アイバニーズ・アイスマンはアイバニーズブランドのエレクトリックギターの名称である。アイスマンは星野楽器で商品展開されていたアイバニーズブランドのエレクトリックギターである。星野楽器は日本に本社を持ち、1950年代にアメリカ製のエレクトリックギター、アコースティックギターのコピー製品を製造して、アメリカに輸出して安価に販売してきた。1970年代中期になると、星野楽器アイバニーズブランドのギターの性能は、コピー元になるギター達のそれに充分に匹敵するようになってきた。しかも、同社が持つ効率の良いギター製造技術は、ギブソンレスポールやフェンダーストラトキャスターといったギター価格の半分、もしくはそれ以下での販売も可能にしていた。その1970年代中期に、ギブソンやフェンダーのコピー製品からの脱却を図るべく、アイバニーズとしての魅力的なオリジナルデザインのギター製造を開始することとなり、星野楽器(アイバニーズ)と神田商会(グレコ)と富士弦楽器製造(現、フジゲン)間で行われた会議で後に「アイスマン/ミラージュ」と名付けられるギターのデザイン、商品開発が行われた。すなわち、富士弦楽器製造で造られたその日本製オリジナルデザインギターは、日本国外では星野楽器がアイバニーズブランドで販売されることになり、日本国内ではミラージュという商品名でグレコブランドで販売されることになった。アイスマン(アイバニーズ)とミラージュ(グレコ)は基本的に同じモデルである。1975年から1982~83年の間に製造されていたが、セットネックタイプやボルトオンタイプなどの様々なモデルと価格が設定された。初期のアイスマンはアイバニーズ・アーティスト・モデルの一つであったが、1978年にアイスマンという名称に変わった。この経緯には後述するアメリカのロックバンドキッスのボーカリストポール・スタンレーのシグネチャーモデルとしての関わりが大きい。1982~83年になるとアイスマンIIが製造販売されたが、これはオリジナルモデルと異なるヘッドを持ち、同列に6個の糸巻きペグを持つデザインとなり、その後の1990年代にも継続的に初期モデルのリイッシューや形状のみ流用されたシグネチャーモデル等が製造販売されている。世界的販売成功をおさめた1980年前後には、アイスマンのコピーモデルが国内外メーカー複数社から製造販売されていたことが確認されている。これは、アメリカ製ギターのコピーを販売していたブランドが、逆にコピーされるほどに人気が高くなったことを意味しており、当初の「魅力ある日本発のオリジナルギターを作る」という目標達成の証となった側面を持つ出来事と言える。1975年のカタログには、ピックアップをはじめとして各スペックは異なるがアイスマンと同形状のギターが記載されている。これにはアイバニーズ・アーティスト・モデルの一つとして「2663」というモデルナンバーが与えられていた。1976年にライブ公演のために来日したキッスは、アイバニーズよりポール・スタンレーのシグネチャーモデルの開発を含む契約依頼を受けた。アイバニーズ・アーティスト・モデルの一つである2663の形状を気に入ったポールは、それに彼のアイデアを盛り込むように申し出た。そのカタログモデルが1978年からのアイスマンであった。実際にポール自身もその後の約4年間は頻繁にアイスマンを使用し、アルバム「KISS ALIVE II」内写真や、その他多くのライブフォトや映像にてそれを確認することができる。1978年のカタログには、該当する項目に「アイバニーズ・アーティスト・モデル」「アイスマンシリーズ」の併記や「アイスマンシリーズ」単独表記がある。アイバニーズ・アーティスト・モデル記載ページに先の2663かアイスマンか特定できないギターを持つトム・ペティの写真も存在する。しかし、アイスマンを世界的に有名にしたのは、PS10(PS-10、ポール・スタンレーモデル等とも表記される)と呼ばれる型番(モデルナンバー)である。PSはポール・スタンレーのイニシャルであることは間違いなく、カタログにはそれを持つ彼の写真が掲載されていた。また、PS10以外の他のアイスマンの型番はIC100、IC200などICから始まる物であり、型番からもPS10はアイスマンシリーズの中で特別な物となっていた。このように、アイスマンの歴史はキッスやポール・スタンレーが成功を手に入れる前から始まっていたが、彼ら無しに語ることはできない。アイスマンシリーズにはIC100、IC200、PS10などのモデルナンバーが付いていたのは前述の通りである。ポール・スタンレー使用と同時に始まったアイスマンの名称使用であるが、1978年以降に2663の名称が消失したというわけではない。当時の資料によると、一般ユーザーが知るモデルナンバーとは別にIDナンバーというものもあり、IC100には「2662」、IC200には「2663」というIDナンバーがそれぞれ付いていたようである。PS10にはIDナンバーは存在していなかった。1981年にはIC100、IC200は廃盤になり他のアイスマンシリーズはPS10を含む5種類ほどになった。このときになって初めてアイスマンシリーズからIDナンバーが無くなっている。1975年誕生の2663とスペックが異なっているために同じモデルとは言い難いが、「1975年の2663は後にアイスマンと呼ばれるようになった」「1975年にアイスマンは産まれた」と言っても大きな間違いは無さそうである。開発当初は市場の違いで販売会社とブランド名、機種名を変えた物同士であったが、2009年現在、アイバニーズがミラージュに対して、またグレコがアイスマンに対して公式見解を述べた記録を見つけることは難しい。開発過程や製造工場が同じであったことから、ミラージュはアイスマンと同じ血族、兄弟という風評以上の物が言えないのが実情である。1975年から1977年までのグレコのカタログにはアイバニーズ・アーティスト・モデル2663に相当するギターは一切記載されていない。アイスマンが登場する1978年からは、グレコのカタログにミラージュが初登場する。そのモデルには当然の事ながらキッスやポール・スタンレーの表記は一切無かった。それと同時にストラトキャスター・モデルやレスポール・モデルと言ったコピーを表すような「アイスマン・モデル」といった表記もなく、オリジナルモデルとしての日本国内デビューを飾ったことになる。2008年にミラージュ30周年記念モデルとして限定30本の販売が行われた。このモデルはキッスのヒット曲名と同じ「ブラック・ダイヤモンド」というネーミングを与えられているが、カタログや公式サイトには一切、キッスやポール・スタンレーの名前は表記されていない。ギター形状とネーミングからアイバニーズ・アイスマンの歴史とロック史を重ねて想像することはできるが、それ以上の明確な答えは無いに等しい。アイバニーズ・アイスマン・IC200 (1978年アイバニーズカタログから引用)グレコ・ミラージュ・M900(1978年グレコカタログから引用)形式は「MYYPPPP」となる。1987年まで富士弦楽器製造のアイバニーズブランドはこの形式で使用された。
出典:wikipedia
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