが日馬富士が勝ったため成らず。それでも最終的に優勝次点となる12勝3敗の好成績で自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した。初の上位総当たりとなる9月場所は、新関脇(高安、宝富士)に2人とも勝利し、高校の後輩でもある大関照ノ富士も破るなどの奮闘を見せたが、最終的には5勝10敗の負け越しに終わった。2016年9月場所終了現在
出典:wikipedia
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